日本史の「世界標準」25 異端宗派は成敗すべし

現代でこそ(一部を除いて)、こうした意識は幾分薄まってきている印象
ですが、宗教というものには、洋の東西を問わずどこもが、少なからず
「異端」を嫌う性癖を備えているようです。
もっとも、そんな言い方をすれば、原理原則を堅守する一神教の世界から
見た日本の神道なぞは、その存在自体がすでに異端ということになり
かねませんが。

なにせ、「唯一絶対神」であることを金科玉条とし、最大の売りとしている
「一神教」に対し、神道はその数なんと「八百万神」・・・このことだけでも
「異端」の疑惑は結構濃厚です。
しかしながら、この異端だ、異端ではないという判定も、実はそれぞれが
採用するモノサシ次第であり、結局は相対的な位置づけに過ぎません。

ですから、実際のところ、こうした「異端」騒動が洋の東西を問わず、人間の
信仰の歴史の中には繰り返し登場しています。
それは民族を問わず、宗教の種類も、また地域や時代の違いを問わず、
という形ですから、「異端」に対しては誰もが敏感な反応を示していた
ことになりそうです。

ようやくのこと、現代になって「信教の自由」という概念が定着しつつあるのも、
おそらくは元をただせば、こうした騒動があまりに頻繁に繰り返されたことで、
信徒・信者を含め関係者全員がすっかりくたびれ果ててしまったことから
誕生したものなのでしょう。

「洋の東西を問わず、宗教の種類も問わず」との表現が決して大袈裟では
ないことは以下の出来事からも首肯できるところです。 ここでは、
「西洋/キリスト教」におけるフランス「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)
そして、「東洋/仏教」からは日本「天文法華の乱」(1536年)のケースを
取り上げてみます。 奇しくも双方ともが16世紀の出来事です。

さて「西洋/キリスト教」の場合なら、16世紀後半のフランスでは、カトリックと、
そのカトリックから「ユグノー」と呼ばれたプロテスタントが対峙し、実質的な
内乱状態に陥っていた時期がありました。
どちらの派も、自分たちが正統宗派であり、相手側こそが異端宗派であると
いう信念を固めているため、日本民族が大好きな「話し合い」とか「譲り合い」
などは望むべくもありません。

そんな最中に、カトリック側の兵士が、プロテスタント(ユグノー)の中心的
存在であった人物を暗殺するという事件が勃発。
これがきっかけとなって、王の命令により宮廷のユグノー貴族が多数殺害
されるや、そればかりか、市内でもプロテスタント市民が襲撃され、さらに、
虐殺は地方にまで拡散していったのです。
問答無用の無差別殺戮ですから、犠牲者の中には多数の子供や女性も
含まれていました。

これが、「サン・バルテルミの虐殺」と呼ばれるおぞましい出来事ですが、
その犠牲者数については、せいぜい2,000人程度と主張するカトリック側の
弁者もあれば、この際に死に直面した体験を持つユグノー貴族などは
犠牲者は70,000人に及ぶと主張する案配で大きな開きがあり、さらには、
現代の歴史家たちの推算でさえ相当な幅があって、正確なところは未だに
不明とされたままになっています。

いずれにせよ、少ない犠牲者でなかったことは間違いのないところですが、
同じ宗教(キリスト教)であっても、違う宗派(カトリック/プロテスタント)とも
なれば、その信者を「悪魔信奉者」くらいに受け止め、激しく嫌悪し憎悪したと
いうことなのでしょう。
そうでもなければ、到底ここまでの行動に走れるものではありません。

言葉を換えれば、 
~正統宗派であるウチ(カトリック)には、
  異端宗派(プロテスタント/ユグノー)を成敗する責任がある~

つまり、虐殺する側(カトリック)は、神に祝福される正義の行為として、
その「悪魔退治」(プロテスタント虐殺)に嬉々として励んだということです。

では、こうした思想・行動がキリスト教固有の体質かと言えば、実は
「然に非ず(さにあらず)」で、それこそ「洋の東西を問わず」頻発している
のですねぇ、これが。

「東洋/仏教」の場合にもこうした宗教衝突は現実に起こっています。
その当時、京で隆盛を見せていた日蓮宗が、比叡山・延暦寺に宗教問答を
呼びかけ、結果これに勝利したことがキッカケとなりました。

何事にせよ日蓮宗よりは格上であるとの自負を抱く比叡山・延暦寺側に
してみれば、京における日蓮宗の隆盛自体がシャクのタネだった上に、
そこへ「宗教問答敗戦」が重なったのですから面白いはずもありません。
気取った言い方なら「切歯扼腕」、分かりやすい言葉なら「歯ぎしり」の
思いを募らせていたわけです。

簡単に言えば、こんな心境でしょうか。
~ポッと出の新興に過ぎんヤツ(日蓮宗)が、老舗のウチ(延暦寺)を凌駕
  する隆盛だなんて、そんなことは世の中間違っているッ!~

言葉を換えれば、
~正統宗派であるウチ(延暦寺)には、異端宗派(日蓮宗)を成敗する責任が
  ある~


サン・バルテルミ02 僧兵51









キリスト教「サン・バルテルミの虐殺」1572年/仏教「(武装)僧兵」

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実は、戦国時代に信長・秀吉・家康というパワフル施政者が登場する前まで、
つまり江戸時代以前のことになりますが、この時代の寺社など、いわゆる
宗教勢力はゴッツイ武装(軍事力)を常備していました。

有力者もライバルの寺社も例外なく武装という社会環境に中にあって、
自分の寺社だけが「非武装中立」を目指していたのでは、たちまちのうちに
ボッコボコにされてしまうのが目に見えているからです。
ですからこの時の延暦寺も、自身は自身で武装しながら、さらにゴッツイ
軍事力を備えた有力大名を助っ人として加え、万全な態勢を整えた上で、
京にある日蓮宗・21か寺を襲撃破却する「成敗」行動に及んでいます。

この激突を「寺社同士の喧嘩/縄張り争い」程度に捉えるのは、あまりに
矮小化した理解だと言わざるを得ません。 なぜなら、
~京都は下京の全域、および上京の3分の1ほどを焼失。
  兵火による被害規模は応仁の乱上回るものであった~

とされている(Wikipedia)からです。

およそ11年間にわたって繰り広げられた、国内最大級の内乱「応仁の乱」
(1467-1477年)は、主要な戦場となった京都全域を壊滅的に荒廃させたこと
でも有名ですが、こちらの「天文法華の乱」は、それを上回るダメージを
与えたのですから、「寺社同士の喧嘩」どころか、一人前の?あるいは
それ以上に立派?な「戦争(内戦)」に他なりません。

延暦寺にせよ日蓮宗にせよ、どちらもお釈迦様信心という点では兄弟同士
みたいなものですから、宗教オンチの筆者などは、年上・年下程度の違いで
なにも「相手をブチ殺さなくったって」と思いたくなるところです。
しかし、自らを正統宗派と位置づけている手前、比叡山側としては、
異端宗派である日蓮宗を成敗しなくてはならないわけです。

「熱心な信仰」の怖さは、実はこういうところにあります。
たった今現在でも、たとえば、「イスラム教」という同じくくりの宗教であり
ながら、スンニ派シーア派という異宗派間の対立を解消できずにいることも、
その延長線上にある問題なのかもしれません。

少し脇道に逸れたお話になりますが、こうした異宗派間の根深い対立を
如実に物語る言葉が、意外にも宗教には融通無碍な体質を誇る?日本民族
の歴史に中にも登場しています。
「四箇格言」と呼ばれる言葉がそれで、
発言者?は日蓮宗宗祖・日蓮(1222-1282年)です。

その言葉がこれ。 ~念仏無間/禅天魔/真言亡国/律国賊~
念仏(浄土系派)」なんぞを信じていたら「無間(地獄)」に堕ちるゾ。
(宗系)」なんぞは、経文を否定する天魔の所業である。
真言(宗系)」は怪しげな大日如来を立てる亡家・亡人・亡国の法である。
(宗系)」の僧なんぞは旧態依然の戒律を説いてごまかす国賊である。

よくもまあ、こんなに過激な言葉を並べてくれたものですが、要するに、
浄土系の信徒に対しては、こう言い放っていることになります。
~阿弥陀様を信じて死んだお前の母チャンは、今頃は(最低最悪の)
  無間地獄でのたうち苦しんでいるゾ~

こんなにまで激しい言い方をされれば、相手だってムッときます。

~オレの母ちゃんはなぁ、念仏の御蔭で今頃は間違いなく極楽浄土だわさぁ。
  それを「無間地獄」に落ちているなんて罵りやがって、ばかやろめが~

自然、喧嘩腰にもなろうというものです。
ですから、日蓮宗が持つこうした強烈な独善性?が、「天文法華の乱」を
招くことになった要因の一つになったとも考えられないわけではありません。

それを思うと、世界に先駆けて「非武装・宗教勢力」という新概念を打ち出し、
そしてまたそれを実現させた日本の信長・秀吉・家康トリオが、いかに凄い
存在だったのか、ということを改めて思い知らされるところです。
逆に言えば、歴史の中に信長・秀吉・家康が登場してくれた日本民族の
大幸運を、多くの日本人は未だ自覚していないと言えるのかもしれません。

さて21世紀日本では、ひょんなことから、お坊さんによる「和装運転」の
危険性を指摘する声が上がりました。
では寺社の「非武装・宗教勢力」という状況が未だ実現していなかったと
したら、この指摘はどうなっていたのか?
おそらくは「お坊さんの和装運転」なんぞは話題にもされず、
「機関銃を背負ったお坊さんの武装運転」のカッコ良さの方に人気が
集まっていたかもしれんゾゥ。



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