日本史の「数字」02 西暦ちょっきり年の出来事

豊臣秀吉(1537-1598年)亡き後の天下を決するべく「関ヶ原の戦い」
繰り広げられたのは、安土桃山時代の慶長5年9月15日でした。
この年を西暦に直せば、下二桁が00の1600年、つまり今回の
タイトルにある「西暦ちょっきり年」に当たります。


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 関ヶ原の戦い(1600年)

幾分苦しい語呂合わせを必要とするランダム数字が並ぶ年代に比べたら、
末尾が00になるこうした「西暦ちょっきり年」は割合に覚えやすいので、
ズボラな筆者なぞは決して嫌いではありません。

しかし、1600年「関ヶ原の戦い」はそれとして、それ以外の
「西暦ちょっきり年」にも何かしら歴史的な出来事があったのかしらん?
ちょっと気になったので、ここは面倒臭いのを我慢してその歴史研究?に
重い腰を上げることにしてみました。

あまりに昔々のことだと、神話伝説も混じってくるでしょうから、ここは
思い切りよくまずは「西暦(ちょっきり)500年」から。
なんでも第25代・武烈天皇の御代だったとされています。
ただし、じつはこの天皇自身も実在したのかどうかについて未だ議論が
あるとのことですから、ここはさっさとパス。

続いて「西暦(ちょっきり)600年」になると、こんなことが
紹介されています。
~第33代・推古天皇(554-628年)の時代であり、日本が最初の
 遣隋使を送る~

どうやら、この頃からボツボツ国号を「日本」と名乗るようになって
いたのでしょう。
人間に例えるなら「自我のめざめ」といった頃のイメージになるので
しょうか。

さて、この100年後の「西暦(ちょっきり)700年」には、僧・道昭
(629-700年)の葬儀が営まれています。 
これは「記録に残る最古の火葬」と案内されており、その歴史的意義は
極めて大きいものがありました。

結果として、従来の土葬方式ではどうしようもなかった「死穢」に
対する一つの解決策を示すことになったからです。
その「解決策」を評価したことの反映と思われますが、この3年後の
703年には、今度は、第41代・持統天皇(女帝/645-703年)が
天皇としては初めての「火葬」で送られています。
そのことについては、少し前にも下記のタイトルで触れたのでここでは
省略します。 ~№621 日本史の「事始め」19 環境汚染に挑んだ女帝~

さて、お次は「西暦(ちょっきり)800年」
まさにその年に第50代・桓武天皇(737-806年)が自分の弟である
故早良親王に「崇道天皇」を追号しています。

天皇未経験者に「天皇」を追号するという内輪の特別な事情については、
(筆者自身とうに忘れていたのですが)実は下の記事でも紹介した
ことがありました。
~№570 日本史の「例外」01 歴代以外にも覆面天皇が~

さて、さらに進んで「西暦(ちょっきり)900年」ともなると、
その頃の「できごと」として、こんな案内がされています。
~日本最古の伝奇小説「竹取物語」(通称)が完成~

しかし、その「竹取物語」を少し深追いしてみると、今度は、
~平安時代初期に成立した日本の物語で、成立年・作者ともに未詳~
となっています。 だったら「西暦900年」と断定できないということ
じゃん。 堂々巡りって、こんなことを言うのかもしれませんね。

さて「物語」が登場したついでに、紫式部(生没年不明)※による
長編小説「源氏物語」にも目をやると、~文献初出は1008年~とされて
いますから、ひょっとしたら、この「西暦(ちょっきり)1000年」の頃
には、そのための準備や、あるいは執筆作業そのものに取り組んでいた
のかもしれません。
紫式部 970-978年の間に生まれ、1019年までは存命したとする説もある。

紫式部が登場したので藤原道長(966-1028年)にも触れておきましょう。
何しろ「紫式部後援会」会長もどきの道長があの有名な歌、
~この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと
 思へば~
を詠ったのは、「一家立三后」を成し遂げた後の1018年の
ことだそうですから、残念ながら「西暦(ちょっきり)1000年」には
間に合いませんでした。



 murasaki_shikibu_51.jpg matsuno_rouka_51.jpg
 紫式部(源氏物語作者)/赤穂事件(殿中刃傷)

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さてはて、この作業に挑んでみて初めて気が付いたことですが、こうした
「歴史100年飛び」も「ウサギ跳び」や「三段跳び」に負けず劣らず難儀な
ものですねぇ。
しかし、やりかけたことですから、ここは歯を食いしばって前へ進みます。

西暦1000年の後は、「西暦(ちょっきり)1100年」。
父・白河天皇から譲位され即位した第73代・堀河天皇(1079-1107年)の
時代です。
僅か8歳で即位したものの、生来病弱であり、また父・白河の強力な
「院政」によって、堀河自らの政治姿勢を打ち出すことも叶わず、
在位のまま宝算29で崩御されたのですから、いささか幸薄い印象の
天皇でした。

さて次の「西暦(ちょっきり)1200年」ともなれば、武士政権「鎌倉幕府」
の創立(1185年)直後ですから、何かしら大きな出来事があったかと
思いきや、そこは肩透かしでそれほど劇的な出来事は起きなかったよう
です。
ただ、「唯一の文芸評論書」?とされる「無名草子」(むみょうぞうし)
の成立がこの頃のこととされています。

「西暦(ちょっきり)1300年」も同様に、特別に大きな出来事は
なかったようです。
明けて「西暦(ちょっきり)1400年」には、こっそりこんな案内が
されています。 ~応永の乱が集結する~

ええぇ?「応仁の乱」ってこんな時期だったの? もそっと後じゃ
なかったの? でもこれ、じつは早とちりなんですねえ。
「応永の乱」(1399-1400年)と「応仁の乱」(1467-1478年)の字面が
似ていることで、つまらぬ勘違いをやっちゃっただけのことでした。
ゴメンなさい。

その100年後の「西暦(ちょっきり)1500年」には、第104代・後柏原天皇
(1464-1526年)が即位されています。
ただ、実はこの年に行ったのは三種神器を受け継ぐ、いわゆる「践祚」だけで、
皇位に就くことを天下に布告する「即位の礼」は後回しにされました。

なんで? 理由はいたって明解!
楷書風に言えば「朝廷財政の逼迫」であり、少し下世話な言い方を
するなら「超貧乏天皇」だったということです。
そこで朝廷は、その費用を調達するために、なりふり構わず幕府や
本願寺など、ウハウハの金満団体から献金を集めました。

その努力の甲斐あって、後柏原天皇は即位22年目(1521年)にして、
ようやくのこと「即位の礼」を執り行うことができたのでした。
これがもう少し遅かったら、「即位の礼」を行えなかった天皇という
ことになっていたかもしれませんから、まずはめでたし、めでたし。

「西暦(ちょっきり)1600年」は冒頭で案内した通りです。
次の「西暦(ちょっきり)1700年」は、平和と繁栄の「元禄」(1688-1704年)
の最中にあって、朝廷が第113代・東山天皇(1675-1710年)なら、
幕府は「犬公方」こと第5代・徳川綱吉(1646-1709年)の時期でした。

そんな中で立て続けに起こったのが、赤穂藩主・浅野内匠頭長矩
(1669-1701年)による「江戸城での刃傷」(1701年)事件、そして
その後の浅野家家臣たちによる「吉良邸討ち入り」(1703年)事件
でした。
日本人の国民ドラマとも言えそうな「忠臣蔵」は、この一連の
「元禄赤穂事件」がモデルになっていることは、これもまた国民的
常識になっていると言えるのかもしれません。

それから100年後の「西暦(ちょっきり)1800年」は、朝廷は明治以前
では最後の譲位を行った第119代・光格天皇(1771-1840年)が、 また
一方の幕府は、儲けた子供のハンパない多さからオットセイ将軍とも
綽名された第11代・徳川家斉(1773-1841年)がそれぞれのトップに
就いていました。

その家斉の子供数は「26・27・28」の数字で記憶するのが便利とされ、
要するに、これは「男子26人/女子27人/成人まで生きた子供28人」
を意味しているそうです。

続く「西暦1900ちょっきり年」は、お隣の中国では清朝(1616-1912年)
の末期に当たり、「義和団の乱」が勃発しています。
この時の日本は、欧米8ケ国の派兵に混じる形で実は最大規模(8000人)
の兵力を送りました。
「欧米列強への仲間入り」や「アジアの覇者」という立場がチラチラ
視野に入っていたのかもしれません。

そして、「西暦(ちょっきり)2000年」は、表向きには筆者の生まれ年という
ことになっています。
ただ、じつはここにはある程度のサバ読みがあることを、前もって自白して
おくのが良心的なのかもしれません。




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