日本史の「ツッパリ」23 触らぬカネにタタリなし

~江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ~
本音であったかどうかは分かりませんが、こんなセリフを吐いて粋がっていた
とするなら、江戸っ子の「お金」に対する感覚は、チマチマ貯金に励む
現代日本人とは少しばかり異なるものがあったと言えそうです。

(お金の)「使い方」が違えば、(お金の)「造り方」の方にも違いがありました。
ただし、この場合の「お金の造り方」とは、貯金とか財テクなどといった
「作り方」ではなく、文字通り物理的な「造り方」すなわち「造幣」のことを
指しています。

江戸時代は、金貨(小判・一分判)、銀貨(丁銀・小玉銀)、銭貨(寛永通寶)と
いう三種類の基本通貨を流通させた、いわゆる「三貨制度」」を採用して
いました。
現代人には、「なんとなくややこしい」印象にもなりますが、必ずしも
「公式制度」としてはいなかったようで、これは「定めなかった」というより、
「定められなかった」と言った方が実情に即していたのかもしれません。
考えてみれば、「生きた経済」なんてものは、一片の通達・命令でスンナリと
制御できるほど単純なものでもありません。

その「三貨の製造」、つまり「造幣」過程そのものに、幕府が直接に関わる
ことはなく、それぞれの担当造幣業者(民間)に委託する形態をとって
いました。
「独立行政法人」の体裁を整え、その職員は「国家公務員」身分という
現在の「造幣局」の組織とはチョイ違っていたわけです。

~金貨は「後藤家」および「金座人」、銀貨は「大黒家」および「銀座人」ら、
  銭貨は「公募された町人」ら~

これらの人々が実際の造幣作業を担当しました。

~するってぃと、TVドラマでおなじみの小判なんかも、その直接の「製造元」
  は、江戸幕府ではなく、「民間造幣局」?ということに?~
 
もしそういうことなら、こんな素朴な疑問も湧いてこようというものです。

壱/「民間製造」ということなら、ニセ貨幣も大量に登場したのでは?
弐/「荷抜き」すなわち「ネコババ」などの不祥事はなかったものか?
参/なんでまた、江戸幕府自らが造幣しなかったのだろうか?

その内の壱)弐)については、具体的な造幣方法を知る必要があります。 
ので、その点をチョイ探ってみると、こんな二つの方用いたとの説明に。
------------------------------- 
  1・御用達方式→造幣業者が幕府から地金を一旦預かった上で貨幣に
             加工した上で幕府に納める方法
2・自家営業方式→造幣業者自らが地金を購入した上で、貨幣に加工して
            一部を税金として幕府に納める方法
------------------------------- 
大規模な「ニセ貨幣事件」や「貨幣ネコババ事件」が勃発したとか、はたまた
「造幣疑獄事件」?が大きな社会問題に発展したという事例もあまり指摘
されていませんから、先人たちはこの「造幣方式」で、さほどの不自由を感じる
こともなく、結構うまく運営していたということなのでしょう。
このことは、分野を問わず「製品性能偽装」事件が頻発している現代の
社会状況を思えば、ちょいとばかり、驚きの気持ちになろうというものです。

ひょっとしたら、そこには「武士道」ならぬ、商人には「商人道」ともいうべき、
独自の強い矜持があったのかもしれません。
造幣システム自体の不具合(バグ?)を、造幣業者自らの高い倫理観で
補っていたとも考えられるわけです。

また反面では、発注者である中央政府・幕府側にも、貨幣に対する一種の
「潔癖性」が備わっていました。
~金に執着しないのが、武士の武士たる本分である~とする思想で、これは
銭に対する拘りを是とする先の「商人道」とは対照的な心情になっています。

その点の機微を、「寛政の改革」を主導した老中・松平定信(1759-1829年)は、
いみじくもこんな発言で説明?しています。
~商は詐なり(商売・商業行為は詐欺に他ならない) 
要するに、こう言っていることになります。
~生産活動になんら寄与することもなく、他人が作った物品を右から左へ移す
  だけで、ウハウハの利益を上げるような行為はペテンにほかならず、それで
  生計を立てている商人なぞは、まったくもって人間のクズである~



貨幣銭51 松平定信55 










「三貨」(金貨・銀貨・銭貨)/朱子学信奉者・松平定信(商は詐なり)

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ありゃまあ、ずいぶんな言い方ですが、これが幕府が公式学問として採用した
「朱子学」の思想です。

商売が悪なら、そこに介在する「貨幣」なんぞは、さしずめ「悪魔のツール」?
ほどの受け止め方になりますから、
~何が悲しくてそんな卑しい小道具に、武士たる者(幕府)が関わらなくては
  ならないのだ! そんなものは身分卑しき商人に「丸投げ」ことが正しい!~
 
こうなるのはごもっともなところです。

幕府は、「貨幣造り」を商人に、つまり幕府外組織である「民間造幣局」に、
つ押し付けることで、「自らの手を汚さない」?で済む上手い方法を
見つけ出したということなのでしょう。
「悪魔のツール」?には、とことん関わりたくないわけです。
これが、参)なんでまた、江戸幕府自らが造幣しなかったのだろうか?~
この疑問に対する一応の解答になりそうです。

面白いことに、江戸幕府はお金(貨幣)について、独特の哲学を持って
いました。 ~お米は貴いものであるが、お金(銭)なんぞは賤しいもの~
いわゆる「貴穀賤金」の意識です。

それは、~武士たる者が賤しいお金に執着するのはよろしくない~
とする道徳・倫理観までに発展していき、さらには武士一人一人の
倫理観にもつながっています。
よく耳にする~武士は食わねど高楊枝~という意識もその流れの中にあって、
~たとえ貧乏しようとも、銭が要るなどと、商人のようなさもしいことは
  言わないのが名誉を重んじる武士たる者の取るべき態度である~


その意味では、「造幣丸投げ方式」を実行した幕府は幕府で、また武士は
武士で、~武士は食わねど高楊枝~のモットーをもって双方共に「貴穀賤金」
の姿勢を貫いていたとも言えそうです。

しかしまあ、権力者及びそれに属する階層の人々が声を揃えて、
「銭(金)なんぞ大嫌いじゃ!」と言っているのですから、江戸幕府とは
世界にも珍しい「厭銭(金)政権」だったと言えるのかもしれません。

そこでちょっと不埒な疑問を抱いてしまうのですが、こうした民間「造幣業者」の
中には、ひょっとしたら、現代で言う「品質偽装」?もどきのズルを働いた者も
いたのではないか? しかし、仮にこうした場合であっても、
~武士たる者が賤しいお金に執着するのはよろしくない~という哲学を持つ
武士がそれを監督するのですから、少なからず「気づかぬフリ」で見逃す
ケースもあったのではないかと想像されます。

そうしてみると、武士も江戸っ子も、おカネに対する、いささか偏狭な?哲学を
持っていたのが「江戸時代人」とも言えそうな気もしてきます。
しかも、その双方のポリシーには、うっすらながら、なるべくお金から離れた
位置に我が身を置こうとする共通点も見え隠れしています。
それを気分を端的に表現するなら、~触らぬカネにタタリなし~

もう少し露骨な言い方をすれば、
~「嫌金主義」の政府(幕府)を、「嫌金主義」の役人(武士)が支え、
  そこに暮らす江戸っ子(一般国民)も、少なからず「嫌金主義」を粋と
  心得ていた~

ふーむ、「江戸時代」とは、なんちゅう摩訶不思議な世の中だったのだ!

さて、振り返って、では現代人が江戸っ子並みのこのような啖呵を切れる
かと考えれば、その点は大いに疑問で、さしずめこの程度のセリフに留まる
のではないでしょうか? ~ふぅ、現代人は宵越しの銭も持てぬ・・・~
残念ながら、ちょっとばかり迫力に欠けますねぇ。



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