日本史の「落胆」02 純正室町時代の数え方?

鎌倉時代から明治時代に至る間の時代区分は、それぞれの定義や解釈に
よって微妙に異なる感じもありますが、筆者がたまたま目にした日本史年表
では、以下のように整理されていました。
○鎌倉時代 →→ /1185-1333年
○建武の新政 → /1333-1336年
室町時代 →→ /1336-1573年
   ◇南北朝時代/1336-1392年
   ◇戦国時代  /1467-1590年
○安土桃山時代  /1573-1603年
○江戸時代 →→ /1603-1868年

ご丁寧なことに、それぞれの年号も併記されていて、そこへも目をやると、
「室町時代」というくくりの中に「南北朝時代」が潜り込み、さらには「戦国時代」
も「室町時代」の中の終盤部分に重なる形で始まり、後の「安土桃山時代」に
突入しても、なおまだ続いていたことになります。
いやあ、「室町時代」の周辺って、妙に複雑な事情を抱えているのですねぇ。

考えてみれば、そもそもこの「室町」ってのが、シックリきません。
室町幕府の先輩である鎌倉幕府にせよ、後輩である江戸幕府にせよ、
武家政権の本分をわきまえた形で、きちんと関東(鎌倉・江戸)に本拠地を
置きました。
ところがドッコイ、室町という土地は関東ではなく京なのです。
武家政権の本拠地を、わざわざ朝廷公家の本拠地・京に置いたのですから
「室町(時代・幕府)」はもうこの辺からすでに奇天烈性が漂っています。

ではなんでまた、武士の本拠である関東ではなく、仮想敵国?朝廷・公家の
本拠地・京に幕府を置いたのか?
ちなみに、「幕府」とは前線司令官が陣地に張った幕(テント)、「征夷大将軍」
はその前線最高司令官を意味した言葉です。

ですから、「征夷大将軍」とは、国家権力を代表する今でいう「総理大臣」
とはチョト違いますし、また「防衛大臣」でもなく、強いて言うなら、外国相手の
戦争における「○○方面軍総司令官」ほどのイメージになるのでしょうか。

そうした流れで、幕府を室町に置いたことを眺めるなら、こんな結論になる
のでしょう。
~メッチャ強大な敵対勢力が京(室町)のごく近いところに存在していたため、
  武家(足利氏)政権は幕府を、自分たちの庭とする「関東」に置くことが
  できなかった~

その敵とは、足利尊氏(1305-1358年)らの有力武士を動かすことで鎌倉幕府
を滅亡に追いやり、束の間とは言うものの、「建武の新政」と区分される時代
を作った第96代・後醍醐天皇(1288-1339年)です。

その政治手法は、すべては天皇親政(直接政治)が正しいとする「唯我独尊」
タイプのものでした、
しかし、自分の理想しか眼中にないその姿勢は、これまでの協力者・足利尊氏
の離反を招いた上に、「建武の新政」をも終焉に招き、結局後醍醐天皇
幕府勢力の及ばない国外?(吉野)の地に亡命政権?打ち立てる他に方法が
ないところまで追い詰められたわけです。

後醍醐から離反した足利尊氏が征夷大将軍に就いて創設した武家政権が、
後に、今話題に取り上げている「室町幕府」と呼ばれることになります
~京の近くに朝廷の亡命政権がある~
そういう状況なら、武士側とて「前線基地」(幕府)を京の近くに構え、
曲者・後醍醐の挙動を監視する必要があります。
関東の地を本拠としていたのでは、それが果たせません。

この時期は「室町幕府」は一応の成立を見せたものの、一方には後醍醐が
率いる「亡命政権」があるという状況ですから、これを時代区分で示せば、
つまり、「室町時代」の一部に「南北朝時代」が存在(共存?)するという構図に
なるわけです。
しかも、その「南北朝時代」とされている期間が、ザッと半世紀余りという
結構な長さで、なんともまあ、ややこしくてため息が出てきそうです。

金閣寺51 銀閣寺61






金閣寺(室町幕府安定期)/銀閣寺(室町幕府衰退期)

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このように「室町時代」の始まりの部分は結構複雑な状況を呈したのですが、
終わりの部分、つまり終焉の時期だって負けてはいません。
「戦国時代」という、これまた複雑系の時代区分があるからです。
では、その「戦国時代」の始まりは?

幕府管領家の家督争いに端を発し、そこに第八代将軍・足利義政
(1436-1490年)の後嗣争いも加わって、ついには全国規模にまで拡大した
「応仁の乱」(1467-1477年)の勃発をもって「戦国時代」の始まりとして
います。(異説もあり)

そして、十年余に亘る戦乱の結果、京全域を焼け野原にしたこの乱の
後に、天下を統治できるだけの者が登場しなかったことが不幸のタネで、
「強い奴が勝つ」ことを当然とする時代が到来し、またそれが続きました。
「下剋上」(げこくじょう)、つまり「下位の者が上の者に打ち剋(か)つ」
いう言葉が、この時代の雰囲気を如実に表しているのかもしれません。

いわば「なんでもあり」の時代であり、「群雄割拠」の時代ですから、これに
終止符を打つことに、とてつもなく大きな困難が伴います。
そうした混沌に一つの道筋を付けたのが尾張国・織田信長(1534-1582年)
による「天下布武」の行動でした。
~おミャーさんたちがやれせんのだったら、このワシがやったるがや~
  (諸君が手を出さないのであれば、不肖信長がやってみせる!)

しかし、その信長も家臣・明智光秀(1528-1582年)による謀反「本能寺の変」
(1582年)で落命の憂き目にあっていますから、その意味でも、まさに
「なんでもあり」の時代だったわけです。
その後に信長の家臣だった羽柴秀吉(1537-1598年)が、天皇から「豊臣姓」
(1585年)を下賜されるだけの実力を身につけると、当時最大の対抗勢力
だった北条氏を「小田原征伐」をもって降し、実質的な天下人に収まりました。

この「小田原征伐」(1573年)が、一応は「戦国時代」の終焉とされて
いますが、ところが、「安土桃山時代」はそれを待つことなく、すでに始まって
いるということですから、この辺りも同様に話がややこしい。

上の時代区分からすると、室町第15代将軍・足利義昭(1537-1597年)が
京から追放されて、室町幕府が事実上の滅亡に追い込まれた時から、
北条氏が秀吉に敗れた時まで、つまり、年号にすれば「1573年~1590年」
の間は「戦国時代」でもあり同時に「安土桃山時代」でもあるという、
魔訶奇天烈でワケの分からん説明になっているわけです。

ですから、こんな素朴な疑問も生まれます。
~他の時代と重なっていない、いわば「純正室町時代」っていかほど?~
上の時代区分表を当てにするなら、こんな結論になりそうです。
~「南北朝時代」の終了時点(1392年)から、「戦国時代」の始まりとされる
  時点(1467年)の間の75年間ほどが、他の時代区分と重ならない
  いわゆる「純正室町時代」と呼べるのでは?~


では、その「純正室町時代」って、どんな時代だったの?
手練手管を駆使することで「南北朝時代」を終焉させた怪物、第三代将軍・
足利義満(1358-1408年)の全盛時代から、その義満の子で剛腕政治を
推し進めた第六代将軍・足利義教(1394-1441年)が暗殺に倒れるまでの
時期と、ほぼほぼ重なっていますから、言葉を換えれば、この時期を
「室町幕府安定期」と呼べるのかもしれません。

それにしても、始まりの頃には「南北朝時代」に侵食され、終わりの頃には
「戦国時代」に割り込まれた「室町時代」って、なんとなく幸薄い印象です。
そういえば、「戦国時代」が大好きな日本史ファンは多く見聞き
しますが、「戦国時代の部分を抜いた室町時代」、つまり筆者の造語である
「純正室町時代」が大好きだという日本史ファンに、今のところ出会った
ことがありませんから、やっぱり幸薄い?



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