日本史の「発明発見」25 神の座へ三英傑の三段跳 筆者の生息地・愛知県では、戦国の天下を動かした下記の武将トリオを 「郷土の三英傑」として称えています。 尾張・織田信長(1534-1582年) 革新政策/関所撤廃・楽市楽座など 尾張・豊臣秀吉(1537-1598年) 集権体制/貨幣統一・兵農分離など 三河・徳川家康(1543-1616年) 幕府創立/天下統一・武家諸法度など … 気持玉(0) コメント:0 2019年11月30日 織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 続きを読むread more
日本史の「列伝」12 生前没後もユニーク履歴 北近江の戦国大名であった浅井長政(1545-1573年)の経歴を眺めていくと、 いくつかユニークな点があることに気が付きます。 その第一は、やはり時天下統一を目指していた尾張国・織田信長(1534- 1582年)との関りということになるのでしょう。 信長の妹である「お市の方」(1547?-1583年)を妻として娶った 人物… 気持玉(0) コメント:0 2019年11月25日 浅井長政 お市の方 織田信長 続きを読むread more
日本史の「異国」08 日本国王は辞退します 昔の昔、日本の卑弥呼の時代(紀元3世紀)よりもさらに500年ほど昔と いうことになりますが、紀元前3世紀頃の中国大陸では、諸国どんぐりの 背比べの中から抜け出した秦(前221-前206年)が抜け出して統一国家を 実現しました。 つまりこの時、勝者・秦の国王は敗者である諸国の国王の上に立ったと いうことになります。 こうな… 気持玉(0) コメント:0 2019年11月20日 日本国王 中華思想 柵封体制 続きを読むread more
日本史の「タブー」12 使者はなぜ殺されたのか 「蒙古襲来」あるいは「元寇」という当時の日本国にとって歴史的な 大事件は、概ねのところこんな説明になっています。 ~日本の鎌倉時代中期に、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として 東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国(元朝)およびその属国 である高麗によって二度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である~ 早い… 気持玉(1) コメント:0 2019年11月15日 北条時宗 軍事政権 元寇 続きを読むread more
日本史の「トンデモ」04 言霊商標の平和万能薬? 1945年以降の、いわゆる「戦後日本」は戦争に対する猛省という意味合いも あってか、「何にもまして平和」を重視する姿勢に転じました。 戦争よりは平和の方をありがたく思うのは人の常ですから、これはこれで 評価されるべきことでしょう。 そうした風土にあって、「戦後日本」はさらに「平和構築」を目的とした 多くの思想・政見も登場さ… 気持玉(0) コメント:0 2019年11月10日 言霊信仰 戦後日本 非武装中立 続きを読むread more
日本史の「ライバル」04 神々の悠久なるリベンジ 列島民僕にとってはまったく目新しい宗教と言っていい「仏教」が、 百済王からこの地に伝えられた(公伝)のは548年のこととされています。 これが正しければ、我が国においては第29代・欽明天皇(509?-571年)の 時代ということになりますが、もっともその時期については他にも 538年説、552年説など諸説あって、実際のところはイ… 気持玉(0) コメント:0 2019年11月05日 怨霊信仰 本地垂迹 神仏習合 続きを読むread more