日本史の「大雑把」04 外様の朱子学逆手取り

江戸時代に諸藩が国許と江戸を行き来したいわゆる「参勤交代」
大名行列は、決して京を通過しなかったし、また京で宿泊することも
なかったそうです。
もっともこれは京付近を経由する必要があった西国の大名行列に限ります。
京より東に位置する諸藩がさらに東の江戸を目指すのに、わざわざ西に
戻る形で京を迂回通過する必要はありませんからね。


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 東海道五十三次/終点・京三条大橋

その「京忌避コース」?になった理由はこう説明されています。
~有力大名が参勤交代を理由に勝手に京に入り、密かに朝廷と意を
 通じるなどのことを幕府は恐れていたから~

たとえば、朝廷とどこぞの外様大名が結託して倒幕クーデターを企てる
なんてことを幕府はメッチャ心配していたという説明です。

だったら、外様諸藩が京に近づくことは決してなかったかといえば、
そういうことでもありませんでした。
知識生半可の筆者には少々意外なことでしたが、多くの藩がいわば
「在京藩邸」ともいうべき「京屋敷」を構えていたのです。

「京屋敷」という施設があれば、それに伴って人も動きます。
というより、人が活動するための拠点として御屋敷が存在したわけです。
そして、その「京屋敷」の数はこんな案配だったとされています。
~東国大名20、西国大名48、ほかに代官等の武家屋敷60余が確認される。
 (寛永14年<1637>洛中絵図による)~


結構な数だったようです。 それに加えてさらにはこんな説明も。
~京屋敷を巡る親藩・譜代大名と外様大名の状況は大きく異なる~
どのように異なっていたのかまでは追及しません。
大雑把な性格ということだけでなく、筆者の関心は別のところだからです。

それはともかく、基本的な言葉をいささか乱暴な定義でおさらいしておけば
こうなります。
親藩=徳川宗家の親戚筋の藩
譜代=(建前としては)徳川家に世襲的に仕えた大名
外様=徳川家にとっての潜在敵国もどきの大名

つまり、潜在敵国・仮想敵国に位置付けられるいくつかの外様大名も、
現代でいう「○○藩京事務所」もどきの「京屋敷」を、朝廷の本拠地である
京の土地に大っぴらに構えていたことになります。
そんな状況を許していたのであれば、参勤交代による二年一度の京通過
程度のことに神経を尖らせる必要もなかったような気もします。

言葉を換えればこんな感想です。
~潜在敵国・外様大名というなら幕府だってハナから「京屋敷」なんて
 ものを認めなければよかったのに~
 ところが、
~参勤交代による大名行列の通過や宿泊は御法度だが、藩の業務を京で
 行うのはやぶさかでないゾ~

こうした姿勢を示していたことになるわけですから、幕府の一貫性には
やや欠けた印象が伴います。

考えてみれば、潜在敵国・外様大名に対して参勤交代を義務付けるほどの
強権を発動できていたということですから、ことのついでに「京屋敷禁止令」
ほどの命令を出しておくことは、それほど困難でもなかったように思われます。 
しかし、幕府はそれをしませんでした。 
では、ナニユエあって幕府はこんな中途半端な対応を?


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 長州藩京屋敷跡/桂小五郎像(京都ホテルオークラ)

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結論から言えば、江戸幕府は自らが蒔いたタネによって「京屋敷禁止令」を
発令することができない立場に立たされたのです。 なんで?
江戸幕府が公式学問として推奨したのが「朱子学」でした。
その朱子学とは、親に対する孝や主君に対する忠をやたら重視した思想です。

ちなみに、この時代の社会で当たり前とされていた身分制度「士農工商」
とか、またその中で商業・商人を賎しい存在とする捉え方などは、まさしく
朱子学に基づいた思想です。
ところが、外様大名の中に、幕府が声高に主張するこうした「忠孝」思想を
逆手に取る知恵者がいたのです。

たとえば、薩摩藩の場合ならこんな案配です。
~歴史を辿れば、わが薩摩藩の旧主は近衛家(藤原氏嫡流/五摂家の一)
 である。 そして旧主に対する忠は決して忘れてはいけないはずだ~

つまり、京に住む近衛家に忠を尽くすことは朱子学的にも正しい行いであり、
またそれに精勤するためには、この京に拠点を置く必要があるという理屈です。

一方の長州藩(毛利家)も同様な態度を示したようです。
~我が毛利家の御先祖様は、平安末期の昔の昔の大昔の頃から、
 既に朝臣として天皇に仕えておりました。 ですから、その忠を貫徹する
 ためには朝廷がお住まいの京にその拠点(京屋敷)を置くことが必要
 不可欠なのです~


屁理屈であることは幕府も承知です。
しかし、彼らの主張を退けることもできません。
もしその主張を退けようものなら、「忠はそれほどのものではない」と
幕府自らが認めることになってしまうからです。
ジレンマに陥るって、こういうことをいうのでしょうか。

かくして、幕府にとっては潜在敵国・仮想敵国であるはずの薩摩藩やあるいは
長州藩などの外様大名も、晴れて「京屋敷」を構えることができたのです。
ところが、皮肉なことに幕末期にはこうした場所が倒幕の舞台になった
ことはご存知の通りです。

これは、外様勢力による倒幕運動の推移を知っている現代人の後知恵という
ことになりますが、幕府が注意を払うべきだったのは、参勤交代による
大名行列の京通過や宿泊ではなく、その外様大名の「京屋敷」だったの
かもしれません。

つまり、一部の外様大名は、幕府が推奨する「朱子学」に従順に従う姿勢を
見せつつ、ちゃっかり自分たちの要求を通していたことになります。
その意味からすれば、幕府と外様の危機管理能力には、この頃から既に
大きな差があったのかもしれません。

事実、外様勢力による幕末期の倒幕運動はこうした「京屋敷」を重要な
舞台としたことも少なくなかったのですからね。
筆者もまあまあ大雑把系の人間ですが、そうした意味からすれば、
江戸幕府とはさらにもう一回りパワーアップした「大雑把」性を発揮した
組織だった言えるのかも。




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