日本史の「謎解き」31 鎌倉大仏に謎なぞないゾ

新型コロナの外出自粛でできた時間でネット徘徊をしていたら、ひょっこり
こんな文言にぶつかりました。
一般的には「鎌倉大仏」とか「長谷の大仏」の呼び方で知られる大仏像に
ついての説明文です。
~鎌倉大仏および、大仏が鎮座する寺・高徳院の双方とも、その建造理由、
 開山(初代住職)、開基(建造主)などについては、はっきりした史料が
 (残ってい)ない~


 daibutsu_kamakura_01.jpg 鎌倉大仏 

そればかりか、他にもこんな説明もあります。
~(鎌倉)大仏の造立経緯などについては諸説ある~
「諸説ある」って言い方は筆者的にはついついこんな解釈になるところです。
~なんだとぉ、なんにも分かっとれせんってこときゃあ~
聞きなれないでしょうが、このへんの尾張言葉はどうかご容赦ください。

しかし、立派な建造物であり、しかも現存している「鎌倉大仏」について、
何も分かっていない、と断じるのも何かしら不自然です。
そこで恰好の暇つぶしとして、そのあたりのことをちょっと探索してみること
にしたわけです。

まず、鎌倉大仏そのものについて、ある程度知っておく必要があります。
まずはサイズについては、
○総高(台座を含む)13.35m/仏体重量121 t とされており、
これが奈良大仏になると、△総高(台座を含む)18.03m/仏体重量250 t
となっていますから、鎌倉大仏は奈良大仏より一回りほどミニサイズという
ことになりそうです。

とはいうもの、「大仏」と呼ばれるにふさわしいだけのデカさは備えているわけ
ですから、それほどの建造物の「建造理由/開山/開基」などがなぜ確定でき
ないのか。 ある意味、大変に不思議なことです。

さて、「諸説ある」とされるその中のひとつには、浄光という僧の勧進
(寄付集め)
によって建立されたとの見方もあるようです。
しかし、筆者的にはこれは考えにくい。

確かに当初は木造の大仏像だったらしいのですが、それにしても奈良大仏と
同様に大仏殿も設けられていたのです。
ちなみに、現在のように露座スタイルになったのは、1495年の大津波による
被害以降のこととされているようです。

要するに、こうした規模を誇る大仏を建立するのに必要とした資金が、個人・
団体の寄付金レベルで賄えたとは到底思えないのです。
しかも、当初の木造大仏は1243年に開眼供養され、そのすぐあとの木造大仏と、
1252年からは青銅大仏が造り始められているのですから、ほとんど休みなしの
続けざまのプロジェクトということになります。

そうであるなら、これはむしろ国家プロジェクトと呼ぶべき大事業であり、
またそうであるならなおのこと、時の鎌倉幕府がまったくのノータッチで
あったとは思えません。
幕府のお膝元で進行している大事業にまったく関心もなく、まったく無頓着
だったとは考えにくいからです。

その鎌倉幕府のトップである征夷大将軍は、幕府創立者である
初代・源頼朝(1147-1199年)に始まり、二代・頼家(1182-1204年)、
三代・実朝(1192-1219年)と続きました。
しかし、実はここで血統が断絶しています。

二代・頼家と三代・実朝が「暗殺死」だったのは明白な歴史的事実であり、
また表向きは「落馬が原因の死」とされているものの、初代・頼朝にも色濃く
それが疑われる状況もあり、そうしたなかにおいての血統断絶なのです。

こうした周辺状況を眺めた時、「頼朝の血統断絶」「大仏建立」の間に
何らかの関連があったようにも感じられるのです。
えぇ、もちろん「筆者の独断と偏見おける」という前提なのですが、その
方向から少し見ていくことにします。


 kujyou_yoritsune_01.jpg houjyou_yoshitoki_01.jpg
 (四代将軍)九条頼経 / (二代執権)北条義時
  
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まず「大仏建立」の意図についての筆者の独断と偏見は当然以下のような
主張になります。
~頼朝の血統排除を実行した側は、大仏を建立することによってその鎮魂を
 目論んだのでは~


えぇ、政敵となった長屋王(675-729年)を滅ぼした第45代・聖武天皇
(701-756年)の側が、その鎮魂を目的として「奈良大仏」を建立したように、
頼朝血統暗殺団?の側はこれと同様な意をもって「鎌倉大仏」を建立した
のではないかということです。

1195年の奈良東大寺の大仏殿落慶供養に参列している頼朝が、大仏に対して
それなりの関心を示していたことは周囲の者もよく承知していたはずです。 

そして、ずっと昔の聖武天皇がそうであったように、鎌倉時代の頼朝血統
暗殺団?もまた、祟りとも受け止められる災いを体験するなど、要するに、
手を掛けた者に対する鎮魂を実行せざるを得ない状況に追い込まれたの
でしょう。

その時、関係者の誰かがひょっこり思い出したのです。
~そういえば、生前の頼朝殿は奈良大仏に関心を示しておられたゾ。 
 そういうことだったら「(鎌倉の)大仏」の建立こそが、その頼朝殿血統に
 対する一番の鎮魂になるのではないかえ~

もちろん、この辺りの経緯も筆者の独断と偏見が語っていることになります。

では、次には「頼朝血統暗殺団」とやらは、いったい何者なのかってお話に
なります。 ただ、それを見つけることはそうそう難儀でもなさそうです。
なぜなら、犯罪捜査の鉄則に沿って、
~そのことによって得をした、つまり最大の利益を上げた者~を探せば
いいことだからです。

そんな者たちがいたっけ? えぇ、いましたとも。
例によって、筆者の独断と偏見の塊によって語るなら、こういうことです。
~頼朝血統断絶によって最大の利益を得た者といえば、頼朝未亡人である
 政子(1157-1225年)と、その実家である北条家であろう~


この場合の「実家・北条家」とは、政子の実父・北条時政(1138-1215年)と
その子・北条義時(1163-1224年/政子の実弟)を指しています。
では、その彼らが手にした最大の利益とは?
そんなもん、「鎌倉幕府そのものをを乗っ取ってしまった」、そのことに
決まっているではありませんか。

頼朝の血統が断絶した後の幕府が将軍として迎えたのは、京都・九条家の
頼経(1218-1256年)でしたが、この方は当時わずか2歳ですから
モロに傀儡です。
つまり、これ以後幕府の実権を握ったのは、この北条家の面々に
他ならなかったということです。

その顔触れを覗いてみると、
北条時政→二代将軍・頼家を廃し、その弟実朝を将軍とするや、自らは
     執権(将軍補佐であり幕政トップ)となった。
北条政子→京都から四代将軍・頼経を迎えると、自らその後見となって
     幕政を仕切るようになり、「尼将軍」といわれた。
北条義時→父・時政の失脚ののち、その後の執権に就任しています。

そればかりか、鎌倉幕府の事実上の最高責任者ともいうべき、その「執権」
職を以後北条氏が世襲していくようになったのです。
言葉を換えれば、先の通りに「北条家は鎌倉幕府乗っ取り」を成功させた
ことになります。

しかし、ここまでやると暗殺団?側もさすがに後ろめたいものを感じるように
なったのでしょう。
つまり、「排除した者」に対して芽生えた暗殺団?側の鎮魂の気持ちを
具体的な形にしたものが「鎌倉大仏」だったということかもしれません。

ということは、そうした経緯を記録に残すこともできません。
残せば、御先祖様の悪行を公表するのと同じことになってしまうからです。
かくして、現在でもなお冒頭のような理解を通説とせざるを得ないことに
なっているわけです。

~鎌倉大仏および、大仏が鎮座する寺・高徳院の双方とも、その建造理由、
 開山(初代住職)、開基(建造主)などについては、はっきりした史料が
 (残ってい)ない~




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