日本史の「トンデモ」01 ゼロ予算で城を構える

「城」という言葉についてはこんな説明がされています。(Wikipedia)
~中国における城とは、本来城壁のことを意味し、都市や村など
  居住地全周を囲む防御施設を指すことが多い~

つまり、多くの日本人がイメージしやすい、たとえば「姫路城」などの和風?
の城と、本家?中国の「城」はその概念も規模も大きく異なっているわけです。

さて、その本場?「城」を日本国内で建設するべく目論んだのが、昔々の
第50代・桓武天皇(737-806年/在位781-806年)でした。
それまでの「大和周辺」から、山を越えた未開の地「山背(やましろ)国」へ
都を移すという大胆・大規模な「遷都」を計画し、そこに本場に負けない
「城」の建設をしようというのです。

ここまで思い切ったのは、この直前のほぼ百年間続いていた天武系皇統が
途絶え、今回自身が所属?する天智系へ久々に戻った?からで、、
実は桓武自身に「ご破算で願いまして~はッ!」とする気迫がみなぎって
いたからです。
本家?中国のような「城構えの都」の建設が頭に浮かぶほど高揚した気分も
無理からぬところです。

ところが本来の「城」とは、先の説明にあるように
~居住地全周を囲む防御施設~です。
要するに、都全体・全周を囲う大規模線造物ですから、それには莫大な
費用を必要とし、おいそれと実現させられるものでもありません。
さりとて、「城」がなくては新政権?の折角の気迫も空回りということで、
これまた民に対していささか恰好がつきません。

桓武~「世の中が変わった」ということを知らしめるためには”城”は絶対に
     必要だ。 さりとて”金”はないッ・・・ウーン、どうするべきか?~

側近~そういうことなら、こんな方法ではいかがでしょうか?~
桓武~おぉそれは良いッ、それで行こうッ~
側近~まだ何も言ってません、いささか前のめりに過ぎますよ~

しかし、結果からすれば確かに「金は無くとも城は造れた」のです。
では、念願の「城」をどんな方法で造り上げたのか?
そこには、時間も資金も不要という、日本人ならではの「マジック」?が
使われました。

さて、そのマジックの「タネと仕掛け」は?
古来日本人が大切にしてきた、そしてまたその自覚は薄いものの、
間違いなく現代人にも引き継がれている「言霊(ことだま)」です。

言葉と実態を区別しない、できない、もっと直截な表現を借りれば
「言葉は実態とリンクする」という、日本民族が古来から備えている特有の
信仰です。

勿論、桓武も「言霊信仰」者の一人ですから、旧来の「山背(やましろ)国」と
いう名の「発音」はそのまま残しておいて、従来の「背」の字を「城」に変えることで
「山城(やましろ)国」と改称し、その霊力を発揮したのです。

「言霊信仰」からすれば、念願だった本場?中国に負けない「城」がこれで
ばっちり出来上がったことになりますから、少なくとも桓武自身はこの運びに
満足感を覚えていました。
なにしろ、自然の山そのものが「城」の一部になっているのですから、その
スケールは人工物で建設された本場の「城」を遥かに凌駕する壮大さを
備えているのですから、桓武としても不満などあろうハズもありません。

平安京51 桓武天皇01







平安京/桓武天皇

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しかし、純粋な科学的事実からすれば、文字を「背」から「城」に取り替えた
ところで、「城」の実体が出来上がるわけではありません。
それでも桓武は、それが出来上がったと受け止め、すっかり満足しまた安心もし、
この新しい都の名を「平安京」(平和な都)と名付けています。
「言霊信仰」に支えられている、いわゆる「言霊社会」では、これで平和な
世の中が実現させられるからです。

同じようなことは、この時代の政治を担った貴族たちの、姿にも色濃く現れて
います。
現実の世間を直視することより、歌を作ることにエネルギーを注いだのも、
「歌」によって言葉を発することが、すなわち「世直し」に直結する行為だと
考えていたからで、これも「言霊信仰」の表れと言っていいのでしょう。

しかし、おそらく現代日本人の多くは、桓武天皇や政治家貴族のこうした
一連の行動を、単なる「言葉遊び」、また「迷信」に惑わされたものとして
一笑に付すハズです。

当時の人たちの信仰心を度外視した現代日本人の科学的?な目線で
眺めれば、必然的にこんな受け止めになるからです。
~政治実務を放ったままにして、教養・余技の範疇を出ないハズの「歌」に
  のめり込んでいた当時の政治家なんて、まったく無責任だなぁ~

ところが、言霊社会にある当時の政治家貴族ご本人たちは、決して
そのようには感じておらず、むしろこれが世の中をよくするための最高最大の
方法だと信じていたのです。

~なんだぁ、昔の人は言葉と現実の区別ができなかったのか!~ 
こういう批判もできなくはありませんが、でもそれはいささか僭越な態度なの
かもしれません。
というのは、とっても科学的で、チョックラチョイとは迷信に惑わされないハズの
現代日本人も、実はこれと同様?のことを、この21世紀にも繰り返している
からです。

たとえば、現在の日本国憲法には「平和憲法」という別名?がありますが、
こう呼ぶことで「平和」が実現すると考えるのも、実は桓武が「山城国」に
名を改めることで、現実の「城」が構築されたと考えたのとまったく同種の
行動なのかもしれません。
司馬遼太郎氏のいう「平和念仏主義」※です。
※あたかも念仏のごとく「平和、平和」と唱えていれば、世の中が平和に
  なると信じる戦後日本の風潮を皮肉った言葉。

ことのついでに桓武天皇は、もうひとつ「軍隊撤廃」、「警察撤廃」も行って
います。
「言霊信仰」では、「軍隊」がなければ「戦争」もないはずですし、「警察」が
なければ「犯罪」もなく治安も落ち着くはずですから、平和都市構築の
ためにはこちらも欠かすことができないと考えたのでしょう。

では、桓武天皇は、「平安京」と命名することで「平和な都」になり、また
「軍隊撤廃」で「平和な世の中」が実現させられ、さらには「警察廃止」で
「治安のよい社会」が実現できたものか?
やや乱暴に結果だけを紹介するなら、ドッコイ事態は真逆の方向へ。

つまり、桓武天皇の目論見とは逆に治安が乱れに乱れる世の中へと
突き進んでいきました。 そりゃあそうでしょう。
犯罪が起こったとしてもそれを取り締まる「警察力」がないのですから、
民だって武装して自衛が必要です。
国民皆武装?の社会に「治安」を求めるのはハナから無理な相談です。

桓武~うはッこの治安の乱れはどうしたことだ。 
     これでは折角の”平安京”の名が泣くぞ!~

側近~ナルホドうまいッ! 鳴くよ(794年)ウグイス平安京ってかッ!~



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