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zoom RSS 日本史の「トホホ」27 望月だっていずれは欠けるゾ

<<   作成日時 : 2018/10/05 00:01   >>

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こう力説する知人がいます。
〜どんなに頼まれたって、オレの娘を天皇家に嫁がせることはないゾ〜
そんなお話が天皇家から彼のところへ舞い込むとは到底思えないこと
ですから、これはおそらく「杞憂」ということになるのでしょう。

ところが、天皇家との縁結びに積極的だった家も、長い歴史の中には
いくつか登場しています。
そうした中でも、最も有名なのが「藤原氏」で、なにせ、平安中期の
公卿・藤原道長(966-1028年)にいたっては、自分の娘を続々と天皇の后に
することで、いわゆる「一家立三后」(一家三后)という快挙?を成し遂げて
いるのです。

先の知人にはおよそ縁がないであろうその「一家立三后」とは、いったい
どんな状況をいうのか。 具体的にはこんな按配でした。
<1> 長女・彰子(しょうし/988-1074年)を
   第66代・一条天皇(在位:986-1011年)の中宮(皇后)に。
<2> 次女・姸子(けんし/994-1027年)を
   第67代・三条天皇(在位:1011-1016年)の中宮に。
<3> 四女・威子(いし/1000-1036年)を
   第68代・後一条天皇(在位:1016-1036年)の中宮に。

ちなみに、この四女・威子立后の日に道長の邸宅に諸公卿を集めて
開かれた祝宴の折に披露されたのが、あの有名な歌です。
〜この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば〜
※この世は自分(道長)のためにあるようなもので、いうなればまるで、
  満月(望月)のように何も足りないものはない気分だゼ。 

代々の天皇の后が軒並み自分の娘なのですから、道長自身は天皇の
「義父」であり、そしてその夫婦間に生まれた子供が次の天皇になれば
「天皇の外祖父」ということになります。
こんな環境にあれば、「欠けたることもなし」という感想になるのも当然
かもしれません。

さて、この辺りの相関図を少し辿ってみると、第68代・後一条天皇
(在位:1016-1036年)は、父が一条天皇、母は彰子ですから、道長に
とっては「孫天皇}?が誕生したことになります。
ただ、この「孫天皇」?の妃もまた、道長の「娘」ですからお話がややこしい。

要するに、後一条・威子とは甥と叔母という、世代違いの夫婦になります
から、何とはなしに不自然か感じがしないでもない。
しかも八歳ほど「姉さん女房」です。
ちなみに、こうした組み合わせの結婚には「叔姪婚」(しゅくてつこん)という
難しい言葉が用意されているようです。

実は道長の死後に即位する後の第69代・後朱雀天皇(父・一条天皇&
母・彰子/在位:1036-1045年)にも、藤原氏による「立后」作戦は及んで
いました。
この道長にとっては、こちらもまた「孫天皇」?になる後朱雀天皇妃の后に、
誰あろう、やっぱり道長・六女である嬉子(きし/1007-1025年)を送り込んで
いたのです。

ですから、後朱雀・嬉子の夫婦もまた甥・叔母間の「叔姪婚」ということに
なります。
この「叔姪婚」のイメージを、自分の身に置き換えて眺め直してみると理解が
早いのかもしれません。
要は、〜自分の子供(息子・娘)が自分の兄弟姉妹と結婚する〜ということ
になるため、民法で禁止されている「3親等内の傍系血族との婚姻」に該当
するような気がして、何とはなしに違和感を覚える現代人も少なくないよう
です。 (但し、内縁関係の制限までは及んでいないとか)

でも、これは昔の出来事ですから、現代民法を取り出してこのことに批判を
加えるのは、「後出しジャンケン」もどきでチョット卑怯くさい行為なのかも
しれません。

藤原道長01 紫式部51










「一家立三后」藤原道長/「源氏物語」紫式部

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さて、ここからお話は逸れますが、一条天皇の中宮となった「藤原彰子」って
名前、どこかに聞き覚えはありませんか?
実はこんなところで登場しています。

〜一条天皇の中宮である、藤原道長の娘・彰子に仕えている間に
  「源氏物語」を完成させた〜
 いったい誰のこと?
もちろん、その「源氏物語」の作者として有名な「紫式部」(生没年不詳)※
です。
※近年の研究では、970〜978年間に生まれ、少なくとも1019年までは
  存命したとされているそうです。

つまり、藤原氏の「一家立三后」、要するに藤原道長が「望月の欠けたる
こともなし」のイケイケドンドンの時代に、しかもこの道長の後援を受けて、
紫式部は「源氏物語」を書き続けていたことになります。

お話が逸れたついでに触れておけば、この紫式部に激しいライバル意識?
を持った女性としてよく名が取り上げられるのが、随筆「枕草紙」の作者・
清少納言(966年頃-1025年頃)ですが、実際には紫式部が中宮・彰子に
伺候したのは、この清少納言が宮仕えを退いてからはるか後のことのよう
ですから、もしそうなら、二人の間にはライバル意識どころか、なんらの
面識もなかったことになりそうです。

さて、道長に戻ると、「望月の欠けたることもなし」は実は道長死去の後も
さらに続きました。
第69代・後朱雀天皇の後に即位された第70代・後冷泉天皇(在位:1045-
1068年)は、この方は父・後朱雀と母・道長・六女の嬉子の間に生まれて
おり、道長からすればこちらも「孫天皇」に当たります。
ですから、ここでも得意の「叔姪婚」を発揮して、道長の娘を後冷泉天皇の
妃に送り込みたかったところしょうが、これは実現できませんでした。

道長が没してからでも、すでに17年もの歳月が経過した時代のことですから
無理もありません。 
実はその道長の亡くなり方自体も「望月の欠けたること」に当てはまりそうな
経過を踏んでいるのです。
〜臨終を迎えた道長は、九体の阿弥陀如来の手から五色の糸を、
  病床の自分の手に結び、北枕で西向きに臥した〜


これだけを聞けば、まことに穏やかな大往生を想像します。
ところが、聞くと見るは大違いで、晩年は胸病・糖尿病・眼病(白内障)等を
患っていた上に、死期近くには、背中に乳房大ほどの腫れ(可能)を発症し、
その激痛に苦しんだようです。
念のためですが、この「乳房大」という表現は、「デッカく腫れた」ということで
あり、いわゆる「ペチャパイ」ほどの穏やかな状態を意味しているわけでは
ありません。

ですから、「一家立三后」という驚愕の奇跡?を成し遂げた超VIPとて、
その最期は案外に「特別」でもなかったことになりそうです。
それにまた、これほどの超VIPでありながら、そのお墓の確かな場所が
分からなくなってしまったという、ちょっとビックリの事実もあるのです。

〜(道長は)火葬された後、宇治木幡の藤原氏の墓所に埋葬された〜
こうは記録されているものの、藤原氏の菩提寺が室町時代に廃絶し、同時に
古記録が失われたことで、その「現地」を特定できなくなっていたのです。

ところが近年に至り、発掘調査の成果もあって、
〜どうやら、「宇治陵」(宇治市木幡)の32号墓か33号墓がそうらしいゾ〜
ということに落ち着きつつあるようです。

とんでもなく力を込めて築造した当時の超VIPのお墓でも、わずか千年の
後世には〜どうやら、ここらしいゾ〜のレベルになってしまうのですから、
VIPどころか、名もなき庶民の墓が100年経たずして「無縁墓」に変身?
してしまう現状も無理もないお話で、まことにもって「諸行無常」と言わざるを
得ません。

私事で大変に恐縮ですが、実は筆者も「欠けたることのなし」の人生を
過ごしています。
但し、「望月の欠けたることのなし」の道長さんのケースとは一味違って、
筆者のケースは「新月の欠けたることのなし」ということで、タネを明かせば、
「もうこれ以上欠けようもない」状況を言っています。
口にも出さずカラ元気を装っていますが、筆者本人は内心忸怩たる思いに
かられる今日この頃です。



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