日本史の「アレンジ」20 草書風な五十三次宿場町

必ず毎日というわけではありませんが、機会があれば熱田神宮界隈の散歩
することが筆者の楽しみの一つになっています。
トボトボ歩くのにほど良い距離であることも理由ですが、いつも緑に
包まれたる静閑な環境が大きな魅力でもあります。

ただ、以前に比べ、最近はその熱田神宮界隈で数人程度の旅行者
グループを見かける機会が目立って多くなってきたように感じられます。
大き目の旅行鞄(キャリーバッグ)を携えた、もっとも携えていない場合も
少なくないのですが、ともかくそうした風情のグループから聞くともなしに
聞こえてくる会話のほとんどが中国語なのです。

いえね、筆者が中国語に堪能というわけではありませんよ。
ただ、その語感がニュースや映画で見聞きする中国語になんとなく似て
いるので、独断専行でそう決めつけているだけのことです。

こんな具合に中国人旅行者が増加していることが、仲間うちで話題に
なった時、その中の(地元・熱田民族ではない)自称・他所者サンが
こんな言葉を漏らしました。
~オレからすれば、熱田神宮周辺の地名なぞはまっこと「舌足らず」な
 印象で、率直に言って「痒いところに手が届いていない」・・・えぇか
 自称・他所者のオレ自身がそう思うくらいだから、たとえば今話に出た
 インバウンド御一行様などは、さらにその感を強く持つことだろうて~


そのインバウンド御一様行って、いったいなんのことかと思いきや、平たい
言葉に直すなら、「(旅行もビジネスなども含め)海外からの訪問者」ほど
の意味になるのだそうです。
このように妙に気取った物言いは筆者の好むところではありません。

というより、新しい言葉は意味が分からないことも珍しくないわけで、
それを悟られないためにも、今回の場合も、筆者は早速のこと自称・他所者
サンにツッコミを入れます。
~なんだとぅ、いったいどこの地名がそんなに分かりにくいってんだぁ~
実際、筆者自身は普段の生活でそんな思いを持ったことはありません。

~分かりやすいところで、公共交通機関の駅名を取り上げるなら、たとえば
 省略形・行書風になっている名称も少なくなくて、地元民族以外の民に
 対してはイマイチ親切さに欠けている~

自称・他所者サンのこの「省略形・行書風の駅名」って、これはいったい
何を言っているのかしらん?
ちっとも分かりやすくないゾ。

その点を問いただしてみると、
~えぇか、よく聞けヨ。 熱田神宮に隣接した駅を持つ公共交通機関を
 ピックアップするなら、まあ、名古屋鉄道、市営地下鉄、市バスあたりに
 落ち着くだろう~


由緒ある地元民族なら、名古屋鉄道なんて気取った言い方なんかは
決してせず、すべて名鉄(めいてつ)の一言で済ませるところですが、
どうやら自称・他所者サンにはそのココロの機微までは分からないようだ。

~それでダ、その各々の隣接駅を拾い出してみるとこうなる。
 熱田神宮敷地の東側・国道を一本隔てた向こう側にあるのが、
 名古屋鉄道「神宮前」駅で、
 地下鉄なら敷地北西角方面に「神宮西」駅が設けられていて、
 さらには熱田神宮へ向かう市バスの終点バス停が「神宮東門」だ~


確かにその通りですが、このことがそのインバウンド御一行様とやらに
多大なご迷惑をかけているのでしょうか?
~自称・他所者のオレなぞは、これらの名称を次のように改称したほうが、
 インバウンド御一同様にはもっと分かりやすくなる、と主張するわけだ~

 名古屋鉄道「神宮前」→「熱田神宮前」
 市営地下鉄「神宮西」→「熱田神宮西」
 市バス停「神宮東門」→「熱田神宮東門」

~その意味からも、本来冠すべき「熱田」の部分を省略し崩している現行の
 駅名は決して楷書風とは言えず、むしろ「通じる人には通じるであろう」
 レベルの行書風と断じざるを得ない~


神宮前名鉄01.jpg 地下鉄神宮西01.jpg
「神宮前」駅(名古屋鉄道)/「神宮西」駅(市営地下鉄)

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おそらく自称・他所者サン自身にはその自覚がなかったのでしょうが、
そのご指摘に歴史的にも鋭いものがあることに、筆者はひょいと気が
付いたのです。
なんてことはありません、他ならぬ「東海道五十三次」のことです。

えぇ、普通はこの程度に説明されている「東海道五十三次」です。
~江戸時代に整備された五街道の一つである東海道(江戸・日本橋から
 京都・三条大橋まで)にあった五十三の宿場~

さらには、こう続くこともあります。
~古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や
 和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられた~


そこで、そうした物の代表作と言っていい歌川広重(1797-1858年)による
浮世絵連作「東海道五十三次」にも目を移してみると、熱田神宮界隈は
江戸・日本橋をスタート地点とした宿場番号41の「宮」としてちゃんと
取り上げられています。

この「宮」とは、もちろん「熱田神宮」のことですから、要するに、
「神宮」との略称?を用いている我ら現代人に対し、江戸期の先人たちは、
さらに縮めた「宮」という略称を使っていたことになります。

ですから、自称・他所者サンにそのつもりはなかったのかもしれませんが、
じつはこんな歴史的真理?を指摘したことになるわけです。
~熱田神宮界隈は、江戸期は草書風?に「宮」、
 それを現代では行書風?に「神宮」と呼んでいるのだから、
 ますますインバウンド御一行様の増加が予想されるこれより以後は
 楷書風?に「熱田神宮」と称するのが、国際的な気配りとしても
 妥当ではないのか~


なるほど、根っからの地元民族である筆者にはおよそ考えつかない提言で、
妙に感心してしまいました。
この点にもう少し整理整頓を加えた上で、少し気取って眺め直すなら、
こんな言い回しもできそうです。

~鎖国していた時代は草書風?の「宮」で~
なるほど、利用者の全員が日本地元民族なのですから、ここまで省略した
草書風?の名称でも何らの不便はなかったのでしょう。

~開国後しばらくは行書風?の「神宮」に~
なるほど、決して多いとは言えないものの、この頃になると日本地元民族
以外も方々もこの地を往来していますから、もう少し分かりやすくして
おく必要があったということかもしれません。

そして、
~インバウンド御一行様がメッチャ増加するするであろうこれからは
 楷書風?の「熱田神宮」を~

なるほど「熱田神宮」国際化の夜明けです。

さて、筆者のお散歩話がヨコ道へ逸れてしまいました。
そこで、逸れついでといってはナンですが、この宮宿から次の桑名宿までの
東海道唯一の海路にも触れておきます。

海路(渡し船)の出航地は、宿場の名から「宮の渡し」とも、また目的地
桑名宿(宿場番号42)までの距離を表した「七里の渡し」とも呼ばれた
その場所は、楷書風なら「熱田神宮」、行書風なら「神宮」、はたまた
草書風に言うなら「宮」の、そのすぐ足元にありました。

「ありました」という表現になるのは、申し訳ありませんが、時代の推移に
伴って、その後この「渡し船」が無くなってしまったからで、その地は現在
「宮の渡し公園」との名称で、小規模ながらも史跡公園?もどきの
景観を呈しています。

そこで再び自称・他所者サンの登場です。
~うーむ、その「宮の渡し公園」も結構草書体?に影響された名称だなぁ
 ・・・いっそのこと「七里の渡し公園」、いやいやインバウンド御一行様
 にも通じるよう、国際色豊かに「27粁(キロメートル)渡し公園」とか、
 はたまた「17哩(マイル)渡し公園」とでも改称するのはどうだろう~

ちなみに、距離換算は1里≒3.9㎞、1哩≒1.6㎞になるそうです。



 
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