日本史の「異国」07 朱と黒の幕末意地っ張り

「紅白」あるいは「赤と白」と言われたら、めでたい折に出される
「紅白饅頭」とか、大みそかの恒例番組「紅白歌合戦」、さらには、
歴史好きな人の中には源氏の白旗、平家の紅旗を思い浮かべる向きもある
かもしれません。

では、それが「赤と黒」だったら?
小説「赤と黒」を思い浮かべる方も少なくないでしょう。
ただし、おそらくはそのタイトルだけで、中身まで読破した方は、その中
でも少数派のはずです。
何を隠そう、かく申す筆者自身とて、決してその例外ではなく、作者・
スタンダール(1783-1842年)が、日本では江戸時代の頃に生きた人物だと
知ったのは、まさにたった今この瞬間のことです。

要するに、老中・松平定信(1759-1829年)の主導による幕政改革、いわ
ゆる江戸幕府・三大改革の一つ「寛政の改革」(1787-1792年)の頃のこと
ですから、結構昔々の時代の人物であり文学作品ということになります。

考えてみれば、同じ時代の日本の松平定信の自伝「宇下人言※(うげのひと
こと)」だって読んだことがないのですから、そうした筆者が、同じ時代の
海外作品である「赤と黒」を読んでいなくたって、別に不思議なことでも
ありません。
※名の「定信」の文字を分解すると「宇下人言」になるとのこと。

では、こうした流れの中で、ちょっとフェイント気味に「朱と黒」と尋ね
たら、どんな答えが返ってくるのでしょうか。
そう、ここから先のお話を進める都合もあって、筆者が期待しているのは、
「朱子学と黒船」という非常にベタな答えなのです。

蒸気船2隻を含むアメリカ海軍の艦船4隻が、浦賀に現れた、いわゆる
「黒船来航」は、日本政府(幕府)に大きな衝撃を与えました。
~泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず~
その時に作られた狂歌ですが、表向きには「上喜撰」(高級茶の銘柄)を
4杯飲んだら眠れなくなっちゃった、いう意味を詠んでいます。

ところが、もうひとつ、蒸気船つまり黒船がたった4隻、浦和に現れた
だけで、慌てふためいている幕府の姿を皮肉ってもいるのです。
幕府が「慌てふためい」たのだから、国民だって同様に「慌てふためい」
たハズだと思うのはちょっとした錯覚で、付近の住民はその「黒船」を
恐れるどころか、逆に大きな好奇心を寄せ、小舟を漕ぎ出して目の前で
見物するという者も少なくなかったようです。

しかし、幕府は、そんなのんきなことは言っておれません。
「泰平の眠りを覚ます」こと、つまり鎖国体制を放棄するなんぞは、
メッチャ「悪い行い」だからです。 でも、そんなふうに誰が決めたの?
やれやれ、ここまでの話の流れや今回のタイトルからしても、それが
「朱子学」であることは一目瞭然ではありませんか。

江戸幕府を支える官僚のほとんど100%が、いわゆる「朱子学原理主義者」
です。
それは無理もないことで、幕府の公式学問として朱子学を採用したのが、
他ならぬ神君・家康公(1543-1616年)でしたから、朱子学に対する
研鑽を怠れば、それはすなわち神君に盾を衝いたことになってしまい
メッチャ肩身が狭いからです。

神君に対してはもちろんのことですが、親や御先祖様が行ってきたルール
を大変に重視するのが朱子学です。
そもそも、~いま、生命を備えた自分がここに存在する~ことにおいて、
唯一間違いない事実は、「その生命は親から頂いた」ことだ、と朱子学
では考えます。

こればかりは、師の御蔭でも、親友の協力でも、はたまた赤の他人の尽力に
よるものではありません。
ですから、親には絶対の感謝を捧げるべきであり、人間としての最高の徳
こそは「孝(親孝行)」ということになるわけです。

そして、自分の親にも親はいたわけですから、それを辿っていけば、
御先祖様代々にも親同様に「孝」を尽くさなくてはならないことになります。
そしてここからがちょっと厄介なのですが、自分の親や御先祖様がやって
きたことに変化を加えることは、即ち親や御先祖様を否定するた振る舞い
であり、「メッチャ悪いこと」と判定されるわけです。

黒船来航52.jpg 4天王高杉51.jpg
黒船来航/高杉晋作

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その次には、こうなります。
~(自分が大切に思っている)御先祖様たちが行ってきたこと、また定めた
 ルールは絶対に正しい~

これがいわゆる「祖法大事」という信念?信仰?になるのですが、なにせ
幕府自身が朱子学原理主義者で構成された組織ですから、この「祖法大事」
の信念?信仰?はハンパではありません。

以下は、幕府・朱子学側のことを「朱」、アメリカ・黒船側のことを「黒」
で表しますが、この「黒船来航」の折の、日米両者のスタンスにはこれほど
のズレはあったように思われます。
黒~世界が狭くなった以上、引きこもりを続けるのは、もう無理ですヨ~
朱~御先祖様がしなかったことを、我らがするわけにはいかないのです~

物の怪に憑かれたような「朱」の頑なな態度を解きほぐそうと、
黒~開国し発展させれば、素晴らしいことに貴国とて、こんなハイテク艦
  だって保有できるようになるのですヨ~

朱~御先祖様たちが使わなかった物を素晴らしいとは、まったく、アンタ
  たちは徳をわきまえぬ根っからの野蛮人だ~


要するに、科学技術の進歩発展を「素晴らしいこと」と受け止める
「黒」側に対し、一方の「朱」側はそれを「邪悪な考え、徳なき所業」と
受け止めるのですから、双方の話がかみ合うはずもありません。

「朱子学原理主義者」である当時の当事者にとって、ハイテク艦・黒船
なぞは、いささか恐怖の対象ではあったかもしれませんが、少なくとも
羨望・憧憬の対象になり得なかったことは、確かな事実でしょう。

黒~進歩発展することに、何らの興味を示さないアナタたちは、底抜けの
  アンポンタンなのか、正真正銘の野蛮人なのか~

朱~バカこくでねえ、ハイテク艦がシアワセを生むなんて、あたかも
  詐欺師のごとき言動で、到底信用に値しないッ~


そうやってお互いがツッパリをかまし合ってみるものの、最終的には
やはり、朱が黒に折れて出ざるを得ませんでした。
この当時の軍事力・経済力には圧倒的な差があるからです。
もちろん「朱<黒」という不等式になるのですが。

そういう現実が厳としてあるものの、なんとそれを無視して、「譲る」
ことを一切認めない「朱子学原理主義者」もいたのです。
要するに、話し合いや交渉を行うことの是非よりも、「外国」を相手にする
こと自体が、もうすでに「とっても、けしからぬこと」という考え方です。

これが「攘夷」、つまり外国人なんぞは追っ払え、やっつけてしまえ、
という思想ですが、これより後のこと、こちらも全国各地で結構活発に
繰り広げられました。

長州藩なぞは、この「攘夷」を実行すべくイギリス・フランス・オランダ・
アメリカの列強四国を相手に「下関戦争」(1863・1864年)を挑みました。
「夷(エビス/外国人」をやっつけるにナンボの苦労がいるものか!

気合は十分でしたが、ところがギッチョン、ボッコボコに返り討ちされる
という散々すぎる結果を味わっています。
後に長州・高杉晋作(1839-1867年)が漏らした言葉のように、これも
「朱子学では戦はできぬから・・・」の一例だったかもしれません。

ともかく、この「黒船来航」(1853年)から、いわゆる「明治維新」
(1867年)までの期間を一般的には「幕末」と呼んでいますが、
それがこれほどの長い時間になってしまったことの大きな原因に一つに、
頑迷な「朱子学信奉」があったことは間違いなさそうです。


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