日本史の「事始め」21 鉛筆は鉄砲より強しか?

江戸時代を舞台にしたTV時代劇の劇中に登場した文字を書くシーンでは、
筆記ツールとして毛筆が使われていました。
その数日後、今度は幕末維新を描いたTVドラマです。
ここにも同様のシーンが登場しましたが、筆記ツールはやはり毛筆でした。

さて、こんなプチ体験から、個人的にちょっとした素朴な疑問を持つことに
なりました。
~するってぃと、日本人が鉛筆を使い出したのはいつからだろうか?~
TVドラマでは江戸時代にも幕末維新の頃にも使われていません。
しかし、ずーっと後のことになりますが、筆者が学校へ通っていた昭和時代
(1926-1989年)に、もっともポピュラーな筆記用具といえば、それはやはり
「鉛筆」だったはずなのです。

ということは、こんな推察になります。
~日本における鉛筆の登場は、幕末維新後から昭和時代に至るまでの
 いつかの時点~

これでは、あまりに大雑把に感じられたので、そこでちょっと鉛筆の歴史を
覗いてみることにしました。


 pencil_ieyasu_date_01.jpg レプリカの鉛筆
 家康の鉛筆11.4cm/政宗の鉛筆7.2cm/現在の鉛筆規格17.2cm/
  

他の物と同様に「鉛筆」の歴史も、現代に至るまでにはまぁそれなりに
いろいろな変遷を辿ったようです。
その経緯をメッチャ乱暴に割り切る方法の一つとして、こんな説明に注目
してみました。

~(鉛筆のプロトタイプ)は16世紀の終わりにはイギリスで作られ、
 黒鉛芯を覆う木部を削って使用する現代のタイプの鉛筆は1616年までに
 発明された~


ということは、日本でいえば戦国時代(1467-1590年)が終焉を迎える頃には
鉛筆の原型もどきが既に登場し、江戸時代(1603-1868年)の初めのころには
現在の鉛筆の先祖と呼べるものが登場していたことになります。
昭和時代どころか、予想外の早い時期に既に発明されていたわけです。

そこらあたりの情報をあれこれ探っているうちに、こんな説明にもぶつかり
ました。
~日本では鉛筆は17世紀初頭に徳川家康が最初に使用したといわれる~
戦国乱世の世に幕を引き、江戸幕府の創立者になった徳川家康(1543-1616年)
は知らない人でも知っているとされるくらいに有名ですが、えぇッ、その家康が
日本人で最初に使った人物だってか?

しかし、TVドラマでも家康が鉛筆で筆記している場面は記憶にないぞ。
もっとも、個人の「記憶力の良し悪し」で歴史の真相を決めつけてしまう
わけにはいきませんが、その説明が本当なら発明されて間もない時期に、
もう日本へも伝わっていたことになります。

そうは言われても、この説明に対する違和感は拭えません。
なぜなら、幕末維新、すなわちそれから250年も経った時代でも、筆記用具と
しては毛筆が愛用されていたように、TVドラマなどでは描かれているから
です。

ですから、この疑問には一理も二理もあることになりそうです。
~ホントに鉛筆は、(戦国・江戸時代を生きた)家康の存命中に、もう
 伝わっていたのかしらん~
 
そこで、もう少しヒツコク探ってみると、こんな説明にも。
~1974年の伊達政宗の墓所発掘の折に、副葬品の中に本人が愛用した
 鉛筆(約7cm)が発見された~


ゲッ、伊達政宗(1567-1636年)って、戦国大名のいわゆる「独眼竜政宗」の
ことでしょ?
家康も政宗も使ったということなら、鉛筆がこの頃すでに伝わっていたことは
もはや間違いないと言えそうだ。

そして、この辺りは真実なのか、はたまた「足して2で割る」日本スタイルの
気配りなのかイマイチ判断は付きかねますが、こんな紹介もありました。
~南蛮渡来(輸入品)の鉛筆を最初に使ったのが徳川家康で、また輸入物では
 なく、国産初の鉛筆を使った人物が伊達政宗~


なるほど、舶来品と国産品。
割合都合良く家康と政宗の御両人それぞれの顔を立てた説明になっています。


 tokugawa_ieyasu_01.jpg date_masamune_53.jpg
     徳川家康 / 伊達政宗 
 
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では、便利ツールに違いない「鉛筆」はこんなに早くに伝わっていたのに、
なぜ長い間普及することがなかったのでしょうか。
現代日本人の「便利大好き」ぶりに思いをやれば、一面では不思議にも
感じられるところです。

しかし、どうやらその理由は、至極単純で、
~輸入品にせよ国産品にせよメッチャ高価だったから~のようです。
世界中を飛び回る現代ビジネスマンでも、自家用ジェット機があれば便利な
ことを知っていながら、実際には高価すぎて所有できない姿に似ています。

ですから、日本で「鉛筆」が本格的に使われるようになったのは、時代も
ずっと下って、明治維新(1867年)以後のことになるのだそうです。
なるほど、確かに幕末維新を描いたTVドラマでも、文字を書く場面のほとんど
は毛筆だ。

しかも、日本における鉛筆の需要は、明治時代に入ってからも定着しない
ままで、そのために東京や横浜の輸入品専門店で少量が扱われるに
過ぎない状況が続いたようです。
ですから、本格的な鉛筆輸入が始まったのは「明治時代」にドップリ
浸かるようになってからのことと言えそうです。

そこで、ひょっと思うのですが、その昔の江戸時代初期の頃に家康や
政宗が鉛筆を知っていたのなら、おそらくそうした人物は他にも何人か
いたとしても不思議ではありません。

しかし、「日本の鉛筆」に関する歴史的な面で現実に残されている人名は
この二人です。
これは、案外に妥当な結果といえるのかもしれません。
と言うのは、も徳川家康も伊達政宗も「海外事情」に対して、当時としては
極めて敏感な対応を見せていた人物だからです。

家康は、ウィリアム・アダムス(三浦按針/1564-1620年)やヤン・ヨーステン
(1556?-1623年)など、いわゆる「外国人」を外交顧問として抱えることも
していますし、一方の政宗は遥かヨーロッパのスペイン国王やローマ教皇の
もとへ「慶長遣欧使節」(1613年)まで派遣しているのです。

ですから、こうした感性の持ち主だった家康や政宗が「日本で初めて鉛筆を
使った人物」だったとしてもそれほど驚くことではないのかもしれません。

しかし、筆者的には、こうした経緯説明だけでは腑に落ちない部分もあるの
です。
「鉄砲伝来」(1543年)の折には、瞬く間に国産化に踏み切り量産化に
 励んだのに、どうして「鉛筆伝来」はそのように運ばなかったのか?~


伝来当時にメッチャ高価なハイテク・ツールであったことは、鉄砲の場合も
鉛筆の場合も共通しています。
なのに、ここから先の発展・普及ぶりが全く違っているのです。

そこでよくよく考えてみると、はやり、それは伝来した時代が影響していると
いうことになるかもしれません。
なにせ、まだまだ戦国乱世を色濃く引きずっている時世ですから、強国たらん
とするなら、ハイテク武器・鉄砲には目が向きやすい。

しかし、同じように当時のハイテク・ツールとは言うものの「筆記用具」の
活躍によって強国に生まれ変われると考えた人物は、ほとんど皆無だったと
いったところでしょうか。

えぇ、ですから、ついでにこんなことまで言えそうです。
~「ペンは剣より強し」なんてのは、世の中が平和(平時)であってこその
 理念であり、乱世(戦時)には通用しにくいものだゾ~


鉄砲(剣)と鉛筆(ペン)が、ほぼほぼ同時期に伝わった日本のその後の
経緯を眺めてみれば、このことは割合無理なく理解できるところかも
しれませんねぇ。




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