日本史の「発明発見」24 イロハのイの字は?

当時はまだ日本とは呼んでいなかったでしょうが、現代でいういわゆる
「日本民族」が、文字を使うようになったのは、いったいいつ頃のこと
なのか。
この文字自体についても、「すでに列島では独自のものがあった」など、
いくつかの解釈も成り立ちそうですから、ここはズバリ「漢字」として
おきましょう。

それにも実は諸説あるようで、たとえばこういう説明にもぶつかります。
~それを文字として認識できたかどうかは別として、入って来たのは
 1世紀頃ではないか~
 
諸説あるということは、当然これとは別の見解も存在するわけで、
~3世紀頃のものだと考えられる土器にはすでに漢字が書かれたものも
 あるが、それを文字と認識できるようになったのは4世紀後半くらい?~


要するに、伝っていたのはかなり早い段階ということになりそうですが、
~伝わっていたとしても、それを受け手(日本人)側が文字との概念で
 受け止めていたとは限らない~と言うことなのでしょう。

しかし、当時の人たちにとって、メッチャ便利なツールだったはずです
から、次第に定着していったことは間違いありません。
その「便利発見」?の最初の部分の作業は、上の説明によれば
「4世紀後半くらい?」には始まっていることになります。

しかし、便利さばかりでなく、自前の「言葉」を外国製の「文字」で
書き表そうとすることは、それなりの難儀が伴うのは当然です。
ハッキリ言って「木(日本言葉)に竹(漢字)を接ぐ」作業に
他なりませんから、結構複雑で、そのため当初は発音されるその音に
対して一文字を充てるスタイルで対応したようです。

この「木に竹を接ぐ」作業は、必ずしも便利とまでは言えないにしても、
「記録を残す」という従来にはなかった成果をもたらしました。
「文字無し」の旧世界からすれば、画期的な新世界です。
その後、廃ることなく、次第に文字が復旧していった事実が、その
新世界が歓迎されたことを証明しています。

こうした「便利さ」に気が付くようになると、「もうちょっと便利に」と
考えるのは人間の常で、そうした意識はこの場面でも発揮されました。
何しろ、漢字は一文字一文字の画数が多いことは間違いの事実ですから、
この辺の不便さの解消を模索することになります。

この部分の効率化を模索する中で、「書くのに難儀な漢字文字」の他に
「書くのに容易な(漢字以外の)文字」に対する欲求が高まったわけです。
結果からすれば、おそらく数えきれないほどに多種多様な試行錯誤が
あったものと想像されますが、そうした中から最終的には、以下の二つの
方法が生き残りました。

いや、生き残っただけでなく、本稿の文字の並びを見ても分かる通りに、
現代でも使われ続けているほどに優れた進化を遂げたのです。
その一つは後に平仮名(ひらがな)と呼ばれるようになり、その進化に
ついては、この程度の説明がされています。
~漢字の草(書)体から作られた草仮名(そうがな)をさらに簡略化した
 もの~


言葉に直すと、随分と面倒くさい印象になりますが、それはもう一つの
片仮名(カタカナ)も同様で、
~ひらがながその極度の草体化によって生れたのに対し、カタカナは
 その略体化によって生れた~
とされています。

もっと乱暴に言い切るなら、こんな感じになるのでしょうか。
平仮名(ひらがな)→草書漢字のデフォルメ。
片仮名(カタカナ)→漢字の一部分をピックアップ。

などと、妙にややこしいい説明を加えているよりは、具体例を示した
ほうが話が早そうです。

kana_hiragana_01.jpg kana_katakana_01.jpg
平仮名(ひらがな)/片仮名(カタカナ)

 既読クリックを→ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ ←にほんブログ村



たとえば、「いろは(イロハ」」の最初の文字「い/イ」は、漢字「以」
の草書体がひらがな「い」の字に変化し、カタカナ「イ」の字は漢字「伊」
の人偏から生まれたとされています。
なるほど、上の説明の通りに、ひらがなは漢字の「草書体」であり、
カタカナはその「一部分」を採ったものになっています。

なるほどなぁ。
その作業内容が面白いので、ついでのことに、次の「ろ/ロ」も覗いて
みると、ひらがな「ろ」は漢字「呂」の草書体から、カタカナ「ロ」は
同じく漢字「呂」の上部分を採用したものになっています。

つまり、ひらがなとカタカナでは、元になる「漢字」が異なる場合も同じ
場合もあるということのようです。
さて、それはさておき、ではこうした「ひらがな/カタカナ」はいつ頃から
使われるようになったのか?
そこで探ってみるとこんな説明にぶつかりました。
~ひらがなが公的な文書に現れるのは、「古今和歌集」(905年)が最初
 である~


これを逆から言うなら、公文書以外の場面ではもっと早くから使われていた
ということになり、確かにこんな説明もされていました。
~すでに8世紀末の正倉院文書には、字形や筆順の上で平安時代の平仮名と
 通じる、半ば草体化した借字(当て字)が記されている~


ちなみに、よく耳にはするその正倉院とは、
~奈良・東大寺にあって、第45代・聖武天皇(701-756年)と、光明皇后
 (701-760年)ゆかりの品を初めとする多数の美術工芸品を収蔵~

と説明されていますから、なるほど8世紀に間違いない。

さて、ひらがなと聞けば、筆者なぞは反射的に学校で教えられた
~書き手を女性に仮託し、ほとんどを(平)仮名で日記風に綴った作品~
である紀貫之(866?-945年?)による「土佐日記」(934年)を思い出して
しまいます。
いえね、本文などは一度も読んだことはないのですがね。

ということで、平仮名の生い立ちについては、ぼんやりながらイメージが
浮かんできたような気もしますが、それならもう一方のカタカナは?
~9世紀初めの奈良の古宗派の学僧たちの間で漢文を和読するために、訓点
 として借字(万葉仮名)の一部の字画を省略し付記したものに始まる~

と考えられているそうです。

ただし、漢字の一部を使いその文字の代わりとして用いることは、もっと
早く7世紀中頃から見られるとも説明されていますから、こちらも長い
時間をかけて進化してきたのでしょう。

ひらがなで書かれたものが美的な価値をもって鑑賞されるに至ったのと
比べると、カタカナの方は記号的・符号的性格が強いため、当初は字体に
個人差・集団差が大きく、10世紀中頃までは異体字が多くあったようです。

それが、時代を経るに従って字体の整理が進み、12世紀には現在のそれと
近いものになったとされていますから、こちらもひとつの文字体系として
認知されるまでにはそれ相応の時間を費やさなければならなかったことに
なりそうです。

いささか蛇足ですが、この片仮名は平仮名に比べ学問的傾向が強い印象に
なり、そのため、戦前の日本ではより正式な文字とみなされました。
結果として、法令やその他の公文書で用いられ、教育面でも平仮名に先行
して教えられようになりました。

しかし現代では、このカタカナは、むしろ外来語の発音を書き取る場面で
重宝しているのかもしれません。
ただし、「ligit」(光)も「rigit」(正しい)も、カタカナだと同じ
「ライト」になってしまいますし、人名の「Gene」(男名)も、
「Jean」(女名)も同じ「ジーン」との表記にされていますから、外国語と
日本語をダイレクトに結び付ける作業は、さすがのカタカナにも少し荷が
重い雰囲気があります。
こうなると、こんどは「アルファベット」も日本文字にしてしまう?

それはさておき、このこともとんと知りませんでしたが、
~「アルファベット」という言葉は、ギリシア文字の最初の2文字の
 読み方「アルファ」と「ベータ」に由来する~

そうですから、日本語で言うなら、まさに「イロハ」という言葉に該当
していることになりそうです。


 既読クリックを→ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ ←にほんブログ村


--直近の記事------------------------
597 日本史の「付録」11 アウェイ戦はか負け続け
   身に丈に合わない所業?
596 日本史の「ライバル」03 源氏と平家は好対照物語
   とっても違う源平物語
595 日本史の「忘れ物」28 歴史人物だって浮き沈む
   往年の大スター今マイナー
594 日本史の「異国」07 朱と黒の幕末意地っ張り
   分かり合えない譲れない
593 日本史の「世界標準」26 国際派?KOBANの知名度
   交番制度に世界が注目?
592 日本史の「トホホ」28 大没落に遭遇した管領家
   名家を襲った下剋上の波
591 日本史の「アレンジ」20 草書風な五十三次宿場町
   名称にも草書はある?



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント