日本史の「誤算」12 長州流?公金処理の御作法

幕府体制が終焉し、世が「明治」を迎えた頃の世情には混沌としたもの
がありました。
諸外国がつけ入ることのないだけの短期間のうちに、それまでの
「ほとんど なにもかも」を作り替えてしまおうとするのですから、
そうした状況があるのは、ある意味ではやむを得ないことかもしれません。

事実、この時期には明治新政府の要人が絡んだ事件がいくつか起こって
います。
そんな中で、事件の規模からしても、また新政府の大物がそこに
介在した事実からしても、「尾去沢鉱山事件」(1871年)は特筆すべき
事件の一つにを挙げられそうです。
幕府時代の末期の南部藩(岩手県・青森県)が御用商人・鍵屋村井茂兵衛
(1821-1873年)から多額の借金をしていたことに端を発した事件でした。

南部藩所有の尾去沢鉱山は、実際には村井から借りた金で藩が運営して
いたのですが、ところがギッチョン、借用書類の表現は全く逆で、
村井が南部藩鉱山を借りて経営していることになっていました。
ちなみに、「尾去沢」(秋田県)の読み方は、「おさりざわ」が正しい
ようで、筆者の読み方「おさるざわ」は、お猿を連想させてしまうせいか
間違いとされています。

しかしなんでまた「貸主と借主が逆」なんて、そんな無茶・無体な案配に?
一口に言えば、江戸幕府が大好きだった「朱子学」の思想によるものです。
この当時の武士階級にとっては、朱子学による「士農工商」の身分秩序こそ
が絶対の善でしたから、
~最高身分の武士が、最低身分の賎しい商人から、これまた賎しい銭を
 借りる~
なんてあり得ないこという運びになります。

しかし、「銭がなくては、藩は一日だって回っていかぬ」のも事実です
から、そこで、実際には藩が商人から借金をしているのに、「借用証書」
の文言については、貸主(商人)と借主(藩)を逆に、つまり
「貸主は藩、借主が商人」と表現する超ウラ技を用いていたわけです。

これなら、(あくまでも書類上だけのことですが)、
~最高身分の武士が、最低身分の賎しい商人から金銭の援助を受ける~
ことにはなりませんから、武士のメンツは保たれつつ素寒貧の懐も
一時的に潤されることになります。

でも、商人の立場からすれば、
~貸しているのに借りたことになる、貸主と借主を逆にした書類を
 残すなんてるなんてメッチャ不安~
なはずです。
ところが、そのメッチャ不安は、意外なことに、こんな言葉・
矜持で担保されていました。 ~武士に二言はない~

例え口頭だけの約束であろうと、武士が一旦口に出したことは、
なにがあろうと、決して取り消しや訂正をしない、という絶対の
信用です。
これがあるから、~貸主と借主が逆になった書類~であっても、
商人はその意を汲んでの言動を取ることができたわけです。

つまり、対武士との契約においては、証拠書類である「契約書」
より発した途端に消えてしまう性質を帯びてはいるものの、その
「(武士の)言葉」の方が、より重視されていたことになりますから、
考えてみれば、これはこれでメッチャ凄いことかもしれません。
しかし、人間世界に完全無欠や完璧というものはありません。
やはり「事故」は起きちゃいました。

もっとも、ミスがあっての出来事というわけではなく、強い意思が
働いた結果に起きたことですから、「事件」というべきかも
しれません。
いやいや、もっと直截な言い方をするならば、明治新政府の要人に
よる未曽有の大犯罪と言っていいのでしょう。
それが、先に触れた「尾去沢銅山事件」です。

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「尾去沢鉱山事件」井上馨/「山城屋事件」山縣有朋

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明治元年(1869年)のこと、明治新政府は諸藩の外債返済の業務を
行っていました。
明治新政府としても、旧江戸幕府絡みの諸案件を放置したままにして
おけないからです。

そうした業務を直接に担当したのが、明治新政府の大蔵大輔の職に
あった井上薫(1836-1915年)でした。
ちなみに、大蔵大輔とは(おおくら・だいすけ)という人名ではなく、
役職名であり(おおくらたいふ)と読むのが正しいようです。
その地位は大蔵省における大臣の下ということですから、今風にいうなら
「財務次官」ほどのイメージになるのでしょうか。

じつは、その井上大蔵大輔がとった行動が、ちょっとばかり常軌を逸した
ものでした。
貸主・借主が逆の表現になっている「借用書類」を正当な証文として、
「借主」である鍵屋・村井茂兵衛に突きつけるや、その「借金」の返済を
迫ったのです。

井上が、こうした「貸し借りを逆にした」武士絡みの証文の作法を
知らないはずはありません。
井上自身が元はと言えば長州藩の武士だったのですから。
そうでありながら、「貸し借りが逆になる」点にシラを切ったばかりか、
それを逆手に取って返済を迫ったのですから、一介の商人・村井には
なす術もありません。

尾去沢鉱山は差し押さえられ、結局村井は破産に至りました。
井上には~武士に二言はない~の矜持が備わっていなかったものか、
さらにその上を行く行動を取りました。
こうした場合、新政府の手続きとして尾去沢鉱山を競売に付すことは、
やむをえないことかもしれませんが、井上はこれを同郷人である岡田某に
無利息で払い下げたばかりか、当の鉱山現地にこんな高札を掲げさせたと
されています。

「従四位井上馨所有」と墨書。 つまり、世間・社会に向かって、
~この尾去沢鉱山は井上薫個人の所有物ですゾ~と主張したことになり
ます。
不正を行い、私利私欲を貪り、私腹を肥やす役人のことを表す言葉に、
「貪官汚吏(たんかんおり)」という四文字熟語がありますが、ここまで
くると、この井上のことを、折り紙付きの超「貪官汚吏」と呼んでも
差し支えなさそうです。

じつは、公金絡みのこうしたスキャンダル?は旧長州藩にとっては、
さほど珍しいことでもないようです。
同じく旧長州藩を出身地とする陸軍大臣・山縣有朋(1838-1922年)が
近代日本初の汚職事件とされる「山城屋事件」(1872年)を引き起こ
しているからです。

その「近代日本初の汚職事件」はこう説明されています。
~山縣有朋が陸軍省の公金を、同郷で親交があった陸軍御用達の
 商人である山城屋和助に勝手に貸し付け、その見返りに金銭的な
 享受を受けていたとされる事件~


概要はその通りなのでしょうが、じつはその根には深いものがあって、
○陸軍省は資金運用を理由として、山城屋に公金貸し付けを行った。
○一方の山城屋は、借用した陸軍省の公金で生糸相場に手を出した。
○ところが、ヨーロッパでの生糸相場の暴落にあって投機は失敗。

さらに「ところが」が繰り返される経緯を辿りますが、陸軍省会計監督が
調査を始めてみると、この多額な陸軍公金が「一品の抵当もなしに」
貸付けられていたことが発覚したために、ついには司法省までもが調査に
動き出したのです。

慌てた山縣は山城屋に対し至急の返済を迫ります。
しかし、~無い袖は振れない~
進退窮まってしまった山城屋は「陸軍省内部で割腹自殺」に及びました。
しかし、この「陸軍省内部で割腹自殺」とは、陸軍省側の公式発表であり、
真相がその通りの「自殺」であったかどうかはイマイチ疑問も残るところです。

それにしても、「尾去沢鉱山事件」にせよ、「山城屋事件」にせよ、
大きく関わった明治新政府の要人はいずれもが旧長州出身者でした。
そこで思い出されるのが、同じく長州藩士だった高杉晋作(1839-1867年)です。
高杉もまた公金処理については少なからずエピソードを残しています、

その一つ。
~藩の公金でを使って勝手に軍艦を購入しようと目論んだことが二度もある~
そうしてみると、公金・私金をチマチマ別に分けて受け止めないのが、
長州の伝統「長州流・公金処理の御作法」なのかしらねぇ?


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この記事へのコメント

chikara
2019年09月24日 11:46
幕末~明治維新期
下関での高杉晋作と四ヶ国との処理。戊辰戦争の長州藩と他藩の差。兵を派遣したのは、長州、薩摩、芸州広島藩の3藩。薩摩、広島藩は偽金をつくり対応。浄土真宗東派が100万両を旧幕府側に寄贈。浄土真宗西派が100万両を新政府側に寄贈したのだが、それだけで、長州の戦費が足りたとは、思えない。この会談で高杉晋作は、徳川と対決の流れを話し、四ヶ国を黙らした。例えば、長州藩が進軍して石見銀山を占領する。そして、戦勝四ヶ国で銀を採掘し本国に持ち帰る。日本の内政に手を出さない。こんな、密約を結んだと思われる。当時世界の1/3銀がここから掘りだされていた。
住兵衛
2019年09月25日 12:23

>chikaraさん
確かに幕末期においては、色々なとことで
色々と複雑な動きがありましたね。