日本史の「付録」10 なにゆえ貴殿が国葬に?

幕末の推移が分かりにくいのは、たぶん劇的な事態急変と逆転が遠慮なく
登場することが原因の一つになっているのかもしれません。
たとえば、その幕末期に政局の安定と攘夷実行を目論んで、いわゆる
「公武合体」路線を強力に推し進めた孝明天皇(1831-1867年)が突然の
崩御に見舞われたことを受け、その後継に立った明治天皇は逆に開国・
倒幕路線に軸足を移しています。

はたまた、それまで「官軍=幕府側」としていた政局構造も、その後には、
それと真逆の「賊軍=幕府側」になるという逆転を見せていますし、さらには、
「賊軍=長州藩」だったものが、そのことと連動する形で、ひょっこり
「官軍=長州藩」に収まるという大逆転も見せています。

これらの劇的変化に比べれば、割合に目立たないのかもしれませんが、
そうした経緯は薩摩藩にも見受けられます。
名君・島津斉彬(1809-1858年)亡き後、薩摩藩の「国父」という立場で
発言力を持つようになっていた異母弟・島津久光(1817-1887年)のことです。

久光のこの「国父」という中途半端な肩書?は、藩主の座には久光長男の
茂久(忠義/1840-1897年)が斉彬の養子という立場で収まり、久光自身は
藩主に就くことがなかったことによります。

「西洋かぶれ」と見られたほど進取の精神に富んだ兄・斉彬に比べたら、
弟・久光は根っからの「朱子学信奉者」ということもあって、「祖法大事」の精神に
富んでいましたから、この時代の物差しを持ち出すなら、その点では
(朱子学的)「優等生」という評価になるのでしょう。
つまり、その言動は自ずと「超保守的」になりますから、これでは新しい
「国づくり」が必要だとする、藩士・西郷隆盛(1828-1877年)や大久保利通
(1830-1878年)たちと意見が合わないのも当然です。

それでも、一応は家臣の立場ですから、大久保なぞはそれなりのゴマスリを
しながら国父・久光その懐へ飛び込むなども才覚を見せましたが、お世辞も
できない生一本な性格の西郷の言動は、久光の癇に障ることも少なくなかった
ようで、遠島など結構過酷な対処まで受けています。
そうした仕置きの数々は、現代なら間違いなく「パワハラ」を超えた扱いと
判定されるに違いありません。

根っからの守旧派である当時の島津久光は、倒幕なんて大それた考えを
微塵も持っていませんでした。
朝廷と幕府が公武合体路線に乗って、政治実務は従来通りに幕府が担い、
昨今うっとうしい外国に対しては、追い払うことを徹底すればそれでいい
じゃないか、とする姿勢です。
孝明天皇も同様な考え方を信念として堅持していましたから、結論はどう
転んでもそこへ落ち着くはずでした。

ところが、朝廷も幕府も、何とも思いがけない「転び方」を見せたのです。
まずは、第14代将軍・徳川家茂(1846-1866年)が満20歳の若さで急死。
外国が開国を迫っている時期ですから、後継選びに幕府はそれなりの
エネルギーを費やさねばなりませんでした。

その結果、第15代将軍には徳川慶喜(1837-1913年)が就いたのですが、
その20日ほど後のこと、今度は孝明天皇が突然の崩御。 
こちらも満35歳の若さでした。
ちなみに、この孝明天皇の異母妹姫が将軍・家茂に降嫁した、いわゆる
「皇女・和宮」(1846-1877年)ですから、孝明天皇と家茂将軍は義兄弟の
間柄になります。

島津久光01 徳川慶喜51











薩摩藩「国父」島津久光/第15代将軍・徳川慶喜

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つまり、その演出者と主演者を相次いで失った「公武合体路線」の前途には
暗雲が立ち込めたわけです。
こうなると、外様に過ぎないとは言うものの、ちょい前には第11代将軍・
家斉の御台所(正室)を送り込んでいる島津家の人間ということもあって、
久光としても頓挫しかかっている公武合体路線に対して、少しは口を挟み
たくもなります。
ガチガチの攘夷論者ですから「鎖国堅持」についてはなおさらです。

確かにそうした方向で動いたのは事実ですが、実はここにも幕末の
分かりにくい変化・逆転はあるのです。
~これまで通り幕府が政治を担い、昨今うるさく迫っている外国に
  対しては力ずくで打ち払うのが、この国のあるべき姿である~

こう主張し続けていたのが久光です。

それに対し、幕末の勝者が立てた明治新政府の意向は、
~幕府には退場願った上で、諸外国とのお付き合いを新たに始めること
  こそ、今この国に求められている姿である~

正反対の主張と言っていいかもしれません。

ところが意外なことに、そうした主張を確固として持っていた久光に対して、
真逆の政策を進めた明治新政府が、その死後、なんと「国葬」を取り行って
いるのです。
では、新政府を軽視するがのごとき親幕・攘夷の政治信条を持つ人物が、
なんでまた「国葬」を受ける立場に? なにかしら、とってもヘン!

こうした逆転も、幕末という時代を分かりにくくしているひとつかもしれません。
外様と幕府という立場の違いがあるにしても、薩摩藩・久光も、そしてまた
将軍・慶喜も幕府存続・開国拒否という共通の政治理念を持っているのです
から、本来ならこの点では協力し合えたはずです。
ところが、実際にはそうは運んでいません。

慶喜は将軍になる前から、久光をどうしても好きになれなかったようです。
その原因を突き詰めていけば、久光の態度に大きな疑心暗鬼を感じたから
でしょう。
それである時、慶喜は酒に酔ったフリをして、人前で久光に向って天下の
愚物と罵ることまでしました。
久光をプッツンさせれば、久光の政治介入を阻止できるかもしれないと
踏んだわけです。

慶喜の目論見通り、久光はプッツンしてしまいました。
ところがギッチョン・・・それだけで収まらなかったのが久光の腹立ちでした。
さすがに一気にとはいきませんでしたが、いくつかの経緯を辿った末、
最終的に久光は、慶喜との政治的妥協の断念し、国父のこの決断を得た
薩摩藩は武力倒幕路線に踏み出したのです。

薩摩藩を味方に付けるか、あるいは敵に回すか、この「行って来い」の
差は幕府にとっても非常に大きいものがありました。
薩摩藩にも「倒幕の密勅」が届けられ、ここに至って政局は「倒幕」路線で
突き進むことになったからです。

こうなってしまえば、江戸幕府の存続はあり得ません。
慶喜はすぐさま「大政奉還」(政権を天皇に返還)に及び、ここに265年もの
長きに渡って続いた江戸幕府は、ついに終焉を迎えました。
ですから、自身が意図したことではなかったのでしょうが、久光のプッツンは
日本の歴史に大きな影響を与えたプッツンになったワケです。

しかし、考えてみれば、いささか幼稚な芝居を打った慶喜も殿様なら、
そうした芝居を真正面から受け止めてしまった久光も、紛れのない殿様です。
これがもし、殿様同士でなく、双方が幾分大きめの堪忍袋をもった人物
だったなら、案外に異なる経緯を辿ったのかもしれません。

ですから、ちょっと皮肉交じりの視線で捉えるなら、久光の国葬は必ずしも
積極的な功績を称えたものというよりは、むしろ幕府・慶喜を結果的に孤立
に追い込んだという引き算的功績を評価したとも言えそうです。
しかし、そんな悪口じみた感想を持つことは、実はいささか憚られるのです。

というのは、現在の天皇家はこの島津久光の御子孫にあたるからです。
ついでですから、そこら辺をちょっと整理してみると以下の流れになります。
世代0) 島津久光(薩摩藩・国父/島津斉彬の異母弟/1817-1887年)
世代1) その長男・島津茂久(薩摩藩主・忠義/1840-1897年)
世代2) その令嬢・俔子(久邇宮邦彦王妃/1879-1956年)
世代3) その第一王女・香淳皇后(昭和天皇の皇后/1903-2000年)
世代4) その第一王子・明仁殿下(今上(平成時代の)天皇/1933年生)
世代5) その第一王子・徳仁殿下(平成の次の天皇/1960年生)

ですから、逆から眺めれば、やがては「平成天皇」と呼ばれることなるで
あろう今上天皇の「曽曽祖父」に当たる人物がこの島津久光ということに
なります。
しかしまあ、血筋を五代も遡ると、「続柄」にいくつも「曽」が付くので、
結構難儀な作業になりますねぇ。


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