日本史の「ライバル」06 公務?川中島の戦い

数多の戦が繰り広げられた戦国時代の中でも、とりわけ知名度の高い戦闘の
一つに、甲斐・武田信玄(1521-1573年)と越後・上杉謙信(1530-1578年)
による激突「川中島の戦い」を挙げることができそうです。

両軍の激突は、実は一回に留まらず、意外なことに前後五回にわたって繰り
広げられました。
ですから、一般的な言い方である「川中島の戦い」とは、その激突五回の
総称ということになります。
せっかくの機会ですから、それも一覧にしてみましょう。

第一回:1553年/布施の戦い(更級八幡の戦い)
第二回:1555年/犀川の戦い
第三回:1557年/上野原の戦い
第四回:1561年/八幡原の戦い
第五回:1564年/塩崎の対陣


 kawanakajimano_tatakai_01.jpg 川中島の戦い/信玄VS謙信

両軍の激突が五度までも繰り返されたのには、実は事情がありました。
武田軍も上杉軍も、その主体を農民兵で構成していたことです。
えぇ、農民兵ということは農業従事が本業ですから、出兵も無期限という
わけにはいきません。

つまり、どんな戦であっても、旧暦七・八・九月の、いわゆる農閑期の内には
済ませてしまう必要があるわけです。
領国への帰還が刈り入れに間に合わなければ、収穫もできず飢饉に見舞われる
ことが目に見えているからです。

そうした睨み合いを何度も繰り返していた中で、実は第四回の「八幡原の戦い」
だけは、かなりの激戦を演じました。
なにしろ、信玄の実弟である武田信繁(1525-1561年)を初めとして、
作戦参謀的な立場にあった山本勘助(1493?-1561年)までもが戦死すると
いう事態でしたから、その激しさも尋常ではありません。

そうした背景もあって、単に「川中島の戦い」という場合には、この第四回目
の激突を指すことが多いようです。
また、この第四回目の大乱戦は、その最中に、手薄となった信玄の本陣を
めがけて謙信が単騎で斬り込みをかけたことでも有名です。

~白手拭で頭を包み、名馬に跨った謙信が、床几に座る信玄に三太刀に
 わたって斬りつけ、信玄は床几から立ち上がると軍配でこれを受けた~

映画・ドラマでよく描かれる名シーンです。

しかし、そこまでの死闘を演じながら、確かな勝敗を決するまでには至り
ませんでした。
なんで? そんなもん決まっているじゃありませんか。
その時期になったら、両軍ともに主力である農民兵を領国へ帰さなければ
ならなかったからです。
武将たちだけが残ったとしても、これでは戦にはなりません。

「川中島の戦い」については、このあたりのことが多く語られるために戦いの
原因を信玄と謙信の領土争いだったと思っている人も少なくありません。
なぜそんなことが言えるのかと言えば、何を隠そう筆者自身がその通りだった
からほかなりません。

今回その経緯を知って、ちょっと意外に感じたほどでした。
というのは、信玄VS謙信の激突「川中島の戦い」の原因を作ったのは、
この両者ではなく、「第三の男」というべき北信濃の大名・村上義清
(1501-1573年)という人物だったからです。

ちなみに付け加えておくなら、この頃の両者の名前は武田晴信(信玄)
であり、上杉景虎(謙信)となります。
さらに言うなら、謙信のその前の名前は長尾景虎であり、後に上杉家の
家督を譲られて以降、上杉を名乗ることになったものです。
ですから、もっとも知られた名前である信玄も謙信も、実はいずれも仏門に
おける法名・法号ということになります。

さて、その村上義清は、自分の領地である土地を信玄に目をつけられ、
たびたびにわたって侵略を受けていました。
しかし、この村上が義清自身もかなり戦上手であったために、信玄軍の
侵攻にも、それまで二度ほどは撃退に成功していたのです。


 bisyamonten_nobori_01.jpg bisyamonten_zou_01.jpg
      幟「毘」 / 毘沙門天像
 
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ところが、三度目はそのように運ばず、結果村上は「敗軍の将」という立場
に追い込まれてしまいました。
今度ばかりは自力での領地回復は困難と見た村上義清は、そこで上杉謙信に
泣きつきました。

~謙信サン、信玄メに侵略された、この村上の領地を回復するために、
 どうぞお力添えをお願いしますゾ~
ということです。
しかし、なんでまた村上は謙信を頼ったのか?
これは、ある意味当然な成り行きで、謙信はこの頃既に「関東管領」の地位に
あったからです。

これもまた分かりにくい職ですが、大雑把な掴みなら、
~室町幕府・関東公方(関東将軍)の下で実務を取り仕切る職~
あるいは、もっと乱暴になら、~室町幕府・関東地区警視総監~くらいの
イメージになるのかもしれません。
要するに、室町幕府の公職にあった謙信を頼ったということです。

~信玄メの理不尽な行いを糺すために、関東警視総監?である謙信サンは
 必ずや尽力してくれるであろう~

村上義清のこんな目論見は外れていませんでした。
つまり、謙信は警視総監?という公職者として、村上義清の領地回復を目的と
して、信玄と対峙することを決意したのです。

幕府の公職とはいうものの、多少ズルを決め込んでも、どこからも文句が
出るものでもありません。
幕府本体がガタガタの状況に陥って、既にほとんど有名無実な存在になって
いたからです。
だからこそ、世の中全体がなんでもありの「戦国時代」の状況を呈していた
わけですが。

にこかかわらず、謙信は公職者としてどこまでも律義な対応を取りました。
~言い分は村上義清の側にある。 ならば、それを全うさせてやることこそが
 ワシの使命ということになる~
 
この辺が、他の武将と大いに異なるところです。
食うか食われるかの日常を繰り返す環境下にあって、他人のために骨を
折ろうとするのですから、変わり者と言われても不思議ではありません。

謙信の変わり者ぶりはそれだけに留まらず、実は「子づくり」に対する態度も
その通りでした。
「御家存続」を図ることが第一とされたこの時代に、なんと「生涯不犯」つまり
「妻帯禁制」を貫いたのです。
つまり、子どもを設けるつもりがなかったということであり、後に家督を巡って
争うことになる景勝景虎は、どちらも実子ではなく他家から迎えた養子です。

この点について言えば、川中島の戦いの相手である武田信玄は真逆でした。
敵で負かし、自決に追い込んだ相手の娘を、おそらくは無理やりだったの
でしょうが、ともかく側室にしているのです。
諏訪御料人(本名不明/1530-1555年)と呼ばれる女性がその人で、後に
武田家を継ぐことになる武田勝頼(1546-1582年)の実母です。

実は、信仰についても、謙信の場合は特異といえばちょっと特異でした。
武神・毘沙門天をメッチャ熱心に信仰したのです。
それが半端でなかったことは、自らの旗印にその毘沙門天の「毘」の文字を
使ったことでも分かりますし、そればかりか、ちょっとアブナイ気もする
のですが、どうやら~自分(謙信)は毘沙門天の生まれ変わりである~
信じ込んでいた様子も窺えるのです。

おそらくは、「生涯不犯」を貫いたものこうした考えからだったのでしょう。
~毘沙門天に子供がいたのでは、崇拝する武神・毘沙門天を貶めることに
 なろうし、またそれでは毘沙門天の生まれ変わりとしてはいささか格好も
 付かない~


ですから、ひょっとしたら第四回「川中島の戦い」で信玄に向け、単騎斬り込み
を決行したのには、この「自分は毘沙門天の生まれ変わりである」という信念が
あってのことかもしれません。
武神・毘沙門天は不死身ですから、その生まれ変わりである謙信も戦死する
ことはないという理屈になるからです。

ところがギッチョン、史実においては不死身というわけにはいきませんでした。
この毘沙門天・謙信は、尾張・織田信長(1534-1582年)との対決を目前と
した時期に脳卒中に倒れるや、回復することなく、その数日後には呆気なく
没してしまいました。

どうやら、日頃の大の酒好きがその原因になったようで、「川中島の戦い」の
宿敵・武田信玄の死から五年後のことでした。
ちなみに「第三の男」村上義清は、信玄とほぼ同じ時期に亡くなっています。

いずれにせよ、なんでもありの時代に、その「なんでもあり」を貫いた信玄に
対し、公職者として自らを律した謙信という構図にもなり、この点でも両者は
好対照だったのかもしれません。




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