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zoom RSS 日本史の「冗談」18 無位無官では無視される

<<   作成日時 : 2018/08/10 00:01   >>

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筆者はお誘いを受けたことがありませんのでニュースで知るばかりですが、
皇居で催される園遊会では、そこに招待された方々に対し天皇ご自身が
直接にお声を掛けられる光景を見ることができます。
そればかりか、大きなダメージを受けた被災地を訪問された場合などには、
避難所に身を寄せる人々を前に、天皇自らが膝を折ってお声を掛けられる
場面もしばしば伝えられています。

しかし、これはあくまでも戦後(1945年以降)に誕生した、いわば新時代の
光景であって、それ以前は天皇にお目見えするなんてチョックラチョイで
叶うことではありませんでした。
たとえば、幕末維新の時代に薩摩藩の事実上の最高権力者であった
島津久光(1817-1887年)などがそのいい例です。
打倒幕府を目指す長州藩とは違って、この頃の薩摩藩・久光はこれまで
通りに朝廷も幕府も仲良くやっていけばよいとする意見を掲げて活動し、
政治の動向にも大きな影響力を持つようになっていました。

こうなれば当然、天皇ご自身との連絡も密にする必要があります。
では、現在の天皇のお姿のように、久光が直接にお話合いの機会を
持てたかと言えば、それは少なくとも当初の内は許されませんでした。
なぜ? そんなもん、いかに現薩摩藩主の実父、また薩摩藩の国父として
崇められていたと久光とはいえ、朝廷(天皇)から見れば「無位無官」
人間に過ぎないからです。

この「無位無官」とは、最近はあまり使わない言葉ですが、
〜位階もなければ官職もない〜 つまり人間の序列を示す「位階」も、
また役職の序列を示す「官職」も持たない「ただの人」を意味します。
「無位無官」の身では、天皇にお目見栄するなんぞは決してできません。
これは昔の昔からそう決まっていたことですから、仮にそのことにイチャモン
を付けたとしても始まらないことなのです。

要するに、どこの馬の骨ともわからぬ「ただの人」が「至高の存在である
天皇」に会う資格なぞはハナからなく、例外なく門前払いされる仕組みに
なっていたということです。
しかし、政局穏やかならぬこの時期の久光の場合には、天皇にとっても
不便であり不自由ですから、1864年(久光48歳)のこと、従四位下左近衛
権少将を授けることで、「無位無官」の立場から脱却させました。 

ちなみに、「正二位」とか「従二位」などの呼び方で、そのランクを表すのが
「位階」であり、「官職」とは例えば「左大臣」とか「中納言」というもので、
双方は互いにリンクし合う関係にあったようです。

「無位無官」で思い出しましたが、そう言えばこんなエピソードもありまし
たっけ。
江戸幕府第3代将軍・徳川家光(1604-1651年)が疱瘡(天然痘)に罹り
体調を崩していた時期のことです。
家光の乳母でもあった斎藤福(後の春日局/1579-1643年)はその治癒
祈願のため伊勢神宮に参拝し、ことのついで?に上洛して御所への昇殿を
計画しました。

高貴な人だけに許される「紫衣」の許認可権を巡って、天皇家と将軍家が
丁々発止とやりあった、いわゆる「紫衣事件」(1627年)を受けて、幕府側は
事態収拾のためにを代表として、天皇説得に乗り出したというところ
だったのででしょう。
何しろ、後水尾天皇(第108代/1596-1680年)は幕府の対応にブチ切れて、
こんな捨てぜりふまで吐いていたようですから、幕府としてもこれを放った
ままにしておくのではさすがに拙いものがありました。
〜(幕府の言い分に対して)そんなら、ボクは天皇を辞めてやるッ!〜 


しかし、当然のことですが、この斎藤福の天皇面会は叶いませんでした。
使者?としての福は、武家の娘に過ぎず、それこそ「無位無官」の身だった
からです。
それでもは最終的には天皇拝謁を成就させています。
では一体、そこにどんな手品?を使ったのか。

それは、多少の縁があった「有位有官」?の公卿と縁組みをすることで、
武家の娘・斎藤福は晴れて公卿の娘・藤原福子に変身?できたのです。
こうした手続きを踏むことで、ようやくのこと天皇拝謁が叶ったのですから、
現代人の目には形式主義の極致にも思え、またいささか漫画チックな
滑稽な姿にも映ります。 しかし、これが「無位無官」の人間には理解の
及ばない伝統・格式の真骨頂というものかも知れません。
ちなみに、この折に斎藤福「従三位」の位階と「春日局」の名号を賜り、
以後はこちらの名前の方で知られるようになりました。

春日局01 宣教師ザビエル51









  春日局(斎藤福)/宣教師・ザビエル(キリスト教)

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実は、この後の第8代将軍・徳川吉宗(1684-1751年)の時代にも、こうした
「無位無官」を巡る、いくぶん漫画チックな光景が演じられています。
中国商人がベトナムから長崎に運んできた(1728年)のは雌雄二頭の
ゾウ(象)でした。
今でこそ珍しくもありませんが、ゾウは当時の日本人にとって、その
ユニークな造形といい図体のデカさといい、目を見張るくらいに衝撃的な
動物だったことでしょう。

雌ゾウの方は到着後3ヶ月ほどで死んでしまったようですが、翌年になって
雄ゾウは長崎から江戸へ2ヶ月かけての陸路の旅に出ました。
将軍にも御覧いただこう、ということでしょう。
当然ですが、その道中は途中御所のある京も通ります。
「ホント、すげぇな!」くらいの噂はおそらくは中御門天皇の耳にも届いて
いたでしょうから、そうなれば、その「ゾウ(象)」なる「世にも奇怪な巨大動物」
を一目見てみたい。
しかし、このゾウさんはそれこそ正真正銘の「無位無官」ですから、宮中に
上がることはできません。

そこで窮余の一策。 このゾウさんに「位階」を与えたのです。
宮中に上がる資格は「四位」以上ということですから、それにクリアできる
「従四位」を、ことのついでに「広南従四位白象」なる姓名も与えました。
どうやら、中御門天皇はこうした「超法規的措置」?をもって、珍獣?である
ゾウさんを見ることができたようです。
ホントに漫画チックな形式主義です。

さて、一方の将軍・吉宗もこのゾウさんを見ることができました。
これは筆者の勝手な想像ですが、質素倹約がウリの「享保の改革」(1716-
1745年)の推進者としては、内心こんな思いを抱いたかもしれません。
〜姿形は確かにユニークだか、動作は鈍いし、第一ムダに大きな図体の
  大食漢で、これではエサ代の質素倹約もままならぬであろうなぁ〜


それにしても、先の斎藤福といい、このゾウさんといい、実体そのものは
何ら変わっていないのに、そこに「位階」というラベルを張ることで面会の
可否を判定していたのですから、朝廷は究極の「ブランド志向」の持ち主
だったと言ってもよさそうです。

あ、そうそう、ゾウさんの「渡来」という言葉で、またまたひょっこり思い出して
しまいましたが、戦国時代にはキリスト教宣教師フランシスコ・ザビエル
渡来(1549年)しています。
その後の本格的な布教活動に向けて、その許可を「日本国王」からも得て
おくべく上司たちの親書も整えました。
この場合の「日本国王」とは、第105代・後奈良天皇(1497-1557年)と
室町幕府第13代将軍・足利義輝(1536-1565年)のことを指しています。

ザビエルは、「日本国王」に当たるこの両者への拝謁を請願しましたが
結果的にこれは叶えられませんでした。 
その理由を、ザビエルはこう説明したようです。
〜献上の品が何もなかった(失礼になる)ので、会うことはしななかった〜

でもこれはちょっと苦しい言い訳にも聞こえます。
確かに、将軍・義輝への拝謁か叶わなかったのは、家臣の反抗に遭遇した
義輝が京を追われていた時期と重なっていたせいかもしれません。
義輝にすれば、「それどころではないゾ」の心境です。
では、一方の後奈良天皇への拝謁が叶わなかった理由は?
これは一目瞭然で、ザビエルが「無位無官」だったことによるものでしょう。
そう、後の時代の斎藤福やゾウさんや、はたまた島津久光と同じ理由です。

それに「キリスト教宣教師」なんていう、この当時にすればまるでエイリアン?
もどきに得体の知れない者の正体を朝廷側がスンナリ理解できたとは到底
思えませんし、その上に、とにもかくにも伝統を重視し、新しいものは本能的に
徹底的に警戒する。 これが朝廷の習性ですから、仮にザビエルが
〜献上品を山のように用意していた〜としても、ザビエルが「無位無官」
ある以上、同じ結果になったと愚考する次第です。

それはともかく、さて正真正銘の「無位無官」の輩である筆者は、実は別の
「ムイムカン」を目標に定めているのです。
文字にすれば、「無医無患」・・・医者にもかからず、患い(病気)もしない。
要するに、日々健康を心がける生活ということですから、極めて健全にして
また人畜無害な目標だと自画自賛している今日この頃です。



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