日本史の「偶然」01 赤穂事件は繰り返される

歴史用語としては「赤穂事件」というのだそうですが、その経緯は
日本人なら知らない人でも知っていると言われるほどに有名です。
もっとも、それは後になってこの事件をモデルにした芝居「忠臣蔵」が語る
ところであって、当然ながら史実からは大きく離れた内容になっています。
 

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(元禄)赤穂四十七士 

その「赤穂事件」をざっとおさらいしてみると、これくらいの説明が一般的の
ようです。
~江戸時代・元禄年間(1701年)に、江戸城・松乃大廊下で、
 高家※の吉良義央(上野介/1641-1703年)に斬りつけたとして、
 播磨赤穂藩主の浅野長矩(内匠頭/1667-1701年)が切腹に
 処せられた事件~
 ※高家=儀式典礼を司る江戸幕府の職名

但し、この後段には、
~さらにその後、亡き主君の浅野長矩に代わり、家臣の大石内蔵助良雄
(1659-1703年)以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央を弑し、
 当夜に在邸の家臣らも討った事件~
 もあったことから、
前段の「江戸城での刃傷」と後段の「吉良邸討ち入り」を分けて扱い、
後者を「元禄赤穂事件」とする場合もあるようです。

この事件をごくごく普通に「忠臣蔵」と呼ぶことも多いのですが、実際には
この事件を基にした人形浄瑠璃・歌舞伎のタイトル「仮名手本忠臣蔵」の
通称がこの「忠臣蔵」であり、また同様の作品群の総称としても使われて
います。

そこで、これら脚色された創作作品と区別するため、史実として事件を
「赤穂事件」と呼ぶことにしているわけです。
ただ先の通り、「吉良邸討ち入り」については、「元禄赤穂事件」という
別の呼び方もあるとのことですから、筆者のような素直で無垢な性格の
持ち主は、こう考えるところです。

~「元禄赤穂事件」なんて、わざわざ元号を冠した呼び方をしているって
 ことはなぁ、ひょっとしたら、この他にも「赤穂事件」があって、
 それと区別するためのセコい方策なのではないか?~

実は、この推理はバッチシ当たっていました。
探してみると、他にも確かに「(元号)赤穂事件」という名称の出来事
があったのです。

「元禄赤穂事件」(1703年)の他に見つけたのは、これより半世紀以上
も前の出来事の「正保赤穂事件」(1645年)と、ずっと後の、それこそ
幕末期になって発生した「文久赤穂事件」(1862年)です。

余分なお節介化もしれませんが、アナタと筆者の頭の中を整理する
ために、それぞれの元号の期間を付記しておきます。
○正保年間(1644-1648年) 将軍は第 三代・家光
○元禄年間(1688-1704年) 将軍は第 五代・綱吉
○文久年間(1861-1864年) 将軍は第十四代・家茂

そして、「元禄赤穂事件」がそうであったように、他の二つの「赤穂事件」
もそれぞれにドラマチックな展開を見せていました。
それは、「正保赤穂」が「発狂」なら、「文久赤穂」は「仇討」という
ことであり、そればかりか、そこには「元禄赤穂」に負けず劣らずの
凄惨な殺人事件も絡んでいたのです。

時代順に、まずは「正保赤穂事件」から。
この時期の藩主・池田輝興(1611-1647年/享年37)は江戸幕府創立者・
徳川家康(1543-1616年)の外孫に当たる人物だったこともあって、
幕命をもって藩主に就いたものです。

しかも、その藩政においては検地や城下町開発などに熱心に取り組み
ました。
中でも特に上水道の開発には目を見張るものがあって、日本初の水道
工事とまでいわれるほどの功績も挙げています。
ところが、この「正保赤穂事件」はこんな経緯を辿りました。

~その輝興が、突如発狂して正室をはじめ侍女数人を斬り殺した~
1645年、輝興35歳のことです。 あっちゃー! 
数人を斬り殺すのも尋常な行為と思えませんが、「突如発狂」というのも、
負けず劣らず尋常な出来事ではありません。


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池田輝興/高野山での果し合い

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ではその犯人・池田輝興はその後どうなったのか?
事件の直後に改易され、その身柄は他家お預けの扱いになりました。
殺人犯でありながら切腹を申し渡されなかったのは、おそらくは
「発狂」が原因とされたからでしょう。
今風なら「責任能力は問えない」という判断なのかもしれません。

ですから、多分のことですが、輝興のこの後はお預けの身として座敷牢か、
あるいはそれほどではなかったとしても、ほぼほぼ「軟禁状態」に
置かれたものと思われます。
ところが事件から僅か二年後のこと、その輝興が罪人という立場のまま
37歳の若さで死去したのです。
いくら昔のこととはいえ、その年齢からすれば明らかに「若すぎる死」
です。

普通の入院生活ですらその通りですから、筆者にはその経験はない
ものの、座敷牢生活・軟禁状態というものはそれ以上にストレスが
溜まるものなのかもしれません。
だとしたら、輝興の死因がそうして溜まりに溜まった「ストレス」
だったことも考えられなくはありません。

しかしまあ、これは無関係な立場にある者の無責任な空想ということに
なりますが、輝興の最期も「罪人のまま死去」というほどに穏やかな
ものではなく、ひょっとしたら、家臣らによる(あの世への)
「主君押し込め」だったのではと疑いたくもなるところです。 

証拠はありません。 これはいたって当然なことで、それがあるくらい
なら、とっくに定説になっているでしょうからねぇ。
それにしても、生前は有能な施政者との評価を得ていた人物が一転、
「突如として発狂」ということですから、人間一寸先はホントに闇です
ねぇ。

さて、それはそれとして、幕末に発生した「文久赤穂事件」(1862年)。
こちらは少しばかりややこしい。
事件は浅野家廃絶後の赤穂藩の森家で起きています。
~尊王派の西川升吉(1838-1865年)を含む下級武士13名が、佐幕派の
 家老・森主税と側用人・村上真輔の2名を暗殺した~


これが事件の発端でした。 そして、その後にこんな経緯を辿ったのです。
~勤皇の名のもとに行われたこの殺人は賞賛され、逆に被害者である
 家老・森と側用人・村上の遺族が閉門の処分を受けた~

ちなみに「閉門」とは、江戸時代に武士・僧侶に科せられた刑罰の
ひとつで、住まい家の門や窓を固く閉じさせ、当人の出入りを禁じたもの
です。

そして、事件から9年後(1871年)のこと。
世の中は江戸幕府も消滅し、明治(4年)の御代を迎えていました。
今でいう「再審」もどきのものでしょうか、ともかく吟味の末に、
被害者側(家老・側用人)の冤罪が確定すると、その子であった
村上行蔵らが復讐の決意を固めたのです。

そりゃあそうかもしれません。 村上行蔵からすれば、
~父ちゃん(側用人・村上真輔)を殺したテロリストが長年賞賛されて、
 父ちゃんを殺された我らが、さらなる処罰を受けたからには、この
 落とし前はきっちりつけねばならぬ~
といったところでしょう。

そこで、村上行蔵ら4兄弟と助太刀3人の計7名がその機会を窺って
いたところ、父ちゃんの暗殺に加わった6名と同行者を加えた計7名が
紀州高野山に登るとの情報を得たことで、山中での待ち伏せに及びました。

こうして山中作水峠で「高野山での果し合い」、少し西部劇風の呼び方を
するなら「高野の決闘」が行なわれました。
そして、そのことによって村上兄弟は悲願の仇討ちを果たすことが
できたわけです。

しかし、お話はこれだけでは終わりませんでした。
この仇討ち行為を知った明治新政府が動いたのです。
~明治の御代になったのに、相も変わらず「仇討ち」を繰り返している
 ようでは、我が国は先進諸外国の笑い者になってしまう~


そこで2年後の1873年(明治6年)には「復讐ヲ厳禁ス」とするいわゆる
「敵討禁止令」を発布したのでした。
ですから、村上兄弟によるこの「高野の決闘」?が、日本における
「最後の仇討ち」ということになりました。

お話を「赤穂事件」に戻しますが、今回取り上げた「正保赤穂事件」
「元禄赤穂事件」「文久赤穂事件」を別にして、江戸時代における
ホントの「三大赤穂事件」って、アナタはご存知ですか?

おそらくご存知ないでしょうから先にご披露しておけば、古い順に
享保赤穂事件/寛政赤穂事件/天保赤穂事件、となりますが、
既にお気づきの通り、これはセンスも意味もない、トンデモな言葉遊び
に過ぎませんから、充分に御留意くださいな。




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