日本史の「異国」06 鉄砲伝来って訪問販売?

~一隻のポルトガル船が種子島に漂着して、日本に鉄砲を伝えました~
また、あるいは、
~種子島に流れ着いた一隻の中国船に乗っていたポルトガル人が、
 2丁の鉄砲を持っていました~

上はいずれもいわゆる「鉄砲伝来」(1543年)についての説明文ですが、
漂着したのがポルトガル船だったのか、あるいは中国船だったのかなど、
その内容には微妙な違いがみられます。

また年代についても、1542年説、1543年説や、さらにはそれ以前とする説
など様々あって、これも明確には定まってはいないようです。
それに加えて、こんなエピソードも残されていますから、なんとはなしの
引っ掛かりも覚えないわけでもありません。

~大隅国の種子島に漂着した一艘の船にいた100人余りの乗員の誰とも言葉
 が通じなかったが、地元民がこの船に乗っていた明の儒者・五峯
 (漢字で)筆談してある程度の事情がわかった~

そこで、この船を領主・種子島時尭(ときたか/1528-1579年)の
居城がある土地まで曳航したとされているのです。

こうした流れを素直に受け止めるとしたなら、日本人が「鉄砲」という最新
機器に初めて遭遇することになった経緯は、こんな案配になるわけですから、
そこには数多くの偶然が重なっていたことになります。

~外国船が偶然に我が国に漂着し、偶然にもそこに「鉄砲」なる最新機器が
 あって、さらに偶然にもその船には漢字が分かる明国人までもが乗船して
 いたばかりか、その船が漂着した土地(日本)は、偶然にもいわゆる
 「戦国時代」(1493?-1590年)の真っ只中にあった~


こうなると、根っから素直で人畜無害チックな筆者のように人間にも、
なんとはなしの疑心めいたものが湧いてきます。
~この説明には、あまりにも偶然が重なりすぎてやせんか?~

どんな計算になるのかは知りませんが、これだけの「偶然」が遠慮なく
一挙に重なるなんてことは、おそらく宝クジで一等賞に当たるよりも低い
確率ではないかと思えてくるわけです。

そこで、この際そのあたりのところに自由闊達な推理を持ち込んでみる
ことにしました。
もっとも、これを「自由闊達」な知的作業と理解するのか、はたまた
「支離滅裂」な痴的作業と受け止めるかは、アナタ次第ということに
なりそうですが。

まずは、この経緯で語られている「数多くの偶然」に、ちょっとした疑問を
重ねてみることにします。 たとえば、こんな案配です。
○その船は本当に「漂着」したものだったの?
○その船はポルトガル船だったの? それとも中国船だったの?
○その船に「鉄砲」があったのは本当に偶然のことなの?

まだ続きますねぇ。
○その船に漢字が分かる明国人がいたのは本当に偶然のことなの?
○その「鉄砲伝来」の時期について、なんでいくつもの説が存在しているの?
○その「鉄砲伝来」の時期が、日本の「戦国時代」の真っ只中だったのは
 本当に偶然のことだったの?

その中でも、特に胡散臭さを感じさせているのは「漢字が分かる乗組員が
いた」とする説明部分で、そこでもう少し突っ込んでみると、その人物は
五峯(中国名は王直)サンという名の明国人であるとされているのです。

oucyoku_gohou_01.jpg teppou_denrai_kitte_01.jpg
五峯(王直)/鉄砲伝来(切手)

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面倒臭いことではありまがら、ここまで来たついでに、その「五峯」サンに
ついて、もう少しだけ身元調査掘り下げてみますと、
~後期倭寇の頭目(生年不明-1560年/明国で処刑死)で、明国が海禁政策を
 布くなか、禁制品を商う密貿易で日本人商人の信任を得て「五島(五峯)」
 に来住(1540年)、さらにその後には領主に招かれて平戸(1542年)に
 移り住んだ~


ええぇ! その人物・五峯(王直)の当時の住所番地は、日本国内の
平戸(現長崎県)ってか? そうすると、こういうことになるゾ。
~日本に住んでいた元気溌剌な現役海賊(後期倭寇)のボスが、自分の
 庭としていた九州の海で「漂着」をしてしまった~

これはさすがに「ヘン」な成り行きではないのかえ?

ちなみに、ここではいくつかの事柄について注意を払っておく必要があり
そうです。
まず「後期倭寇」ってのが、結構な曲者なんですねぇ。
「倭寇」というバッチリ名称が付いていることから、これをどうしても
「日本人の海賊」のイメージに捉えやすいのですが、その点は全くの誤解で、
当時のいわゆる「後期倭寇」のほとんど九割方は「中国人」だったのです。 

ゲッ、中国人が倭寇だってか・・・話が見えねぇな、しかし、なんで
そんなことになるの? 答えはいたって単純。
自分たちの出身国・明国が海禁政策(鎖国)を実施していたからです。

要するに、海禁政策(鎖国)中の国家で貿易に取り組むことは、それ自体が
紛れもなく「国際犯罪人」の所業ということになりますから、自己保身の術と
しても、当局向けには「我々は(明国人ではなく)日本人である」として、
裏を返せば「明国法律に縛られる立場の者ではないのだゾ」の旨を声高に
自己主張する必要があったということです。

結果、この時期の「(後期)倭寇」をとされる者の九割方が明国人という、
凄まじい「身分詐称」ブーム?を引き起こしていたことになります。
それにもうひとつ。
こうした貿易業者が商売・ビジネスを成功させるためには、時代と問わず、
情報には敏感である必要があります。

~晴れた日に雨傘を売る~ようでは、商売繁盛とはいきません。
その点、この五峯(王直)サンなぞは、日本国内にも拠点を構えていた
のですから、こんな事実には真っ先に気が付くところです。
~現在の日本は未曽有の戦乱期にあって、全国津々浦々で、数多の合戦が
 飽きることなく繰り返されている~


だったら、五峯サンの頭に、次のアイデアが浮かんだとしても不思議では
ありません。 なにせ、国策をも平気で無視するほどに腹の座った
「国際貿易業者」ですからねぇ。
~たった今この国(日本)に「新型兵器」を売り込むなら、ウハウハ
 売れまくる上に、末永い御贔屓が期待できるゾ~


そうした観点に立って、この「鉄砲伝来」の一連の経緯を眺め直してみると、
それまでとは違ったこんな解釈だって成り立ちそうです。
○その船は「事故漂着」したのではなく「計画漂着」だったかもしれん。
○(後期倭寇の頭目自らが乗り込んでいたのだから、)
 その船は「ポルトガル船」ではなく、「中国船」だった可能性が高い。
○その船に偶然「鉄砲」があったのではなく、「商品サンプル」として
 わざわざ持参した物だったかもしれん。

さらには、
○その訪問販売を成功させるには、顔が広く商才ある人物の同行が必要
 だったために、プロジェクト・リーダーとしてわざわざ五峯(王直)サン
 自身が乗り込んだのかもしれん。

○記録に残る明瞭な形での「鉄砲の訪問販売」成功は今回が初めてだった
 としても、そうした営業活動自体は、それまでにも何度か試行されていた
 のなら、「鉄砲伝来」そのものの時期について、いくつかの説が語られて
 いるのはある意味当然かもしれん。

もし、こうした見方が成り立つのであれば、「鉄砲伝来」の一連の経緯に
これまでのような「数多の偶然」を重ねる必要もないわけで、その意味では、
これはこれで結構鋭い視点ではないかと、筆者などは臆面もなく自画自賛
している次第です。


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