日本史の「油断」09 史実と伝説行ったり来たり

天孫降臨の折、天照大神は地上に降りる皇孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を
こんな言葉で送り出したようです。
~この日本の国は私の子孫が王となるべき地なのですから、皇孫である
  あなた(瓊瓊杵尊)が行って治めなさい。 いいこと、ここのところが特に
  大事なことですが、皇室が栄えることは天地がある限り永遠なのですよ~


しかし、この地の王・大国主命(オオクニヌシ)とっては、この一方的な
宣言はまさに青天の霹靂ともいうべきものでした。
少なからずの反感を覚えるのは当然です。 
~なんちゅう、自分勝手で理不尽な奴だッ!~
そこで、大国主命はこの他所者に対してそれなりの抵抗を見せましたが、
到底勝てないことを思い知るや、こんな条件を持ち出しました。

~ボクの住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く
  立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう~

しっかり条件は付けましたが、「隠れて(死)」と言っているのですから、
結局は大国主命側の敗北宣言にほかなりません。
もっとも、このことによって、一方の天照大神側も約束した「立派な宮」を
建造させられるはめになったのですが。

天照大神側は、欲しかったこの地を、この時点でもう入手しちゃったの
ですから、約束の方はすっとぼけてしまう手もありました。
しかし、それでは後々のタタリが怖い。
そこで律義に約束を果たすことにしましたが、要求されたその「立派さ」は
ハンパなものではありませんでした。
伝承に従えば「高さ32丈(約96M)」を誇る大神殿ということです。

平安時代末頃に、「金輪(かなわ)造営図」と呼ばれる出雲大社本殿の
平面図が残されました。
それによれば、さすがに「高さ32丈」はなく、その半分だったとされていますが、
しかし、問題はその「16丈」(約48M)という高さです。
これは「15丈」(約45M)とされる東大寺大仏殿や平安京大極殿を凌ぐもので、
要するに、「敗者」(大国主命)の住処を、この国の国教(仏教)の大本山の
神殿よりも、天皇(国主?)の御殿よりも大きな(高い)建物にしたという
ことになります。

世界の常識にてらせば、いささかはみ出した感じで、ここでも
~日本の常識は世界の非常識~という印象は拭えません。
ただし、このあたりの不可解さは、少し頭を冷やして、日本民族固有の
「怨霊信仰」などをキーワードにして考察することで、それなりの解決は
できそうです。

それはともかく、平安時代には「雲太・和二・京三」という言葉がありました。
これは、本来の「出雲太郎・大和次郎・京三郎」を縮めた、正月の「アケオメ」
的な言い方で、要するに建物の大きさ(当時は高さ)を順に並べた、
~出雲大社が一番、(大和)東大寺大仏殿が二番目、三番目が京の大極殿~
このことを意味していました。

~天皇様御殿よりも、大仏様神殿よりも、さらに立派な出雲大社だって?~
伝承はあるものの、やたらに高いその建物の構造まで踏み込んで考えると、
この見解には賛否両論が出るのは当然です。
実際その後の学者さんの多くは、「16丈」というこの高さをいささか現実離れ
した構造と受け止め、史実とは認めませんでした。
「伝説に過ぎない」という態度です。

江戸時代の国学者・本居宣長(1730-1801年)も、その平面図「金輪造営図」
を、そうした気分で眺めた一人だったようです。 そこには、
~3本の柱を束にして金(カネ)の輪で縛り、それを1本の柱として用いる~
というなんとも奇妙な構造が示されていましたから、宣長が半信半疑の
気持ちを抱いたとしても無理はありません。
それでも、宣長はこの図を写し取る作業はきっちり行いました。

ところが、この宣長の半信半疑から200年以上たった実に2000年のこと。
当の出雲大社境内拝殿近くの地下0.5~1.5mのところから、平安時代末と
考えられる巨大な本殿跡の一部が確認されたのです。
柱材三本を一本に束ねた、直径約3mの柱の根本部分も遺存していて、
これは平面図と同じだったことも分かりました。

つまり、まだ決定的な証拠が揃ったわけではないものの、平面図の
信憑性が一気に高まり、高さ16丈説が有力となったということですから、
逆に言えば、「雲太・和二・京三」という言い伝えも荒唐無稽と切り捨てる
ワケにもいかず、つまり、「16丈の高さの出雲大社」は今も
「史実と伝説(の間を)行ったり来たり」していると言えるのかもしれません。

出雲大社塔02 箸墓古墳01









「出雲大社」(高さ16丈(約48M)の建物)/「箸墓古墳」(卑弥呼の墓?)

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「史実と伝説(の間を)行ったり来たり」・・・これに似たことは、実は奈良県
桜井市にある前方後円墳である「箸墓古墳」についても言えそうです。
あまりに古いせいか実際の被葬者は明らかでないものの、古墳を管理する
宮内庁は第7代孝霊天皇・皇女の倭迹迹日百襲姫命、舌を噛みそうな
発音になりますが、(やまとととひももそひめのみこと)の墓と比定しています。

ところが、一方ではこの古墳を邪馬台国の女王・卑弥呼(生年不肖/
没年242~248年)の墓とする研究者もいるのです。
その根拠としては、
○この古墳の後円部の直径が「魏志倭人伝」にある卑弥呼の円墳の
  直径「百余歩」にほぼ一致する(と見ている)。
○古墳の築造年代は3世紀後半以降と推定されている。
などが挙げられています。

学問的には、「第7代孝霊天皇」は伝説に域を出ない人物ですから、
その娘もまた伝説上の女性ということになるのですが、被葬者がひょっこり
「卑弥呼」ともなれば、話は大きく変わって「実在した女性」ということに
なります。
つまり、ここでも「史実と伝説(の間を)行ったり来たり」もどきの状況に
なっているわけです。

なぜ、「行ったり来たり」になるかと言えば、この「箸墓古墳」の築造年代が
確定できないからです。
状況証拠的には「卑弥呼の墓」の雰囲気を色濃く漂わせているものの、
肝心要の築造年代を卑弥呼の死亡より以前だと、学者さんたちが判定した
なら、お話が根底から崩れてしまいます。
事実、これまではそうした流れの中にあったようです。

ところが、これもつい最近の2009年のことですが、箸墓古墳の築造年代を
「240-260年頃」とする研究が報告されたのです。
これだったら、卑弥呼の「没年242~248年」と矛盾はしないことになるの
ですが、ところが反面では、古墳に対する年代測定法には結構な誤差が
あることを指摘する向きもありますから、要するにこうして得られた
「測定結果」は、「当てになって当てにならない」レベルということなのかも
しれません。

これは箸墓古墳に限らず、どの古墳も同様ですが、築造されて以後の
管理は、長い間にわたり、あまり良好と言えない状況が続いていました。
これには、築造以後に武士階級という新興勢力が登場し、それと並行して
天皇家の力が衰えていったという史実も大きな影響を及ぼしているようです。

天皇家にしてみれば、古墳を初めとしてお手入れが必要なご先祖様の墓が
ワンサカあるのに、そうするだけの財力がないのですから、結局はどうする
こともアイ・キャン・ノットというところに落ち着きます。
また、武士からすれば、所詮「他人様の家」のことですから、ハナから口出し
もしなければ、ましてや金出しをするつもりもありません。

事実、この箸墓古墳にもこんなお話が伝わっています。
戦国時代から江戸時代にかけてのことでしょうか、墳丘上にお茶室が設け
られたり、ふもと近くでは地元の有力者が茶店を経営していたこともあった
とされています。
古墳を大切に保全管理するという意識が皆無だったということでしょうね。

ですから、荒れ放題にし続けた後になって、「さあ、正確な築造年代を探ろう」
ということで調査に入ったところで、とてもじゃないが正確な答えが出るもの
ではないことは素人にだって分かろうというものです。

ということは、箸墓古墳の築造年代を究明する努力は、今後もしばらくは
必要とされ、言葉を換えれば、こんな言い方ができるのかもしれません。
~箸墓古墳は、「卑弥呼の墓」と(宮内庁のいう)「倭迹迹日百襲姫命の墓」、
  つまり「史実と伝説(の間を)行ったり来たり」している~


もっとも筆者個人的には、仮に卑弥呼の死より、築造年代の方が早いという
結果が導き出された場合でも、「箸墓古墳は卑弥呼の墓」としていいような
気がしています。
だって、現代にも「生前葬」という考え方があるのですから、それを思えば
卑弥呼が「生前葬」を考慮し、早めに墓地を用意したところで、何らの
学問的矛盾は生じないように思えるからです。



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