日本史の「タブー」09 人脈交錯の天皇弑逆事件

日常会話ではあまり使いませんが、「弑逆(しいぎゃく)」という言葉があります。
少し探ると、「光秀が信長を弑逆した本能寺の変」との使用例も挙げられて
いましたから、要するに
~臣下・子など目下の者が主君や親など(目上の者)を殺すこと~
を意味する言葉のようです。

さてここまでは、フムフムと読み流していたのですが、その後の段には
「天皇弑逆事件」すらあったと説明されています。
「神の子孫」であり「至高の存在」とされている天皇についても、長い歴史の
中にはそのような狼藉がいくつかあったということのようです。

試しに、そこに挙げられた「弑逆された天皇(かも?)」を時代順に挙げると、
こうなります。
○第 20代・安康天皇(生没年は古すぎて不明)
        →皇族による天皇殺害? ただし史実性が低いとされる。
○第 32代・崇峻天皇( 553-592年)
        →蘇我馬子が主導した天皇暗殺事件の被害者。
○第 47代・淳仁天皇( 733- 765年)
        →政敵であった称徳(孝謙)女帝派により殺害?
○第121代・孝明天皇(1831-1867年)
        →突然の崩御だったため、その後長らく毒殺説が囁かれた。

ただ、多くの場合は、信憑性に欠ける、あるいは憶測の域を出ないなどの
理由から、確定にまでは至らないとされていますが、唯一崇峻天皇
ケースだけは「弑逆」であることがバッチリ確定しているようです。
そこで、モロにヒマ人の行動パターンですが、その「崇峻天皇弑逆事件」を
少し追ってみることすると、そこにはこう書かれていました。
~蘇我馬子が東漢駒を用いて崇峻天皇を暗殺させた~

さあ、ここから先へ進むには、登場人物について少し整理しておく必要が
ありそうです。
蘇我馬子(そがのうまこ/生年不肖-626年)
  →飛鳥時代の政治家で、崇仏の可否をめぐって廃仏派の物部守屋
   (生年不肖-587年)と対立するもこれを滅ぼした。
東漢駒(やまとのあやのこま/生年不肖-592年)
  →崇峻天皇と対立関係となった馬子に命ぜられ、崇峻天皇を暗殺。
   その後馬子に殺されるが、これは馬子側の口封じとされている。

○第32代・崇峻天皇(すしゅんてんのう/553-592年)
  →馬子の政治力で即位を果たした後も、政治の実権は常に馬子に握られて
   いたため、これに次第に不満を覚え、逆に馬子に警戒されるようになった。

人物それぞれの相関関係は非常にややこしいのですが、蘇我馬子を中心に
据えて眺めるなら、概ねのところこんな案配になりそうです。
まず、天皇弑逆の実行犯である東漢駒は、標的となった崇峻天皇の妻の
一人を略奪して、自分の妻にしている事実があります。
その「妻の一人」というのが、何を隠そう、実は黒幕・馬子の娘なのですから、
話はハナから混み入っています。

「娘を略奪」した駒に馬子はえらく立腹しました。
当の駒を取っ捕まえるや、髪を枝に掛けて木に吊るし、罪を数えあげながら
自ら弓を引いた・・・そればかりか、駒の腹を裂いた挙句に首を斬ったと
いわれています。 
少々おぞましい印象ですが、まあこの辺はどのような説明がされていても、
実際のところは、事件の黒幕・馬子が実行犯・駒の「口封じ」に及んだという
ことなのでしょう。

さらに人物関係を追ってみると、弑逆の犠牲者となった崇峻天皇の母・
蘇我小姉君(生没年不詳)が、馬子とは兄弟姉妹の関係だそうです。
つまり、崇峻天皇と蘇我馬子は・・・ええっと、どういう関係になるの?
「甥と伯父(叔)父」の関係ということでいいのかなぁ。
だんだんワケが分からなくなってきたゾ。

蘇我馬子01 大化改新51






 蘇我馬子/乙巳の変(蘇我入鹿暗殺事件/645年)

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分からんついでに、無責任にもう一つ話を拡げてしまうと、崇峻天皇の
先代、第31代・用明天皇(生年不肖-587年?)の息子が、実は超有名な
あの聖徳太子(574-622年)ですから、崇峻天皇と用明天皇とは
同母兄弟になり、だったらこの馬子と聖徳太子の関係は、ええっと、ええっと?
・・・やっぱり、よく分からん。

唐突に聖徳太子を登場させたのには理由があります。
弑逆に倒れた崇峻天皇の後継・第33代・推古天皇(女帝/554-628年)の摂政
として、馬子と協調して政治を行ったのが、他ならぬ聖徳太子だからです。
そして、推古天皇と摂政・聖徳太子は叔母・甥の間柄にあって、推古天皇
蘇我馬子の間柄は、年齢の違いが三歳ほど姪と叔父の関係で・・・ウワッ、
もう止めた!
要するに、この頃の権力者階級は、それぞれに濃い薄いの差はあるものの、
みんなが親戚縁者の関係にあったと見た方が話は早い。

この辺りの人物は「生年不肖」とされていることが少なくないばかりか、
人物相関関係がやたらと複雑です。 その証拠に「聖徳太子不在説」や、
さらには馬子の孫・入鹿(生年不肖-645年)と聖徳太子は同一人物である
なんて説も登場しているくらいほどで、実在性にもクエスチョンが付けられる
ことがあるほど、実はよく分からんということのようです。

ですから、この「崇峻天皇弑逆事件」の解釈も一筋縄ではいきません。
~蘇我馬子が東漢駒を用いて崇峻天皇を暗殺させた~
これが通説ですが、「天皇殺し」という前代未聞で空前でメッチャ破天荒な
事件が勃発したにも関わらず、事件の一月ほど後には早々に、次の天皇、
しかもそれが史上初の「女帝」である推古天皇の即位が実現しているのです
から、それほどの大騒動に発展しなかったようにも見えます。

ということは、「黒幕・馬子/実行犯・駒」という、単純な構図の暗殺事件という
ことではなく、もっと広範囲にわたる人間たちを巻き込んだ、ある種の
権力抗争だったことも考えられるわけです。
そこで、以下はこの「弑逆」について筆者が思い描いたファンタジー(妄想?)。

権力抗争の実態が明るみに出ることは、関係者全員が望みません。
表沙汰になって得することは一つもありませんから、もうそっとしておいて
欲しいということです。
そこで、改めて掘り返されることのないように工作されたのが、
「黒幕・蘇我馬子/実行犯・東漢駒」というシナリオです。

このシナリオの優れたところは、黒幕とした「蘇我氏」からクレームを付け
られることは決してないという点です。
なぜなら、中大兄皇子(後の天智天皇/626-672年)や中臣鎌足(614-669年)
らの手により、蘇我入鹿(生年不肖-645年)が暗殺(乙巳の変/645年)され、
それとともに、その父・蝦夷(生年不肖-645年)までが自殺に追い込まれた
挙句に、結局蘇我氏宗本家は滅亡に至ったからです。

こうなると、まさに、「死人に口なし」といったところでしょうから、蘇我氏に
悪役を押し付けることには遠慮がいりません。
実は暗殺事件において、この方法は歴史的にも割合よく採用されている
のです。

日本の例なら、たとえば、鎌倉幕府第3代将軍・源実朝(1192-1219年)の
暗殺事件もその通りのパターンで、事件直後には犯人とされた者が消されて
いますし、アメリカ合衆国のケースでは、第35代大統領J・F・ケネディ(1917-
1963年)が、テキサス州ダラスで凶弾に倒れた「ケネディ大統領暗殺事件」
(1963年)の折にも、実行犯とされたオズワルドは、事件2日後に暴漢の銃弾に
よって早々に命を落としています。

そうした実例を見るにつけ、崇峻天皇の場合も、必ずしも「黒幕・馬子/
実行犯・駒」による「弑逆」とは決めつけられない気がしてくるわけです。

ここまではが筆者が思い描いたファンタジー(妄想?)で、以下は蛇足の
「蘇我氏の不思議」について。
廃仏派の物部氏と戦争するくらい仏教に積極的だった蘇我氏でしたが、
ひょっとしたら、キリスト教にも隠密裏の関わりを持っていたのでは?

蘇我一族4代の名前、稲目(いなめ)/馬子(うまこ)/蝦夷(えみし)/
入鹿(いるか)/が、その疑問の根拠。
いなめ→「ヨハネの黙示録」の使徒・ヨハネに似た語感
うまこ →新約聖書「マルコによる福音書」のマルコに似た語感
えみし→キリスト教の神「イエス」に似た語感
いるか→新約聖書「ルカによる福音書」のルカに似た語感

ヨタ話として一蹴されることは覚悟していますが、それぞれの名にこれほどの
一致感が漂っていると、やっぱり、この頃すでに日本には「キリスト教」が
伝わっていたと考えたくなりませんか?
えぇならないってか、あぁさよか、そりゃあ悪かったネ。



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