日本史の「ツッパリ」22 戦国ボランティアの聖戦

~山口県周防大島町で8月12日から行方不明になっていた2歳の男児が
  15日、無事に保護された。 山中で男児を発見したのは、ボランティアで
  捜索に加わっていた大分県の尾畠春夫さん(78)だった~

そもそも「ボランティアで捜索」という発想すら持ち合わせていなかった
筆者は~わずか30分ほどで男児を無事救出~という劇的なニュースに接し、
ただただ驚嘆するばかりでした。

また当の尾畠さんのボランティア歴もハンパなく凄いもので、なんでも、
2004年「新潟県中越地震」の折に参加した被災地ボランティア活動の
頃には、若い連中からすでに「師匠」と呼ばれていたそうです。
その上に今回は「たちまちに男児を発見救出」を賞賛する意味もあってか、
「スーパーボランティア」という呼び方も登場しました。

さて、そうなると、この「ボランティア」という日本語が言葉がちょいと気に
なってしまい、そこで改めてその意味を調べてみました。
~一般的に、自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指す~
こんな説明になっていますから、もっと簡単に言い切るなら、
~他人様のお役に立つ無償の活動~ほどの意味になるのでしょうか。

随分と長い前フリになってしまいましたが、今回はここからが本題です。
もし、「ボランティア」の意味がそうしたものなら、戦国武将最強の一人に
挙げられる越後国・上杉謙信(1530-1578年)などは、さしずめ
「戦国のスーパーボランティア」と呼べそうな気もしてきたのです。

もともとは越後国・守護代の家に生まれ、長尾景虎を名乗っていた人物は、
関東管領・上杉憲政(1523-1579年)に見込まれ、31歳(1561年)の折に
その養子となり上杉家の家督を譲られました。

足利将軍家の外戚として元々が名門の地位にあった上杉家は、その縁から
代々に渡って「関東管領職」を担ってきた家柄でした。
その上杉家の当主である憲政の目には、謙信が「関東管領」、いうなれば
室町幕府の関東支店長?ほどの重要な役職を任せるに足る人物と映った
わけです。
そこには、政治的・軍事的な能力もさりながら、この時代の武将としては
特筆に値する「実直さ」を備えていたせいもあったのでしょう。

さて、この「長尾景虎」も例外ではありませんが、この時代の武将の名は、
「偏諱を賜る」など、その都度の事情によりちょくちょく変わることが多く、
これが結構煩雑でもあるので、ここでは一番よく知られている「上杉謙信」
いう名を使います。
要するに、この上杉謙信なる人物は「正義」を己のアイデンティティに
するほどに、いたって真面目・生真面目・クソ真面目な性格を備えていた
ということです。

例えば、女性にはてんで見向きもしませんでした。
筆者とてオトナですから、女性に目を向けることを即「不真面目」・・・という
ような短絡的な捉え方はしませんが、それでも信仰上の理由から
「生涯不犯(妻帯禁制)」を貫き通したことは事実で、このことはやっぱり己の
信仰に対して生真面目に向き合っていたことの証拠と言える気がしています。

また、武神「毘沙門天」信仰に対しても、非常に熱心に取り組んだようで、
そのことは、自分の本陣の旗印に「毘」の文字を使っていた事実が証明して
います。
さらには、「関東管領」という役職についても、これまたメッチャ生真面目に
取り組んでいた様子が窺えるのです。

早い話が、謙信にこれほどの生真面目さがなかったとしたら、ひょっとしたら、
甲斐国・武田信玄(1521-1573年)を相手にした、あの有名な「川中島の戦い」
もなかったのかもしれません。

元はと言えばこの合戦、信玄の侵略行為に敗れた信濃国・村上義清
(1501-1573)が謙信に泣きついたことに端を発したものでした。
~謙信殿ッ! 信玄ってエラく乱暴な奴で、わが領地に攻め込むや勝手放題に
 しておるのです。 ついては、領地奪還のための御助力をお願いしたい~

実をいえば、この村上義清自身も結構戦上手な武将でしたが、それでも
信玄のパワーにはタジタジだったということです。

川中島謙信信玄01 上杉謙信51









「川中島の戦い」の信玄と謙信/関東管領・上杉謙信

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関東管領の立場にある謙信からすれば、大名それぞれが勝手な私闘を
繰り広げることを、指をくわえて見逃すこともできません。
そうしたことの取り締まりこそが、幕府の関東支店長?である関東管領・
謙信の役目でもあるからです。
さらにはそこに、~侵略のための戦いは一切行わない~という謙信自身の
ポリシーが重なります。 

つまりは、~(信玄の)侵略行動は決して正しくない~と受け止めていた
わけで、また、そればかりでなく、こんな言葉も遺しているのです。
~怙(えこ)によって弓矢は取らぬ。
  ただ筋目をもって何方(いずかた)へも合力す~

現代語に直せば、このくらいの意味になるのでしょうか。
~私利私欲の戦はしないが、道理がある者には誰にでも力を貸す~
要するに、「ワシは正義に味方する」と言っているわけです。

そうしたポリシーを持つ謙信ですから、正義は完遂されなければなりません。
信玄という強敵を相手にした「川中島の戦い」でも、その姿勢を貫いています。
両軍の激突は、簡単には決着が付かず、結果として足掛け12年
(1553年~1564年)、前後5回に渡って繰り返されました。

しかし、もともとが自分の野心から臨んだ合戦でもなく、仮にここで勝利を
収めたとしても、要するに、単に村上義清の原状復活?が叶うだけのことで、
自分の領土が増えるわけでもないのですから、損得勘定を考えたなら
他の行動をとる選択肢も、この時の謙信にはあったのかもしれません。

しかし、「頼まれた戦」にも関わらず、謙信は妥協することなく渾身の活動を
展開しました。
公的には「関東管領」であり、私的には「正義の味方/戦国のスーパー
ボランティア」を自負する生真面目一辺倒の謙信に、手抜きや打算があろう
はずもありません。

ここで一言申し添えておけば、不真面目極まるアナタには到底理解が
及ばないことでしょうが、「真面目」を貫くって結構窮屈なものなのですよ。
自慢するわけではありませんが、いや少しは自慢していますが、筆者は
その点を十分に理解しています。

それはともかく、あの有名は謙信VS信玄の直接攻防が行われたのは、
第四次に当たる1561年の合戦でした。
~両軍大乱戦の最中に、信玄の本陣が手薄になったと見た謙信が、単騎で
  突っ込むや太刀を振り上げたその刹那に、床几から立ち上がった信玄が、
  三度まで軍配でこれを受けた~
 ドラマにもよく登場するシーンです。

「他人様に頼まれた」この戦でどんなに大勝利を収めようとも、謙信が利益を
得ることはないのですから、常識的に考えれば、何もここまで命がけの過激な
行動を取る必要もないハズです。
しかし、ここが謙信の矜持というものなのでしょう。
~腰が引けた打算的な行動では、正義を行うことにならない~
それに、日頃の信心の成果?も織り込んでいたのかもしれません。
~毘沙門天の御加護があるのだから、自分は不死身である~

もし~間違えば、死んじゃうことがあるかも~なんて考えが、頭の片隅を
掠めたとしたら、敵陣突入なんて無謀な行動は取れるものではありません。
つまり、「毘沙門天」の後ろ盾があるからには、~間違っても死にはしない~
との思いになり、それがあって果敢に実行できたということですから、
いやぁ、信仰の力には大きなものがあるようです。

また謙信は、こんな生真面目さも発揮しています。
第13代将軍・足利義輝(1536-1565年)に謁見するため、前後2度(1553年/
1559年)までも上洛を果たしたことで、要するにヒマもカネも必要とする
こうした面倒・厄介な業務?を律義にこなしたのも、謙信にハンパない
生真面目さが備わっていればこそです。

こうした謙信の律義さは少なからず敵方の人間たちも認めていたようです。 
こうしたセリフが史実かどうかは分かりませんが、たとえば、
武田信玄~(息子・勝頼に)イザの時には謙信を頼るのがベストだぞ~
北条氏康~謙信はまっこともって裏表のない誠実な人間だよなぁ~

ですから、多くの人間がこう見ていたのかもしれません。
~「川中島の戦い」とは、謙信が生真面目だったからこそ起きた戦~
だって、謙信自身がこう言っているのですからね。
~私利私欲の戦はしないが、道理がある者には誰にでも力を貸す~

謙信にすれば、この場合の「道理」は武田信玄にはなく、村上義清にあった
ということでしょう。
そのために命がけの戦も厭わなかったのですから、謙信自身にとって、
「川中島の戦い」は、いわば「聖戦」だったのかもしれません。



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