日本史の「落胆」04 大御心と幕末婚約の命運

黒船来航(1853年)に直面した幕府が見せたドタバタぶりは、こんな
ふうにも揶揄されました。
~泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず~
事態に泡を食った日本側の雰囲気がよく伝わってきます。

しかしアメリカ・黒船が来ることは、オランダ国王からの報せを通じて
じつは幕府も事前に承知していたのです。
にも関わらず、この為体を露呈したのですからこんな疑心が生まれても
不思議ではありません。 ~幕府って、ホントに大丈夫なのかしら?~

なにしろ、この世の物とも思えない未知のハイテク艦「黒船」の姿を、
容赦なく見せつけられたのですから、かなり鈍感な御仁にさえも
このくらいの感情が無理なく芽生えもしましょう。

こうした状況下で、現在の政治体制を補強しようとする動きも登場します。
国のトップがこれまで通りに、幕府(将軍)と朝廷(天皇)という伝統的
二本立てスタイルのままでは、ひょっとしたら、新たな厄介である外国勢力と
互角に渡り合っていけないのではないか?
そういうことなら、朝廷と幕府はこれまで以上の強い協力関係を築いて
おくべきではないか、とする考え方です。

その背景には、「機能不全に陥った幕府はもはや不要」として、一気に
「倒幕」を目指す思想も芽生えていたことと、それと同時に、朝廷に
対する人気が未曽有のフィーバーぶりを見せていた現実もありました。
幕府自身とて「倒す」に標的にされたことに目をつぶるわけにはいき
ませんから、朝廷との協力?の道も模索することになります。

ところが、それを「一足飛び」に運ぶのでは、過激な印象になり、逆に
不安感を生んでしまう心配もありますから、差し当たり?の方策として
朝廷・幕府が協力しあう体制、いわゆる「公武合体」路線を選ぶことに
なりましたが、じつはこのことは朝廷側も割合に好感を持って受け
入れました。
~これまでの伝統に即して、政治実務は幕府が担うのがベストである~
時の第121代・孝明天皇(1831-1867年)が、元々からこうした考えの
持主だったからです。

でその「公武合体」路線は、具体的には江戸幕府第14代将軍・徳川家茂
(1846-1866年)に、孝明天皇の妹姫・和宮(1846-1877年)が嫁ぐと
いう目に見える形で実現されました。
今風にいうなら、政策の「見える化」ということでしょうか。

ただし、この時の皇女・和宮にはすでに婚約者がいました。
それを孝明天皇自らが妹姫・和宮を説得する形で婚約解消(1860年)させ、
その上で将軍・家茂に嫁がせたのですかた、このことに対する孝明天皇
ご自身の「公武合体」に対する意気込みがハンパなものではなかったということ
でしょう。

この辺りまでのお話は、小説・ドラマに取り上げられる機会も少なくないため、
なんとはなしに「知っている気分」になってしまうものです。
しかし、さらに一歩踏み込んだ形で、たとえばこんな質問を受けるハメに
なったら、アナタは答えられるか?
~その皇女・和宮の「婚約者」だった人って、いったい誰?~

~誰ッて?~ 唐突にそんな質問をぶつけるものではありません。
思わぬ不意打ちを理由に、
~そんなこと、知らなくて当然ッ~なんて居直ることもできないわけでは
ありませんが、それではいささか大人気がない印象にもなりそうなので、
ここは筆者なりの努力で調べてみることにしました。
蛇足ですが、こういう姿を「オトナの態度」と言うのでしょう。

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有栖川熾仁親王/孝明天皇

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さて、皇女・和宮の元・婚約者の名は「有栖川宮熾仁親王」(1835-1895年)、
字面もそれなりに難しいのですが、読み方のほうにも負けず劣らずの勢いが
あってこう読みます。 「ありすがわのみや たるひとしんのう」
そして、この一言が説明に加えられています。
~和宮親子(ちかこ)内親王と婚約していたことで知られる~

じつはこの婚約事態も孝明天皇の命により成立(1851年/熾仁17歳・和宮6歳)
したものでしたから、この説明だけだと、元・婚約者ということ以外には
さしたるインパクトが感じられません。 ところがギッチョン!
単に「皇女・和宮の元婚約者」というだけではなく、一面ではこんな説明も
加えられているのです。

~熾仁親王は明治新政府の成立に至るまで、公家社会において三条実美と
 並ぶ急先鋒として認識されていた~

う~む、問題?の「長州系」ですよ。

ということなら「倒幕」には前向きだったということになるでしょうし、
その上に「攘夷派」、つまり「外国(人)は追っ払ってしまえ」の考え方の
持主だったに違いありません。
そうすると、確かにこの時代の公家に対する一般的なイメージからは少し
ばかり外れた印象になります。
おそらくは「戦う親王」ほどの雰囲気も携えていたことでしょう。

ですから、逆にいうなら長州とは相容れない京都のいわゆる「一会桑政権」※
から厳しい警戒の目を向けられたのは当然です。
※禁裏御守衛総督・徳川慶喜(一橋家当主/1837-1913年)
  ※京都守護職・松平容保 (会津藩主/1836-1893年)
  ※京都所司代・松平定敬 (桑名藩主/1847-1909年)

こうした「長州系攘夷派の戦う親王」を一会桑政権メンバーが嫌ったのは
当然ですが、そればかりか、芯から長州嫌い幕府好きの当の孝明天皇自身も
大いなる不快感を示していました。
~親王の言動は朕の思いを逆なでしているッ~といったところでしょうか。

この辺りの、朝廷/幕府/一会桑政権/長州藩/熾仁親王など各々の言動の
絡み具合には、複雑でスリリングな運びがありますが、結果としてこんな
案配を招いています。

~二条関白や孝明天皇の怒りを買った熾仁親王は、父親・幟仁親王と
 ともに国事御用掛を解任された上に謹慎・蟄居を申し渡された~

簡単にいうなら、孝明天皇に睨まれてしまった熾仁親王は、この1864年
以降、政治の表舞台に立つ機会を失ってしまったということです。

しかし「聞いて驚けッ!」級の出来事が連続したのが、この後の幕末史です。
その影響は当然熾仁親王にも及び、そのままおとなしく歴史からフェード
アウトしてしまうことにはなりませんでした。 
時系列的にはこうなります。

○長州征討(一時1864・二次1866年)/幕府と長州の戦い
       ○薩長同盟(1866年)/両藩の政治的・軍事的同盟締結
    ○将軍・家茂の死(1866年)/長州征伐の最中に満20歳で死去
     ○孝明天皇崩御(1867年)/天然痘罹患により満36歳で崩御
  ○一橋慶喜・将軍襲職(1867年)/在任中の江戸入城はなかった
     ○明治天皇践祚(1867年)/孝明天皇の後継・満24歳
   ○鳥羽・伏見の戦い(1868年)/新政府軍が幕府軍に勝利

孝明天皇崩御後の後継・明治天皇践祚※の折に、幟仁・熾仁の親王父子は
謹慎を解かれています。
※践祚=皇位の象徴である参種の神器を受け継ぐこと
 即位=皇位に就くことを天下に布告すること

そうなると早速行動開始で、薩摩・西郷隆盛(1828-1877年)や長州・
品川弥次郎(1843-1900年)たちから事前に知らされていた「王政復古」
(1868年)のクーデターが成功するや、ここに樹立された新政府内に
新たに設けられた総裁・議定・参与の三職の内、その最高職である
総裁に就任したのが、他ならぬこの熾仁親王だったのです。

要するに、よほどできる人物だったということでしょう。
それがために、「西南戦争」(1877年)の折には、鹿児島県逆徒征討
総督に就任したことで、かつては同僚もどきの立場にあった西郷隆盛
敵将として対峙するという皮肉な境遇も経験するハメにもなっています。

そうした政治活動もさりながら、では和宮と婚約解消した後の親王の
プライベートはどんなだったのか?
最後の将軍となった徳川慶喜の妹である徳川貞子(1850-1872年)を、
明治維新の後になって最初の妃として迎えましたが、その貞子は婚儀の
2年後、23歳の若さで病没してしまい、そこでその後には旧越後新発田藩主・
溝口直溥の七女・董子(ただこ/1855-1923年)と再婚するという人生を
送っています。

前年から患っていた病気を悪化させた熾仁親王は、結果として61歳で薨去
しましたが、その葬儀は史上四人目※の「国葬」(1895年)として
執り行われたと説明されています。
要するに、「明治維新」に対する熾仁親王の功績は、誰も目から見ても
ハンパでないものがあった、ということになりそうです。
※一人目 1883年/岩倉具視(右大臣)
※二人目 1887年/島津久光(公爵・左大臣)
※三人目 1891年/三条実美(公爵・太政大臣)


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