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zoom RSS 日本史の「微妙」09 素知らぬ顔して意趣返し

<<   作成日時 : 2018/11/10 00:01   >>

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モンゴル高原に居住する遊牧民の有力族長の一人であったチンギス・カン
(1162-1227年)が、その他の遊牧民らを統合して創設した「モンゴル帝国」
(1206-1634年)は、その後もさらなる領地拡大に励み、いつしか下図にある
範囲をその「最大版図」(領土・領域・勢力範囲)とするようになっていました。

ざっくり言うなら、〜モンゴルから東域方面なら中国・朝鮮半島まで、
西域方面は東ヨーロッパ・現トルコ地域・シリアに至る、ユーラシア大陸を
横断する広大なエリア〜であり、具体的な数字では〜地球上の陸地の25%、
(日本式表現から二割五分または四半分)を占める〜
ということです
から、〜滅相もない広大さ〜と表現してもあながち大袈裟でもありません。

但し、いくら広いとは言え、「馬上で生まれ馬上で死す」と言われるほどに
馬との関わりが濃いライフスタイルを営む遊牧民ですから、それに伴って
領土拡張のエリアも、やはり「馬で活動できるエリア」に限られています。

たとえば、北域の超々寒い「シベリア」とか、はたまた南域については、
世界の屋根とも言われる険しいヒマラヤ山脈止まりで、その向こう側の
「インド」などは外しています。
馬中心のライフスタルですから、お馬サマが苦手とする気候エリアは、
遊牧民自身も「領土」という意識を持てなかったのでしょう。

しかし、こうした事態は「中原(世界の中心)の主人」を自負する漢人(中国人)
からすれば、メッチャクチャに我慢のならないことでした。
世界の文明・文化を一人で背負っていると自負する漢民族が、教養や文化の
カケラも持たない「野蛮な遊牧民族」に侵略されるなんてことは、絶対に
「あってはならないこと」なのです。 

しかし、その「あってはならないこと」が現実の姿ですから、その屈辱感たるや、
歯ぎしり程度のことで到底収まるものではありません。
そこで、腹いせ紛れにこんなセコイ小細工もしています。
「モンゴル」を表すのに「蒙古」という感じを充てたのです。

なるほど、「蒙古」ならたぶん「モンゴル」に近い発音になるのでしょうが、
ただその「蒙」の字には、〜道理に暗い・愚か・無知〜など、
要するに「愚か者」の意味があります。
しかし、その字を充てられた側の遊牧民自身は、そんな侮辱的な意味が
込められていることを知りませんから、「蒙古」を平気で使います。

その姿を傍らで眺める漢民族は、おそらく腹の中ではこんな嘲笑をして
いたことでしょう。
〜この無知ぶりはホントにどうしようもないレベルのもので、やっぱり
  「蒙」の字を充てたのは正解だった、ウププのプ〜
 
早い話が、侵略した遊牧民族に対して、漢民族は「素知らぬ顔して意趣返し」
(恨みを返すこと/しかえし/復讐) をしていたことになります。

こうしたイジワルというか腹いせは、人間社会では古今東西共通している
ようで、実は同じ頃の日本にも、それと思える出来事がありました。
モンゴル帝国の一部である中原地域を制圧していた「元」が、その領土東端
「朝鮮半島」の先の海に浮かぶ島国・日本に目を付け、侵攻を企てた時のこと
です。
その軍事行動は、いわゆる「元寇」(別に「蒙古襲来」とも)と呼ばれ、その
一度目には「文永の役」(1274年)、二度目は「弘安の役」(1281年)と、
それぞれに年号を関した名称が付けられています。

〜多少の海があったところで、わが国力からすればナンボのもんじゃいッ!〜
時の皇帝、つまり大元王朝の初代皇帝である「クビライ・ハーン」(1215-
1294年)は、そんな意気込みを見せていました。
実質的な属国とした朝鮮半島・高麗に命令すれば、侵略のための兵員も
戦費も、はたまた海を渡るための船舶建造でさえ、自国の腹を痛めること
なくナンボでも調達できるからです。

「元寇」は先にも示したように、前後二度にわたって実施されました。
ところが、「いわゆる定説」は、概ねこんな説明になっていますから、
「日本征服」という元側の当初の目的からすれば、いずれの場合も結果は
「大失敗」だったと言わざるを得ないようです。
〜元軍は戦況を優位に進めた後、陸を捨てて船に引き揚げて一夜を
  明かそうとしたその夜に暴風雨を受けて日本側が勝利した〜


逆に言えば、日本側の「国家防衛」は成功したわけですが、しかし、その
「勝因」については、朝廷と幕府で全く異なる見解を持っていました。
この時鎌倉武士に動員をかけ、元軍と直接戦闘の行動を展開したのが
幕府なら、片や朝廷は全国津々浦々の寺社にも呼びかけ、ひたすら
祖国勝利の祈願・祈祷を挙げることに心血を注いだのです。

モンゴルマップ01










モンゴル帝国「最大版図」

蒙古襲来絵詞01






「蒙古襲来絵詞」

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ですから、幕府は〜一目瞭然!鎌倉武士の奮戦が元軍を殲滅したッ!〜 
こう主張しますし、朝廷は朝廷で、
〜なにを寝ぼけたことを・・・マロたちの熱心・熱烈な祈願・祈祷が元軍を殲滅
  させるほどの「神風」(大嵐)を呼んだのじゃ〜
 当然こうなります。

現代人の感覚では、当然幕府の言い分に理があるように思えますが、
ところが、先に挙げた「いわゆる定説」はむしろ朝廷の言い分に沿った
内容になっています。 しかしまた、なんでそうなるの? 

〜元軍は戦況を優位に進めた後、陸を捨てて船に引き揚げて一夜を
  明かそうとしたその夜に暴風雨を受けて日本側が勝利した〜
この「いわゆる定説」の内容が正しいとすると、多くの疑問が浮かんできます。

○「戦況を優位に進めた」はずの元軍があっさり「陸を捨て」ちゃうのはヘンだ。
○上陸作戦遂行中の本隊が「船に引き揚げて」しまうのは、なおヘンだ。
○暴風によって元軍が壊滅的な被害を被ったのはいいとして、そこに
  対峙していた日本側の被害にあまり触れていないのは、ますますヘンだ。


ですからこの戦闘は、いわゆる「定説」とは異なる実態、むしろ真逆に近い、
たとえばこんな状況を呈していたことだって考えられないわけではありません。
◇元軍と鎌倉武士の間の戦闘は、当初は元軍の「戦況優位」の状況にあった。
◇「こりゃイカン!」ということで、態勢を立て直しの末に猛烈な「巻き返し」に
  出た日本側は、鎌倉武士の奮戦で元軍をかなりボコボコにやっつけた。
◇「暴風雨」によって船が大きな被害を被ったため、地上に残された
  元軍の上陸部隊兵士は、結局戦死するか、投降して捕虜になるしか方法は
  なかった。


つまりのところ、この「いわゆる定説」では、鎌倉武士の奮闘奮戦には
いたって低い評価しか与えていないのに、「暴風雨」の威力については
メッチャ大層にクローズアップしている印象があります。
もっと端的に言うなら、「いわゆる定説」は「朝廷側の見解」に沿い、
「幕府(武士)側の見解」を軽視・無視した内容になっているということです。

確かに「戦闘」という武士の専売?である荒っぽいやり方を、根っから嫌う
のが朝廷側の感性ですから、「戦争によって平和を勝ち取る」という思考は
持ち合わせていません。
そのため、「元寇」の災難が去った場合でも、こんな結論を導き出すわけです。
〜鎌倉武士の戦闘が今の平穏をもたらしたってぇ? ストップ・ザ冗談! 
  マロたちが実践したような祈願・祈祷などの平和的な手段によってのみ
  平穏は実現されるものなのでおじゃる〜


そうすると逆に、その「マロたちの祈願祈祷」が、確かに成果を上げたという
証拠も必要になってきます。
そこで持ち出したのが、「神風」という概念?信仰?ハッタリです。
〜見よ、マロたちの熱心極まる祈願・祈祷は「神風」となって実現し、
  あの侵略・元軍を確かに全滅させたではないか、ええぇ違うか?〜


そして、こうした歴史を書き残すのは、教養もカネも暇にも恵まれている
朝廷側の人間の方が圧倒的に多い。
悔しいかな、鎌倉武士側の教養・カネ・ヒマは彼ら足元にも及びません。

朝廷側としては、これで武士側に「素知らぬ顔して意趣返し」をしたつもり
だったのでしょう。 
平たく言えば、武士側の主張に一矢報いて溜飲を下げたわけです。
ところが、武士側もこうした成り行きを指を咥えてただ眺めていたいた
わけではありません。

〜このままじゃ、「元寇」の歴史は朝廷の主張通り書き換えられ、運が
  悪ければ、それが将来の「いわゆる定説」になってしまうかもしれん〜

ホントにここまでの危機感を抱いたのかどうか、それは分かりませんが、
ともかく「元寇」の折に参戦武士の一人として活動した自分の活躍を
「蒙古襲来絵詞」という絵にして遺したのが、鎌倉幕府・御家人の一人・
竹崎季長(すえなが/1246-没年不詳)でした。

この絵詞にあるイラストの御蔭で、現代日本人はその時の鎌倉武士団の
活躍をビジュアルな形で知ることができるわけです。
〜定説?「神風」のせいばかりでなく、鎌倉武士も元軍を相手に回して、
  結構シャカリキの奮戦をしていたんだなぁ〜

見た人は少なからずこんな感想になるでしょうから、ひょっとしたら、
この「蒙古襲来絵詞」って、鎌倉武士の活躍を意識的に無視した朝廷側に
向けて、その鎌倉武士である竹崎季長が仕掛けた「知らぬ顔して意趣返し」
だったかもしれませんネ。



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