日本史の「列伝」12 生前没後もユニーク履歴

北近江の戦国大名であった浅井長政(1545-1573年)の経歴を眺めていくと、
いくつかユニークな点があることに気が付きます。
その第一は、やはり時天下統一を目指していた尾張国・織田信長(1534-
1582年)との関りということになるのでしょう。

信長の妹である「お市の方」(1547?-1583年)を妻として娶った
人物こそ、誰あろうこの長政でした。
「お市の方」は聡明というばかりでなく、「戦国一の美女」と評される
ほどの美貌も備えていたそうですから、この婚儀は周囲の大きな関心・
注目を集めたに違いありません。

ただ、この縁談は天から降って湧いたというお話でもなく、信長の側にも
それなりの事情がありました。
京へ行き来するための幹線ルートとして、この北近江の地を一種の
「安全地帯」にしておく必要があったのです。
京への行き来が不自由ということであっては、天下統一などとてもじゃ
ないが覚束きません。

さて1568年のこと、織田信長は将軍家筋にある足利義昭(1537-1597年)
を奉じて上洛しました。
その義昭を将軍の座に就けることで、その将軍の命令という形をもって
越前国・朝倉義景(1533-1573年)に対して、二度にわたって上洛を命じました。
ところが義景とてそれが将軍・義昭の意向ではなく、本当は「信長の算段」に
過ぎないことを見抜いていますから、素直に従うはずもありません。

そこで信長は、「朝倉義景に叛意あり」との理由を立て、同盟関係にある
徳川家康(1543-1616年)と連合軍を編成し攻撃(1570年)に出ました。
要するに、「将軍・義昭様の命に逆らう者はこの信長が成敗するゾ」
という意思表示の行動です。
標的となった義景はたちまちにして追い詰められて万事休す。

ところがこの時、何ともアンビリバボーな逆転劇が起こりました。
なんと義弟・浅井長政が信長を裏切り、義景の味方に回ったのです。 
まったく「想定外」の展開であり、突然に背後を襲われる形になった信長は
態勢を立て直す術さえなく、一目散に京へ逃げ帰るハメとなりました。

必死に逃げる信長一行、それを追撃する朝倉軍。
普通なら、信長はここで落命していたに違いありません。
ところが、このとき信長側の殿(しんがり)を務めたのが木下秀吉
(羽柴後に豊臣/1537-1598年)だったのです。
この殿軍・秀吉の奇跡的な奮戦が功を奏して、信長はようやくのこと、
落命だけは免れることができました。

この出来事は、当の信長に心根にメッチャ大きな衝撃を与えました。
そりゃあそうでしょう、よりにもよって妹の夫、つまり義弟であり、
さらにはバッチリ同盟まで結んでいた者が突如として裏切り、牙を剥いて
襲い掛かってきたのですから衝撃を受けないはずがありません。

では、これほどまでに「厚遇」されていた浅井長政はなぜ裏切ったのか?
なんとも不可解な運びに感じられますが、どうやら、この顛末には長政
自身の心情よりは、むしろ「浅井家」の事情が大きく絡んでいたようです。

一口に言えば、この「裏切り」は長政自身の意思ではなく、信長との同盟に
反対していた家臣達が、隠居の身にあった前当主・浅井久政(長政の父/
1526-1573年)をかつぎ出したことによるとされています。
そうであったにせよ、最終的には長政が義兄・信長を討とうとする行動に
出たことには変わりはありません。

さて、この出来事から三年ほど経った1573年のこと。
態勢を立て直した信長は再び北近江・浅井長政に攻め寄りました。
京へのルートであるこの地を手中に収めないことには天下統一なぞ
望むべくもありませんから、信長には信長の執着があります。

浅井長政01.jpg oichino_kata_01.jpg
  浅井長政/  お市の方/

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長政から援軍要請を受けた朝倉義景も駆け付けました。
しかし今度は、戦況劣勢のまま越前国への撤退を余儀なくされ、追撃した
信長軍によって壊滅させられ、挙句に朝倉氏は滅亡に至ったのです。

この直後には、今度は小谷城(現・滋賀県長浜市)で籠城作戦を取っていた
浅井長政が追い詰められ、ついには自害。
ここで浅井家も滅亡に至りました。
そして、翌年正月に信長が見せた振る舞いが、現在でも多くの日本人から
批判・非難を浴びています。

「信長公記」(太田牛一)には、このように記録されています。
~翌年(1574年)の正月、内輪の宴席において、「薄濃」※にした
 朝倉義景・浅井久政・浅井長政の頭蓋骨を御肴として、白木の台に
 据え置き、皆で謡い遊び酒宴を催した~

※「薄濃」(はくだみ)→漆塗りに金粉を施すこと。

別の記録には、~これらの髑髏を杯にした~(オエッ!)との記述もある
ようですが、これが事実かどうかはともかく、信長に敵対した朝倉義景・
浅井久政・浅井長政の三人が死後に髑髏となって、何らかの形で信長の
宴席に出されたのは事実のようです。

確かに現代日本人の常識からすれば、あまりに過激で非道に感じられる行為
ですから、信長に対する大きな批判・非難になるのは無理もありません。
「信長は常軌を逸した偏執狂」という見方です。

しかし、仮に信長がそういう性癖を持つようになったのが事実だとしたら、
「浅井長政の裏切り」が大きな原因になっているはずです。
ここから、いわゆる「信長包囲網」(反織田信長連合)が構築され、
天下統一の目論見を妨害されたばかりか、自らの命さえ失いかねない
局面にまで追い詰められたのですから、こうした経験が無関係である
はずがありません。

ちなみに、その「信長包囲網」とは、本願寺・比叡山延暦寺などの武装宗教
勢力ばかりでなく、この浅井長政や朝倉義景、さらには荒木村重・
三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友道)・雑賀衆、その他勢力まで
が加わったとんでもない軍事勢力でした。

こうした形で、生前もまた没後においても、ユニークなエピソードで
語られることの多い浅井長政ですが、儲けた子供たちもまた、日本史上
特筆すべきまことにユニークな存在と言えます。

子供たちとは、長政と市の夫婦間に生まれたいわゆる「浅井三姉妹」で、
これがまた話題に事欠かない凄い顔ぶれで、年齢順に並んでいただけば
こうなります。

長女/茶々(1569-1615年) ※後の淀殿
   豊臣秀吉の側室となり、豊臣秀頼を生む。
次女/ (1570-1633年)
   若狭小浜藩主・京極高次の正室となる。
三女/ (1573-1626年)
   江戸幕府第二代将軍・徳川秀忠の正室(継室)となる。

ですから、以後の歴史の流れを語るとき、こんな言い方もできそうです。
~三女・江が嫁いだ徳川家が、豊臣秀吉亡き後を実質的に仕切る長女・
 茶々(淀殿)の豊臣家との衝突を「関ヶ原の戦い」(1600年)という~


この辺りまでは、歴史の知識として知らないわけではありませんが、
別の角度から眺めると、さらにはこんなことにも。
~豊臣秀頼の「外祖父」に当たり、第三代将軍・徳川家光の「外祖父」
 にも当たる人物、それが浅井長政である~
 ゲッ、凄いじゃん。

もっとマニアックな点を突くこともできそうです。
~その将軍・家光の妹・和子は、なんと第108代・後水尾天皇(1596-1680年)
 の皇后となり、生まれた子供が、実に859年ぶりの女性天皇である
 第109代・明正天皇(1624-1696年)である~


ということは、戦国武将・浅井長政は明正女帝の「曽祖父」ってことに?
言い換えるなら、敗軍の将・浅井長政の血は天皇家にも流れてるってか。
普段は、朝廷世界と武士社会の人脈が交錯するなんてことは、あまり思い
浮かべないものですが、必ずしもそうと決めつけたものでもないことが、
この浅井長政の経歴を通じてよく分かります。

さて、ここから先は、実はどうでもいいことなのですが、この浅井長政
浅野長政(1547-1611年)/豊臣政権五奉行筆頭。
山田長政(1590頃-1630年)/シャムの日本人町の頭目として活躍。
を加えたこの三人の長政を先の「三好三人衆」に倣った歴史用語で、
「長政三人衆」と表現する・・・てなことはありませんよ。
なぜならこんなもん、筆者の思い付きの口から出まかせに過ぎないからです。



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