日本史の「落胆」03 将軍後継と同時多発テロ

二度にわたる「大坂の陣」(冬1614年/夏1615年)を制したことによって、 かつての主家・豊臣家を滅亡にまで追い込んだ徳川家康(1543-1616年)は その後も諸大名への干渉を怠ることはありませんでした。 これには、豊臣家の死に物狂いの抵抗にいささかのトラウマを覚えたことの 影響があったかもしれません。 大名の隙に対し…
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日本史の「ライバル」02 武士政権七百年の夜明け前

いわゆる「武士政権」を最初に立ち上げた人物として、普通は平安時代末期に 活動した平清盛(1118-1181年)の名が挙げられ、その仕組みを所在地の 名称から(京の)「六波羅政権」という呼び方もしているようです。 さて、これを「最初の」とするからには、当然その続きもあるわけで、確かに これ以後は源頼朝による「鎌倉幕府」、足利尊…
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日本史の「怪人」21 素性も政策も虫が好かぬ

広く武士の教養・規範とすべく「朱子学」に注目したのは江戸幕府創立者・ 徳川家康(1543-1616年)その人でした。 いや、江戸幕府においては人というより、神様に祀り上げられた「神君」と 言った方が正しいかもしれません。 つまり、朱子学に励むことは即ち「神君」の御遺志にビッタシ沿う行動になる わけですから、そこで、幕府が存…
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日本史の「付録」10 皇位継承の現代風再考

およそ200年ぶりとされる天皇譲位によって、それまで30年ほど続いた 平成時代が幕を閉じ、新たに令和時代を迎えることになりました。 このことは、皇室にとっても、また国民にとっても「稀な体験」という 位置づけになりそうですが、これとは別に、現在の皇室及びその周辺には 別の危機意識があるとされています。 それは現在~皇位継承資…
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日本史の「トンデモ」03 精神が敵機を撃墜する

第119代・光格天皇(1771-1840年)以来およそ200年ぶりとなる平成の「譲位」 に当たって、天皇陛下(第125代/明仁/満85歳1933年生)は、その心境を こう漏らされました。 ~平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵して   います~ その思いによほど強いものがあったのでしょう、いささか涙声に…
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日本史の「例外」01 歴代以外にも覆面天皇が

寿命がいつかは尽きてしまうのは「生物」の宿命で、その点は人間も その通りなら、神の子孫とされる「天皇」も例外ではありません。 その天皇が至高の存在であることを強調する意味もあるのでしょうか、 「崩御(死去)」されると、それまで使っていた名とは別に生前の事績を 勘案した名「諡名」(諡号)が奉られます。 ごく普通に使っている「○○…
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