日本史の「トホホ」29 DeusもGodも神ですか?

 Jesus_Chris_01.jpg イエス・キリスト

日常ではそれほど頻繁に使う機会はないものの、とんと聞き慣れないという
ほどでもない「八百万神」(やおよろずのかみ)という言葉に、たまたまの
ことぶつかりました。

ただし、この場合の「八百万」は実数を表しているわけでもなく、たとえば、
(江戸の)八百八町/(大坂の)八百八橋/(アナタの)嘘八百/などと
同様に、どれもが単に「メッチャ多い」ほどの意味で使われています。

そう、日本には実にまったく大勢の「神様」がおられるのです。
ですから、本来なら「神(様)」というよりは、間違いなく複数(大勢)
であることを表している「神々」くらいの表現の方が適切なのかも
しれません。

一方、キリスト教聖書に登場するのは英語ならGod、ラテン語ならDeusで、
こちらは日本のおける数多の神々という概念とは根本的に異なり、
「唯一絶対の存在」を表した言葉です。
ところが、この「God」(Deus)を、現在ほとんどの日本語訳聖書が「
と訳しているそうです。
「God」(Deus)を「神」とするこの日本語訳には、宗教に疎い筆者ですら
実は大きな疑問を感じています。

なぜなら、「神」という言葉を使えば「八百万」もの(複数形で表される)
「神々」の中の御一人をイメージするのがまあ普通で、これではキリスト
教の教義にある肝心要の「唯一絶対の存在」という意味合いがまるで
伝わっていないからです。

おっと、しまった、人間ではない神様を「一人/二人」と数えることは、
とんと失礼な間違いで、「一柱/二柱」が正しいのでしたっけ。
ともかく、「八百万神」という呼び名にも使われている「神」という名称を
借用?しているようでは、「唯一絶対の存在」という概念が伝わらない
ばかりか、ウッカリしようものなら「八百万神」の仲間の一柱と受け止め
られかねない危険さえあるわけです。

日本に伝わったばかりのごくごく初期の頃には、そうした点については、
キリスト教側自身も、それなりに敏感な神経を働かせていたようです。
~「God」(Deus)とは、ウジャウジャいる「八百万神(々)」とはまるで
 違う存在ということを日本の民にバシッと分からせるには、さて
 どのような日本語を当てたらよいものか?~

全部を並べることはできませんが、こんな訳語もあったようです。

カトリック教会では「天主」、プロテスタントでは「真神」。
「天主」とは文字通り「天の主」の意味であり、「真神」とは「神々」を
超越した存在であることを意味したかったのでしょうから、現代のように
単に「神」とするよりは数段上で、少なくとも「オンリーワン」という
概念を強調したいとする意識は感じ取ることができます。

こうした訳語問題は日本だけではなく、たとえば1840年から1850年に
かけてのお隣中国の清朝時代(1616-1912年)にもあったようです。
この時はイギリス宣教師派が「上帝」を、アメリカ宣教師派が「」を
推し、二種類の訳語が候補に挙がりました。

現在は「上帝」という言葉をあまり耳にしませんから、おそらくは「神」
がこの対立に勝利したということなのでしょう。

19世紀の時点でも、これだけの苦労をしていたのですから、それより以前、
たとえば 日本に伝来ホヤホヤだったころの戦国時代のキリスト教は、
もっと苦労したはずです。

何しろ「八百万神(々)」を、空気のように当たり前としている日本民族に
それとはまったく別の「唯一絶対の存在」という概念を理解させなくては、
ならないのですから、その御苦労は察するに余りあります。


 dainichi_nyorai_01.jpg 大日如来像

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日本の「神々」よりもっと上の存在って、どんな言い方かあるのだ?
知恵を絞った末に、当時の宣教師の一人フランシスコ・ザビエル
(1506-1552年)が採用した訳語は「大日」でした。

どうやら、来日前に現地にいた日本人・ヤジロウ(1511?-1550年)と
問答を重ねた末に得た結論だったようです。
「大日」を選択した理由は、おそらくはすべてを超越した「唯一絶対の存在」
という概念を強調したかったからと思われます。

確かに「八百万神」の仲間ではなく、しかも「大日=最高の如来」という
信仰もありましたから、ある意味神経が行き届いた選択でした。
ところがギチョン!

「最高の如来」という定義では、オンリーワンの存在を意味することには
ならないのです。
なぜなら、阿弥陀/薬師/釈迦など、「大日」の他にも大勢の如来様が
おられるからです。

事実、「大日」という名称を当てたことで、日本の僧侶には
~キリスト教とは仏教の仲間である~などとの、幾分トホホな誤解を生み、
そうした誤解の上での歓迎もされました。
「大日」という言葉が大きな誤解を生んでいると気づいたザビエル側は、
あわてて別の言葉を用いるべく思案せざるを得ませんでした。

~日本語でなんとお呼びすれば、日本いる数多の神々や数多の仏々とは 
 まったく異なる「唯一絶対の存在」ということを分かってもらえる
 ものか?~

親切心で日本語に直せば、また新たな誤解を生みかねない不安もあったの
でしょう。
そこで、ラテン語Deusをそのまま用いた「デウス」にしました。

ですから、この後の教えはこうなります。
~「大日」を拝んではなりませぬ。 デウスを拝みなさい~
この豹変ぶりには、日本人僧侶たちも呆気にとられ、
~昨日までは「大日」を拝めと言っておきながら、今日からは「デウス」
 を拝めだと! 冗談じゃねぇぞ、本仏がこんなにコロコロ変わるなんて、
 ひょっとしてキリスト教とやらは筋金入りの邪教じゃあるめぃか?~


ザビエル側も大いに戸惑ったことでしょう。
~数多の「八百万神」数多の「如来」を抱え込むよりは、
 「唯一絶対の存在」だけを信じることの方がよほどシンプルなのに、
 それがなぜ日本民族はできないのだ!~


しかし、昔の昔から「八百万神」でやってきている日本人からすれば、
こんな教えでは素直に納得できるものではありません。
~君たちの「八百万神々」や「如来たち」のすべては間違い・邪教で
 あって、正しいのはデウスだけッ!~
 

どこまで行っても平行線です。
そこでキリスト教側も、ついには尻を捲ります。
~面倒だから、DeusもGodも「神」と訳しておけばいいじゃないか。
 どうせ偏狭で頑固げ一徹な日本人の奴らは聞く耳を持たないのだから~


すると、日本人側は日本人側で、
~キリスト教自身だって「神」と主張しているのだから、キリストさん
 とは、やっぱり「八百万神」の仲間の内の一柱に違いあるめぇ~


こういう齟齬の根本部分が未解決?になっているのが原因なのか、
信仰の自由が完全に保証されているこの21世紀になってすら、日本に
おけるキリスト教の信者さんの数は日本人全体の1%程度に留まっている
とのことです。

そうしてみると、
~新しい概念であったはずのDeusもGodも、日本の「八百万神」という
 言葉にある旧来の「神」と訳して済ませちゃった~
ことは、布教活動の
 歴史的な面からしてもメッチャ「大いなる怠慢」だったのかも。




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