日本史の「微妙」14 朕は五世の孫なるゾ

~正統性の根拠は血統にある~
日本の歴史の中に、こうした場面を見ることも少なくありません。
~なんでお前が偉いねん?~ その答えがこうなるケースのことです。
~決まっているではないか、ボクは正統な血統にあるからダ!~


 jinmu_tousei_01.jpg 神武東征

なに、日本史にそうした傾向があること自体に気が付かなかったってか。
そんなメッタヤタラの迂闊者は捨て置く・・・こともできないことっでは
ありませんが、折角ですから今回はその「正統な血統」がテーマとなった
場面を日本史の中に探してみることにしましょう。
そうした場面は歴史に限らず神話や伝説の範疇にも少なからずあるので、
まずはそちらからお話を進めます。

たとえば、初代天皇とされる神武天皇の正統性は皇祖神・天照大神の
直系子孫というところで担保されています。 つまりは血統・血筋です。
ただ、人間社会とはひと味違う神様の世界のことですから、ここで多少の
予備知識を。

~そもそも皇祖神とされる天照大神って?~
その誕生場面はこう説明されています。
~イザナギ・イザナミの男女二神の第一子であり、イザナギの禊(みそぎ)
 のとき、その左の目から生まれた~


さすがに神様です。
夫婦間の交合いの結果にこの世に誕生したものではないゾ、との主張です。
ところが、天照大神の子孫とされるものの「天皇」という存在は紛れもなく
人間社会の存在です。

つまりは、いずれかの時点で神の世界から人間世界への移籍を果たした
天照大神の子孫がいることになります。
そして、話の流れからすれば、それが神武天皇であると受け止めるのが
最も素直な態度でしょう。

そこで次に、その神武天皇の履歴書を眺めてみると、日本書紀には
このように記されています。
~高天原から九州の日向国・高千穂峰に天降ったニニギノミコトの
 三代の孫である~


これは、いわゆる「天孫降臨」のことを指していますが、そのニニギノ
ミコトが天照大神のお孫サンということですから、つまりはこういう解釈に
なります。 ~神武天皇は天照大神の五世の孫である~

その主張を認めないわけではありませんが、「五世の孫」とはいかにも
微妙な血縁関係です。
この点は、自分自身がその「五世の孫」になったつもりで御先祖様を
振り返ってみるとよくわかります。

~父親(父チャン)がいて、祖父(爺チャンがいて、曽祖父(大爺チャン)~
ここまで遡って、やっと(三世)です。
親戚だ、一族だと強く迫られれば、この辺りまではなんとかそんな気分が
しないこともありませんが、しかし、ここからさらに二世をプラスして
「五世の孫」という身分になってみると、さすがに親戚という気分は希薄に
なります。

遠慮なしに言わしてもらうなら、「親戚」という感覚よりはむしろ「赤の他人」
という思いの方が断然強いということです。
ですから、神武天皇はなんとも微妙な位置から、その「血統の正統性」を
主張していたことになります。


 keitai_tennnou_02.jpg tairano_masakado_01.jpg
 継体天皇/平将門

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後の時代にも、この神武天皇と同じような理屈でその正統性を主張した天皇が
登場しています。 第26代・継体天皇(450?-543年?)です。
先代(第25代)の武烈天皇には跡継ぎがおらず、しかも天皇になるべき
適当な人もいなかったようで、その経緯はこう説明されています。
~越前に住んでいたオオドノミコト(後の継体天皇)を皇位継承者として
 招いた~


この「古事記」の説明を素直に受け止めれば、このオオドノミコトなる人物は
それまでの天皇家には縁もゆかりもない人物のように感じられます。
しかし、それではさすがにマズい。
そこで、さらにこんな説明も加えられているのです。
~継体天皇は「応神天皇五世の孫」である~

つまり、皇位に就く正統性をこう主張していることになります。
~(継体は)正当な血統にあるのだから万世一系は瑕疵なく継承された~
しかし、これは素直に頷けるお話ではありません。

まず第一に、どうして「五世の孫」よりもっと濃い血筋の者がいなかった
のか?
応神天皇といえば、この継体天皇の11代前、しかも約220年前の天皇と
いうことになりますから、声高に万世一系を主張するにはさすがに縁が
遠すぎる印象です。

しかも、こんなエピソードも語られているのです。
~即位しても直ぐには大和に入れなかったので、周辺に居住し、19年後に
 なってようやく大和入りが果たせた~

これも素直に解釈すれば、「継体天皇」誕生の経緯には、メッチャ強力な
抵抗勢力が存在していたことになります。

要するに、それまでの血統が絶えたことで、それとは別の血統の者が
皇位を継承した。 
このように解釈した方が話が早いわけで、実際この経緯は「王朝交代」が
あったとの解釈する向きもあるようです。

しかし、当事者がそれを認めてしまうようなことがあれば、それはすなわち
自らのアイデンティテイである「万世一系」を自らが否定することになって
しまいます。
正統性の根源である「万世一系」を捨ててしまうわけにはいきません。

そこで「五世の孫」の登場です。 これなら、
~多少遠い血筋ではあるものの「万世一系」は堅く守られている~
こういう理屈になります。

これに味をしめたものか、さらにずっと後の時代にもこの「五世の孫」と
いう存在が登場しました。
東国の独立を標榜し、その実現に動いた平将門(生年不詳-940年)です。
~西国が旧態依然とした朝廷が天皇を頂いてよしとしているのなら、
 その組織に属したくないボクは新皇として東国地域を仕切ってやるワイ!~

なかなかに意気盛んです。

では、その「新皇」(ニュー天皇)なる存在に正統性はあるのか?
じつは将門は奇しくもこう主張したのです。
~ボクは第50代・桓武天皇(737-806年)の五世の孫であるゾ~
その真偽確認のため戸籍謄本?に目をやると、こうなっています。

~将門は平氏の姓を授けられた「高望王/平高望」の三男・平良将の子で
 あり、その「高望王/平高望」は第50代・桓武天皇(737-806年)の孫
 (あるいは曾孫)とも言われる~

これを根拠に将門は自らの行動の正統性を訴えたことになります。

初代・神武天皇や第26代・継体天皇と同じように、この将門もまた
「五世の孫」を主張したことになります。
しかしよく考えてみると、この主張はいかにも中途半端です。

自らが「新皇」を名乗るということは、旧来の天皇を否定・・・言葉が
強すぎるのであれば、無視とか軽視と言い換えてもいいのですが、ともかく
そうした旧来の権威的存在である天皇に取って代わるのがボクである。 
こう主張していることにほかなりません。

あぁそれなのに「第50代・桓武天皇の五世の孫」であることに自らの
正統性を求めるとは、メッチャ矛盾した言動と言わざるを得ません。
無視・軽視しているはずの朝廷権威だからです。

しかし、将門自身はそれを矛盾だとは感じていなかったのでしょう。
~西国は旧来通りに天皇が治めれば宜しい。
 しかし、ボクの地元である東国はボクが新皇に就いてこれを治める~

「五世の孫」であろうがなかろうが、ここまでは変わりません。 

但し、そこに矛盾を感じていたとしたら、その後がちょと違う。
旧来の朝廷権威とは縁を切りたいわけですから、その主張もこんな内容に
なっていたはずです。

~なお、ボクについて「(旧来朝廷の)桓武天皇五世の孫」というウワサも
 飛び交っているようだが、それは違うゾ~
 そして、トドメに、
~そんなウワサは旧来朝廷側の卑怯臭くて悪意ある中傷に過ぎないッ!~




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