日本史の「ペテン」03 生年欄は空白が無難

日本最古の勅撰歴史書とされているのが「日本書紀」です。
その「日本最古」がいつ頃かといえば、現在から遡ること1300年ほど前、
なんと720年のことだそうです。
天皇の代で言うなら、第44代・元正天皇(女帝/在位:715-724年)のことに
なります。

その「日本書紀」の内容についてはこんな説明になっています。
~全30巻(系図1巻は現存しない)というボリュームで、巻1、2は神代、
 巻3~30は初代・神武天皇から第41代・持統天皇(女帝/在位:690-697年)
 までを編年体で記述している~


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 「日本書紀」巻九/熱田神宮所蔵

それにしても、1300年も以前に成立した書物が、現在まで無事に伝わっている
ことの方が奇跡みたいなもので、「現存しない巻もある」方がむしろ自然な
ことのようにも感じられます。

さて、テーマが歴代天皇に移った巻3以降は、概ねのところ一代一巻を原則と
している感じになっていますが、ただしメッチャ昔の天皇や話題に乏しい?
天皇については一巻で数代にわたる扱いをしているところもあります。

そうでありながら、実は第40代・天武天皇についてはまったく別格の扱いが
されています。
なにしろ、歴代天皇分つまり巻3~30のうちの巻28、29の2巻を、天武天皇
一人に割いているのです。

では、どのような理由、またどのような経緯でこの「日本最古の勅撰歴史書」、
つまり「日本書記」は誕生したのか?
少なからず天武天皇の意志・関りがあったことは容易に推察できるところです。
何しろ、お一人で2巻分を独占しているのですからねぇ。

とはいうものの、実はそうした経緯のすべてが判明しているわけでもない
ようで、一般的には
~編纂事業の開始および過程については史料が乏しく不明である~
とされています。

しかし、天武天皇の第3皇子である舎人親王(とねりしんのう/676-735年)が
勅を奉じて学者・太安麻呂 (おおのやすまろ/生年不明-723年)たちと編纂事業
にあたったことは確かなようです。
ついでに触れておくなら、この舎人親王の七男が、のちに天皇にもなる大炊王
(733-765年)ということになりますが、実はこの方の即位は一度キャンセルの
憂き目をみています。

つまり、天皇をクビになったということです。
要するに「廃帝(はいたい)」扱いとされたわけですが、他の廃帝と区別する
ために、淡路国に幽閉されたところから「淡路廃帝」と呼ばれていました。

もっとも、時代が変わると、即位したのは間違いないのに「廃帝」呼ばわりの
ままではあまりにお気の毒ということもあって、明治政府が第47代「淳仁天皇」
(在位:758-764年)と諡名しました。
それをもって正式に「歴代天皇」の仲間入りを果たしたことになります。
つまり、それなりの枠組みはなったというものの、天皇家自身も安定していた
と言い切れるほどにはなっていなかったということです。

それはともかく、お話を日本書紀に戻せば、こんな雰囲気になるのでしょうか。
この際我が国の「公式歴史書」を作るべきだと考えたのが天武天皇であり、
その国家プロジェクトのリーダーには天武の子である舎人親王が就いた。

そして、その編纂作業において最も多くのページを割いたのが、天武天皇
その人の事績ということですから、言葉を換えれば、天武天皇を顕彰する
ための「官製歴史書」とも言えるのかもしれません。

逆に言うなら、天武天皇に関する記事に多少の脚色が施されていたとしても
さほど不思議ではないということです。
自分に不都合・不利益なことは、誰だってそうそう公表したくはないもの
だからです。

そうしたことを考慮するなら、「日本書紀」編纂にそうした気分が働いていた
としても、特段の不思議ではなく、むしろ全記事が中立公平に扱われていると
受け止めることの方が危険なのかもしれません。


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第40代・天武天皇/第38代・天智天皇
 
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もちろん、成立の時期からしても天武天皇ご自身が「日本書紀」をその目に
することはありませんでしたが、子孫にその編纂を「遺言」したのは事実
でしょうし、逆にそこまでやれたということは、やはり天武天皇が相当強固な
権力を築き上げていたことになるのでしょう。

そういうことなら、そこに記された天武天皇ご本人のプロフィールをそのまんま
信じていいものか、どうか? 
実はこの点についての疑問は、少なからず指摘されているのです。

まずもってメッチャ変なのが、主人公の立場にあるはずの天武天皇ご自身の生年が
この「日本書記」からはとんと分からない、伝わってこないという点です。
本人を顕彰するための記事の編纂事業に取り組んでいるのに、肝心要の御本人の
生年が分からないなんて、これをヘンと言わずに何をヘンと言うのでしょうか。

没年の方はキッチリ記されているのです。
だったら、生年の方だけを「うっかり書き忘れた」なんてことは考えにくい。
何しろ、個人ではなく国家のプロジェクトチーム、すなわち大勢の人間によって
記事の内容についての確認が繰り返しているはずだからです。

つまり、「書き忘れ」ということではなく「事情があって書けなかった」
もしくは「意図して書かなかった」ということになるのでしょう。
当然、次にはこんな疑問が思い浮かびます。
~そんなら、どんな理由があって書けなかったの?~
その理由は、天武天皇のもう一つの主張との整合性ということになりそうです。

~ボク(天武天皇)は、第38代・天智天皇(626-972年)とは、父母を同じく
 する純正兄弟の弟の方です~

ちなみに、ここでいう兄弟の父親とは第34代・舒明天皇のことであり、
母親は第35代・皇極天皇(重祚して第37代・斉明天皇)を指しています。

それなら、氏素性は明白な上に兄・天智天皇の生没年もはっきりしているの
ですから、弟・天武天皇の生年を記すのをためらう必要もないはずです。
でも、生年蘭は空白にしたままなのです。 書けば他の不都合が発生して
しまう。 

天武天皇の息子である編纂責任者・舎人親王はこう考えたのでしょう。
要するに、兄とされる天智天皇より弟とされる天武天皇の方が実際には
年上ではなかったのか?

兄なら兄で、キッチリその生年を記せばいいだけのことじゃないか。
現代人ならこう考えそうなところですが、何せ昔のことですから、
そうしてしまうと今度は新たな疑問を発生させることになってしまうのです。

~天武が兄ということなら、なんで弟の天智の方が先に即位したのだね?
 順序が違うではないか~

同父母の純正兄弟と主張しているわけですから、即位が遅かった天武の方が
兄とする主張だと新たにこんな大きな矛盾を産んでしまうことにもなります。

この矛盾もラクラクと決着できるものでもありません。
なぜなら、こういう運びが予想されるからです。
~兄(天武)が健在でありながら、弟(天智)の方が即位したのは、つまり、
 兄の血統は弟より劣っていたことになるわけで、早い話が父母を同じくする
 純正兄弟という主張自体がデタラメなのではないかえ~


天皇の座を欲していた天武にすれば、そうなるためには二者択一を迫られたと
いうことです。 で選んだのが、
~兄弟の長幼の順よりも、天皇になれる血筋の主張を最優先すること~

弟?天武が兄?天智より「年上」だったかもしれないことは、天智亡き後の
政局を自らが積極的に動かしていった事実も傍証とできるのかもしれません。
天武の方が年上であったなら、天武に残された時間もそうそう多くはない
はずだからです。

ですから、「日本書紀」責任編集者である天智の息子・舎人親王はそれなりに
苦労したのかもしれません
この辺の整合性を図ることは一筋縄の作業ではないからです。
で、起死回生のグッドアイデアも思い浮かばず、結果として「生年欄」を
空白のままにするより手がなかった、ということなのかも。




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