日本史の「発明発見」23 小牧山城から天下を見渡す

筆者の生息地・名古屋から車で30分ほどの「小牧(市)」。
用事を早めに済ませ、空いた時間を「小牧山」探訪に充てたのが、数日前
(2019・04・27土曜)の午前のことでした。
割合近いエリアでありながら、ここを訪れたことがないという事実に、ふと
気が付いたからです。

「歴史好き」あるいは「お城好き」の皆様には、この「小牧山」とか「小牧山城」
という地名は、それなりに知られている(はず)です。
なにせ、戦国の雄・織田信長(1534-1582年)が、自らの居城として築城した
のが、この「小牧山」の地であり「小牧山城」だからです。

しかし、そればかりではありません。
信長死後の覇権を巡って、羽柴秀吉(1537-1598年)と徳川家康(1543-
1616年)の間で、引き起こされた「小牧・長久手の戦い」(1584年)の際には、
徳川軍がこの小牧山城を陣城とした歴史もあるのです。
この際には、本陣として機能するよう、かなり大規模な改修が行われた
ようで、現在も残る遺構はこの時のものだとされています。

そうした歴史の知識に触れることも、確かに楽しいことに違いありません。
それはそれで一向に構わないのですが、この「小牧山」の場合は、まず最初に
地勢の特異性に目を奪われることも少なくないようです。
実は、筆者もその通りでした。

なにせ、周囲一面は四方八方まったくの平地。
そうした環境の中にあって、ここだけがピンポイントで自然の「山」(高さ86M)
を形成しているのですから、「巨大モニュメント風・自然特異空間」と表現
したくなるほどの地形なのです。
逆に言えば、この「小牧山」のテッペンからは、「天下」(周辺地域一帯)を
くまなく見渡せることになります。

前述の通り、最初は信長の居城として築城し、次いで徳川軍の陣城とすべく
大改修が行われるなど、時代はこの「小牧山城」を必要としましたが、家康の
天下取り以降は利用価値も薄れたのでしょう、やがては廃城となりました。

ただ、現地の風景をご存知の方は、この「廃城」という説明にいささかの
疑問を抱かれるかもしれません。
~「小牧山」テッペンには現在も「小牧山城」が建っているではないかッ!~
追及される前に白状しておくなら、何を隠そう、実は筆者もそのように
思い込んでいた一味の一人です。

ところが、その建物の正体は、こんな説明になっています。
~名古屋市の実業家が小牧山の山頂に「城」を建設することを思い立ち、
  それを完成させるや、地元・小牧市に寄贈(1968年)し、以降市は
  「歴史館」として活用~

つまり、山頂にそびえる「城」もどきの建物は、「小牧山城」ではなく、
「小牧市歴史館」(鉄筋コンクリート造3層4階建・高さ19.3M)というわけです。

せっかくですから、その山頂「歴史博物館」まで行ってみることにしました。
もっとも、駐車場の表示も「登山」?を決心させる大きな動機になったかも
しれません。 こう記されていたのです。
~小牧山北駐車場 100円/30分、ただし最初の2時間は無料~

要するに、標高86Mの山登りの末に、頂上「歴史館」見学を済ませて下山。
この行程を2時間以内に済ませれば、駐車料金は無料になるわけすから
チャレンジしない手はありません。 
この日はメッチャ風が強くて、お世辞にも観光日和とは言えなかったものの、
人間「欲」が絡むと結構動けるものです。

普段の不摂生もあって膝はガクガク・・・しかし、途中休憩することもなく
なんとか目的地・山頂の「歴史館」への登頂成功。
そして、この努力が報われたものか、ここには驚くべき第二の超ラッキーが
待っていたのです。

歴史館入場料金は普段なら「大人100円」・・・ところが、筆者の日頃の心掛け
の良さのせいか、この日はなんと「無料」! 太っ腹な「歴史館」です。
駐車料金も入場料金もタダなのですから、そりゃあもう一生分の幸運を一気に
使い果たす勢いです。

小牧山01 小牧山歴史館01







(平地の中にポツンと)小牧山/小牧山歴史館(小牧山城ではない)

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さて、入館。
各層各階に足を止めていくと、原始の狩猟や稲作の時代から始まり、
古墳時代、律令時代、さらには武士の時代を経て近世に至る間の歴史展示
コーナーの作りになっていて、その中でもやはり秀吉VS家康が正面衝突した
「小牧・長久手の戦い」が最大のウリで、ここは立体パノラマで構成された
上に、戦いの経過を音声と映像で解説を加えるという気合の入れ方です。

そして、さらにエッサエッサと階段を上がって、ついに最上階4階の展望室へ。
普通のお城なら、天守閣?と呼ばれる部分で、ここからの展望がまたちょっと
ばかりスグレものなのです。
なにせ、ずっと一面に開けている平地の中にひとつだけポツンとある山の、
そのテッペンに建てられた3層4階の最上階(展望室)の外回廊(四周)に立つ
のですから、遠くの景色まで、一切の邪魔物なしで眺め渡せます。
ただし、この日はあいにくのこと、下界でもかなり強風が舞っていましたから、
これが最上階展望室の外回廊ともなるとハンパなものではありません。

~ここ(外回廊)からの景色は掛け値なしに抜群ですが、今日の天気では
  帽子が吹き飛ばされるのは絶対ですから、脱いだ方が無難ですヨ~

この階に待機していた、案内係「夢の語り部」(多分ボランティア)の方が
注意を促します。
そこで野球帽を脱ぎ、強風に身体を持っていかれないように気張って外回廊に
立つと、話し掛けたついでということもあったのでしょうか、東西南北方向
すべてのランドマークについて説明をしてくれました。

この小牧山城の後に信長が居城とした岐阜城のある北方角と、関ケ原があり
そのさらに奥の方に京がある西方角が特に印象的で、今まさに歴史を見て
いるといった感覚さえ味わいました。 そこへ「夢の語り部」サン。
~ここ(小牧山城)から毎日毎日この雄大な景色を繰り返し眺めているなら、
  信長にはもちろんのこと、現代人にだって天下取りの気分が湧き上がって
  くるというものですよねぇ~


そうした言葉を向けられたものの、何分にも生まれながらに凡人スケールの
筆者ですから、残念なことに「天下取り」までは実感できませんでした。
しかし、360度視界を妨げるものが何もないという、日常とは異次元の感覚
「全視界スッポンポンの解放感」はしっかり味わうことができました。
しかも、この日は「入場料金タダ」の特別待遇です。
不満なぞあろうはずがありません。

こうして大満足の小牧山探訪を終えたのですが、帰宅してみると、録画して
おいたTV番組に中にこの「小牧山」が登場していて、またまたビックリ。
それは「小牧山城」の石垣に注目した番組で、この番組の解説やら、
Wikipediaなどの情報を織り交ぜると、この「小牧状の石垣」はまあこんな
程度の説明になることを知りました。

発掘調査は1998年(H10)以降に始められ、2010年度(H22)の調査の折に、
積もった土を取りのけたところ、建築当時のままの二層の巨大な石垣が
姿を現したばかりか、それが山頂をぐるりと取り巻いていることが判明した。
そこで、当然、次にはこの疑問が飛び出します。
~こんな大層なものを作ったヤツは誰だしゃん?~ モロに尾張言葉です。

誰だしゃんということなら、「小牧・長久手の戦い」の折に、ここを本陣とした
徳川家康ではないのかえ?
しかし考えてみれば、急ごしらえの砦として利用した家康には、大規模な
石垣工事を行うだけの時間はなかったはずで、そうした研究課程を踏んだ
末に、最終的には「石垣は信長の手による」と結論づけられました。

そして、その石垣は「元祖・野面積み」ともいうべき構造を備えていたこと
から、「小牧山城」自体が「近世城郭のルーツ」と呼ぶに相応しい存在との
評価を得ることになったのです。
要するに、今私たちが日本の城に対してイメージする「石垣」の見た目や
構造は、何を隠そう(何を隠さなくても)、この「小牧山城」に端を発している
という解釈になるわけです。
そういうことなら、この分野でもやはり「信長は天才」だったことになります。

というわけで、今回は、近いクセして今まで御縁がなかった「小牧山」を、
ひょっこり探訪したレポートに相成りました。
くどいようですが、現在山頂に建っているのは、再建された「小牧山城」という
ことではなく、1968年建設の「小牧山歴史館」ですからお間違えのないよう。

そして機会があるようでしたら、この最上階展望室外回廊の四方を巡り、
日常とは異質の「全視界スッポンポンの解放感」をぜひ御体験ください。
2時間で往復できるなら「駐車料金」は無料ですし、日頃の心掛けが良い人
なら、筆者と同様に「本日・入場料無料」という超ラッキーに遭遇できるかも
しれません。
ただし、アナタの心掛け次第では「本日・入場料倍額」という超不運が待って
いるかもダ。



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