日本史の「信仰」12 信心かぶれはどれもアブナイ

戦国乱世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、何度か信仰
がらみの事件に遭遇しています。
領国・三河国で起きた「三河一向一揆」(1563-1564年)もその一つで、
一揆衆側に味方する家臣も決して少なくはなかったこの時は、当の家康自身
が「命の危機」に晒されたほどでした。
まさにチビる思い・・・いやホントは少しチビっちゃたかも知れません。

~ボクへの忠義心がトコトン篤い者でさえ、信仰が絡むとこうまで豹変する
  ものなのか、いやぁ、信心かぶれってホントに恐ろしいなぁ~

一時は死まで覚悟をした二十歳そこそこの家康に、心中こんな思いが
芽生えたとしても無理はありません。

また後には、同盟者・織田信長(1534-1582年)と浄土真宗本願寺宗主・
顕如(1543-1592年)との間で繰り広げられた11年にもわたる「石山合戦」
(1570-1580年)を目の当たりにして、そうした恐ろしさを再認識しています。

~それにしてもだよぅ、「進者往生極楽 退者無間地獄」※なんてなぁ。
  仏様の代理人?である本願寺でさえもイザとなれば信徒に向かって
  こんな過激な檄を飛ばすのか。 信心かぶれってちょっとアブナイなぁ~

※「戦う者は極楽へ行けるが、退く者は地獄へ堕ちるゾ」
  ただし「石山合戦」でこのスローガンが用いられた確証はないとも。

その信長が「本能寺の変」(1582年)に倒れた後、みるみる頭角を現し、
最終的に頂点に立ったのが羽柴秀吉(豊臣/1537-1598年)でした。
国内安定に一応のメドが立ったとみるや、その勢いで続けざまに二度の
「海外派兵」に及んだのですが、しかし、意図した「中国(明国)征服」も
「朝鮮征伐」も達成は叶わず、結局秀吉の死をもって作戦終了?するという
幾分トホホの結果を招いています。
「文禄の役」(1592-1593年)と、後の「慶長の役」(1597-1598年)がそれです。

同じ頃、秀吉は国内のカトリック信者26人を磔処刑にする命令を下して
います。 
歴史的には「二十六聖人の殉教」(1597年)と呼ばれるこの事件は、
キリスト教側の布教活動が、秀吉の目にあまるほど過激だったことに端を
発したものでした。

彼らを連行する責任者は、この中にや12歳の少年信者に気付き、さすがに
不憫に思ったものか、こう持ちかけたそうです。
~キリシタンの教えを棄てればお前の命を助けてやるゾ~ 
ところが、その少年はこう答えて、この申し出を毅然として断りました。
~(この世の)つかの間の命と(天国の)永遠の命を取り替えることは
  できません~


この事件の経緯は、おそらく家康のも耳にも届いていたことでしょう。
~年端もいかぬ少年が、自分の命よりもバテレン(キリスト教)の信心の
  方が大切だってか・・・仏様にせよキリストにせよ、信心かぶれは底なしの
  アブナさを持っているものだなぁ~

こう繰り返されると、「熱烈な信心」というものが、家康の「トラウマ」
(心的外傷)になったとしても不思議ではありません。

そして、こうした「熱心な信心」は家康の足元にも迫ってきました。
先の「文禄の役」の折、キリシタン大名である小西行長(1558-1600年)に
身柄を引き渡された一人の少女がいました。
正確な生没年は分かっていませんが、平壌近郊で捕らえられた時には
五歳ほどだったとされています。
後に「おたあジュリア」(生没年不詳)※と呼ばれることになるこの少女の
言動が、家康の抱えるトラウマにさらに追い打ちをかける形になったのです。
※「おたあ」は彼女の朝鮮名がなまったもの、「ジュリア」は洗礼名とされる。

この後の「関ヶ原の戦い」(1600年)で敗軍・小西行長を処刑に追い込んだ
勝利者・徳川家康(1543-1616年)は、この「おたあ」を自分の侍女としました。
ということは、「おたあ」は才気だけでなく、おそらく並々ならぬ美貌も兼ね備えて
いたのでしょう。

こうして侍女として家康に仕えるようになった「おたあ」は、仕事を終えると、
夜には祈祷し聖書を読むなどして、敬虔な信者としての毎日を送るように
なりました。
ただ、それにとどまらず、侍女仲間や周辺の家臣たちをキリスト教信仰に
導いたりもして、結果この職場?にキリスト教が広まることになりました。
少年信者の殉教もあって、「熱心キリスト信心はアブナイ」という信念
(あるいはトラウマ?)を抱えていた家康が、この事態を黙って見過ごすハズも
ありません。

徳川家康像51 三河一向一揆01









    徳川家康/三河一向一揆

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~おたあよ、信心なぞはすっぱり棄てて、いっそボクの側室になりなさい~
親切心からか、はたまたスケベ心からか、ともかくこう迫った家康に対し、
熱烈なキリスト教徒である「おたあ」はこれをけんもほろろに拒絶。
家康にすれば、「おたあ」が見せたこの一途な姿勢は、主君(家康)に
刃を向けた三河時代の家臣や、本願寺の檄や、はたまたちょい前に耳に
した「26聖人」の少年信者の姿と重なって映り、かつて味わった恐怖心まで
もが蘇えってきます。

そこで、「おたあ」を伊豆諸島への流罪とした上に、さらにはエイッとばかりに、
(幕府直轄地での)「キリスト教(布教)禁止」(1612年)にまで踏み込みました。 
慎重居士の家康にとっては、この「キリスト教(布教)禁止」だけでは安心でき
なかったのか、これを糸口として武士・町民・農民の身分問わず特定の寺院に
所属させる、いわゆる「檀家制度/寺請制度」にまで手を付けました。

これに所属しない者は、キリシタンと見做したり、あるいは無宿人(無戸籍?)
として扱ようになったことで、言葉を換えれば、本来は個人の信条に基づく
はずの宗教を、「幕府統制による宗教」に衣替えさせたわけです。
なにせ、「キリスト教」排除が目的ですから、現代人には常識になっている
「信教の自由」なんてものはカケラもありゃしません。

どの宗派にせよ「熱烈(過激?)な信心」つまり「」信仰かぶれ、あるいは
「キリスト教」の場合なら「(唯一神による)独善的な信心」、こうした所業に、
家康は「制御不能のアブナさ」を感じ取っていたということでしょう。
いったん事あれば、それこそ制御不能に陥る「原子力発電設備」に、
現代人が抱く「なんとはなしの不安感」に似ているかもしれません。

またこれより以前のことですが、「本願寺」が東と西に分かれた経緯にも、
家康は一枚噛んでいます。
かつて信長相手に、宗主・顕如を先頭に立て一枚岩で戦い抜いた本願寺も、
その顕如の子供の代になると、「本願寺継承」問題で長男・教如と三男・
准如の異母兄弟が対立し、その溝を深めていました。

その頃まだ健在だった天人・秀吉に取り入る形で法主の座に就いたのは
三男・准如でした。 ところが、長男・教如もそれなりにしたたかで、秀吉
亡き後の最高実力者となったこの家康に接近したのです。

本性はケチ親父なのでしょうが、ここでの家康はそれとが逆にずいぶんの
「気前良さ」を見せました。
元々の「本願寺」(西)の場所のすぐ東に土地を提供し、そこに長男・教如を
宗主とする新たな?「本願寺」(東)を認めたのです。

これを、前天下人・秀吉によって冷や飯を食わされていた長男・教如に対する
同情の表れと見る向きもありますが、おそらくはそんなおセンチな動機では
なかったハズです。
兄貴分である信長が「本願寺」に対して散々に苦労した姿を、それこそ間近で
見ていたのが、他ならぬ家康自身だったからです。

~かつての本願寺勢力は、あの信長殿を翻弄したほどのものだ。
  だがしかしダ、西と東に分裂し、しかもその本拠がすぐ隣同士の場所とも
  なればダ、双方は互いに牽制し合うに違いない・・・おそらくは顕如時代
  のようなかつての強力な団結パワーは発揮できまい、ウハハのハ~

これもある意味、「宗教の幕府統制」政策の一環といえましょう。

こうした経緯を眺めてみると、徳川家康が味わったトラウマ体験、
~信心かぶれはアブナイ~の法則は、その後に大いなる発展?を見せ、
現代日本に花を咲かせているとも言えそうです。

だって、年末年始の一週間で、「クリスマス」(キリスト教)を祝い、「除夜の鐘」
(仏教)に耳を傾け、「初詣」(神道)では首を垂れ、それどころか最近では、
それより早い時期に「ハロウィン」(何教だ?)で燥(はしゃ)ぐのが、ごく普通の
光景になっているのですからね。

つまり、特定の宗旨宗派への偏りも持っていないことを証明するかのよな
行動ですから、実に巧みに~信心かぶれはアブナイ~を実践し続けている
ことになります。
ですから、現代日本のこの姿を知るにつけ、家康殿も草葉の陰でさぞかし
お喜びかと推察するところです。 ~ウハハのハ~



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