日本史の「トンデモ」04 本願寺籠城戦と水軍激突

織田信長(1534-1582年)と本願寺11世・顕如(1543-1592年)の激突、
いわゆる「石山合戦」(1570-1580年)の、その中盤では「天王寺の戦い」
(1576年)が繰り広げられました。
そして、これに勝利した織田軍は摂津国方面の軍事的優位を確実なもの
とし、逆に負けた本願寺軍は本拠地・石山本願寺への退却を余儀なくされ、
以後は打って出ることもなく、籠城戦に持ち込んだという節目の戦闘です。

「寺」に「籠城」というのも、日本語としては何やら変な表現ですが、
当時の本願寺は単に信徒衆が集まるだけの穏やかな場所というよりは、
現代風ならさしずめ、一大軍事基地であり超巨大要塞ともいうべき構えを
備えていました。
そのこと加味するなら「籠城」という表現もそれほど場違いではありません。

しかし、そんな籠城基地に向かって闇雲に攻撃を掛けたなら、自軍の損害も
ハンパではないことが目に見えていますから、さすがの信長もいささか
決断をためらいます。

そこで、強行策に代わる方法として、情報や物資が城内に渡ることのない
よう、本願寺を完全包囲下に置く作戦を選択したのです。
城外との関りをすべて遮断し、それを長期間続けるなら、やがては食料も
欠乏し立て籠もった者たちも音を上げるに違いないからです。
しかし、いつまで経ってもそうした気配が伝わってきません。

なにかヘンだ。
分かってみればそれもそのはずで、本願寺は毛利輝元(1553-1625年)に
援助を要請し、それを受けた輝元は兵糧・弾薬を封鎖された本願寺の
「城内」に運び込むために、「村上水軍」などの兵力を動員していたのです。
そうはさせじと、今度は織田軍側が配下の「九鬼水軍」にその航路封鎖を
命じました。

こうなれば、両軍の正面衝突はさけられません。
そして、ここから先のお話には、「焙烙火矢」や「鉄甲船」など目新しい
武器・戦闘も登場して興味津々の展開になるのですが、その前に、
ここに登場した「水軍」という存在に注目してみます。

さて、この「水軍」って、そもそもいったい何者なの?
陸軍でも海軍でも空言でも、ましてや昨今話題の宇宙軍でもなく「水軍」
ですから、なんとなく分かるようでなんとなく分からない、というのが
大方の感想かもしれません。 なんでそんなことが言えるのか?
いえね、なんてことはありませぬ、筆者自身がその通りだからです。

余談はさておくとして、その「水軍」についてちょっと調べてみると、
~中世、瀬戸内海で活躍した海賊衆~と説明されています。
これではイマイチ理解が及びません。
そこで、さらに深追いをしてみると、
~海賊衆は守護大名や戦国大名と主従関係をもち、海上軍事力を
 構成した組織集団の「水軍」をいう~


要するに、先の本願寺の航路封鎖作戦の場合なら、
毛利輝元配下の「村上水軍」が本願寺への物資搬入を担当し、
織田信長配下の「九鬼水軍」がその阻止に努めたということになりそうです。
大名と主従関係があるということなら、普通の武士を「陸の武士」と
見立てた場合の、要するに「水の武士」ってことになるのかぁ?

しかし、「水の武士」ではついつい「河童」を連想してパッとしない感じも
あるので、むしろ「船の武士」ほどの表現の方が無難なのかもしれません。
ということで、気持ちを新たにして、その「船の武士」つまり「水軍」に
ついて、さらに追っかけを続けてみると、こんな説明にぶつかりました。
~本来海賊は権力に組みこまれることを好まない存在であった~

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鉄甲船/九鬼嘉隆

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なんでやねん? それは、なぜかと言えば、
~輸送、航行船の破壊・略奪や信書の開封・破棄等を通じての同盟関係の
 分断などを主な活動としていた~
 こうしたことばかりではありません。
~航行の安全を保障する代わりとして関所もどきに通航料を徴収した~

では、他人様から金品を奪うばかりを生業としていた根っから部無頼漢で
あったかと言えば、この辺は微妙で、~平時は漁業にも従事した~
しかしまあ、全般的に眺めるなら、権力に背を向けたライフスタイルを
モットーとしていた衆ということになりそうです。
ではそれがなぜ、大名と主従関係を持つようになったのかしらん?

当然に抱くであろうこの疑問については、概ねこんな意味の説明になって
います。
~実力をつけ始めた戦国大名が、その支配力を領国内の浦々や港湾や
 さらには海に注ぐ河口近辺にまで及ぼすようになると、~

要するに、大名にとって領地の掌握とは、田畑のある陸地だけでは充分では
なく、「水辺」へも拡大する必要が出てきたということで、
~そうした所を根城とした海賊は、既得権の保証を大名権力から受けて
 家臣や警護衆になったりして、次第に封建家臣に変身していった~


要するに、古い言葉なら「持ちつ持たれつ」、最近の言い方なら
「ウィンウィン」もどきの関係を構築したイメージになるのでしょうか。
こうした背景があって、本願寺籠城作戦においては、本願寺・毛利軍側が
「村上水軍」の力を、またそれに対峙する織田軍側は「九鬼水軍」の力を
用いたということになりそうです。
実はこの時の「水軍」同士の激突は、相当に規模の大きいものでした。

兵糧・弾薬を籠城する本願寺側に運び込もうとする村上水軍は600艘
ほどの船団で大坂の海上に現れたのに対し、織田方・九鬼水軍は300余艘の
船団で木津川河口を封じ、その阻止を図りました。
いわゆる「第一次木津川口海戦」(1576年)です。

実はこの戦闘で織田方・九鬼水軍はボコボコにやられてしまいました。
なぜなら、村上水軍は「焙烙火矢(焙烙玉)」という武器を駆使して、
九鬼水軍の数多の船舶(木造船)を遠慮なしに焼き払ったからです。

さて、ここでも「焙烙玉」という聞き慣れない言葉が登場しましたから、
またまた寄り道をしてみると、
~火薬を用いた兵器で、焙烙(土鍋)もどきの陶器に火薬を入れ、
 導火線に点火して敵方に投げ込む、現代でいう手榴弾のような兵器~


ということなら接近戦でしか使用できない印象ですが、どっこい補足の
説明部分には、
~手で直接、もしくは縄を付けて遠心力を使った投擲が行われ、敵兵の
 殺傷を主目的としたが、付随して周辺の木造部分へ引火することもある~

九鬼水軍の船舶の多くが、この「引火」の犠牲になったということです。

しかし、このままでは織田信長の顔は丸つぶれですから、当然の如く
リベンジを目論みました。
~信長は九鬼水軍の親玉・九鬼嘉隆(1542-1600年)に命じて、焙烙玉が
 効かない鉄甲船を6艘建造させた~

鉄甲船とは、船体に鉄板を張り巡らせた船舶のことです。

なるほど、「第一次木津川口海戦」の敗因は、木造船が燃えたこと
でしたから、鉄板張りの鉄甲船なら焙烙玉による引火のリスクを
小さくできると踏んだわけです。
そして「第一次」から二年後のこと、前回とほぼほぼ同じ場所において
いわゆる「第二次木津川口海戦」(1578年)が繰り広げられました。
この時の九鬼水軍は、完成した6隻の鉄甲船の活躍によって、今度は逆に
敵方・村上水軍ををボコボコにしてやり返しました。 

時間にして午前中の四時間ほどで決着を見た会心の勝利でしたから、
見事に汚名返上です。
味方水軍の敗北によって、おそらくは頼りの物資補給がうまく機能
しなくなったのでしょう、この海戦の二年後に本願寺は、ついに事実上の
降伏を表明するに至りました。
城内物資が枯渇してしまっては、籠城作戦が続くハズもありません。

ただしこの「鉄甲船」については、ちょっとした補足が加えられています。
~この船が鉄甲船であったことを確認できる史料が「多聞院日記」以外に
 発見されておらず、またその「多聞院日記」の記述が伝聞と考えられる
 ことから、この船が鉄甲船であることを疑う意見も根強くある~


しかし、筆者は「鉄甲船は史実」と捉えています。
なぜなら、「船に鉄板を張りつける」なんて、奇抜で突飛でトンデモの
極めつけのようなアイデアは、「多門院日記」の書き手を含め、まあ普通の
人間には、チョックラチョイで思いつけることではないと思うからです。
その意味からも、要するに創作である可能性は極めて低いと判断している
というわけです。



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