日本史の「タブー」07 技術革新 300年の空白

遥かヨーロッパからこの日本に「鉄砲」が伝わった時期は、戦国の世
真っ只中の1542年か1543年のことだとされています。
いわゆる「鉄砲伝来」ですが、そのハイテク武器が最初に上陸した
大隅国・種子島の、今なら中学生ほどの年齢だった若き領主・種子島
時堯
(1528-1579年)は、これに大きな関心を寄せ、大枚をはたいて
二丁を購入するや、自らも熱心に射撃練習に精を出しました。
今風に言うなら、初めて自分用の「スマホ」を持てた中学生というところ
でしょうか、この時代のハイテク機器に夢中になったわけです。

~ウーン、なんちゅうスグレ物! もっともっといっぱい欲しいものだ~
この鉄砲代金が目玉の飛び出すほどに高かったせいもあったのでしょう。
そこでこの若き領主・時堯はこんなことを思いつきました。
~自分のところで作ってしまえば、その方が断然安上がりだゾ!~
こうして立ち上げたのが「鉄砲(複製)開発プロジェクトチーム」?です。

未知の超ハイテク技術ですから、実際のところ、どんな技術者・職人に
任せるのが適切なのか見当もつきません。
しかし、おそらくは「豆腐職人」よりは「刀鍛冶」の方が適性度も高く融通も
効く、と常識的にそう踏んだものか、開発技術者として多くの「刀鍛冶」が
集められました。

結果として、その選択は間違っていませんでした。
この急造「鉄砲(複製)開発プロジェクトチーム」?は、なんと一年足らずの
後には、曲がりなりにも「コピー(複製)製品」を作り上げたのです。
まさに驚異的なスピードです。

で、この後において「鉄砲」は戦の方法さえ変えてしまうほどに急激な普及を
見せ、尾張国・織田信長武田勝頼(1546-1582年)と激突した「長篠の戦い」
(1575年)では、3,000丁もの鉄砲で「三段撃ち」なる新戦法を用いて
ボッコボコにやっつけたとされています。
もっともこれには、「3,000丁」ではなく、せいぜい「1,000丁」程度だったと見る
向きもありますが。

ともかく、これが「鉄砲伝来」から30年も経っていない時代の出来事なのです。
ふつう、製品・商品というものは普及とともに性能も向上していくものです。
では、こうした「国産?鉄砲」もその道を進んだかといえば、これがちょっと
違うんですねぇ。

お話はすっ飛んで幕末維新の時代の幕府軍と長州軍の戦い。
ここにおいて長州軍は、現在とほぼ同方式である外国製の、当時としては
「新型銃」を使用しています。
ところが、これに対し幕府軍は日本製「旧式銃」で応戦しました。
裏を返せば、日本国内では、鉄砲伝来から幕末に至る300年以上もの間、
基本的に「技術改良」が加えられることはなかったわけで、
~江戸時代を通してほとんどの銃器が火縄式のままであった~ことに
なりそうです。

中学生?領主・種子島時堯があれほど夢中になり、「天下布武」を
目論む織田信長が必須アイテムとした「鉄砲」に対して、日本人がこれほど
冷淡な姿勢を取るようになったのは、いったい、なんでかしらん。

それにはこんな説明が並びます。
○江戸幕府が、治安維持を目的として各種の「銃器規制」を施したため
  に決まっておるゾ。
○いわゆる「鎖国体制」環境下では海外の最新情報が入りにくくなり、
  結果として、そのことが鉄砲の技術進歩を停滞させてしまったからダ。
○「幕府独裁」?体制が構築できたことで、国内戦争勃発の可能性が低く
  なり、これと並行して「鉄砲」自体の存在意義も低下しちゃったのダ。


それぞれが確かに一理ある説明になっています。
ただ、こうした「合理的」な理由ばかりでなく、これとは別の「非・合理的」?
な理由も考えられないわけではありません。 ではそれは何かってか? 
それこそが「祖法」という代物ではなかったのかなぁ。

火縄銃01 蒸気船佐賀藩51











火縄銃(国産第1号)/蒸気船(佐賀藩建造)

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「祖法」とは~先祖から代々伝わる法(ルール)~を意味し、言い換えるなら
~御先祖様のやり様を変えることなく、まんま踏襲することこそが正しい~
とする理念です。
これは「朱子学」が最も大切な徳としている「孝」(親孝行)に基づいた
考え方で、その「朱子学」を幕府の公式学問として採用したのは、
他ならぬ幕府創立者・徳川家康(1543-1616年)、その人でした。

この「朱子学」に従えば、たとえば昔からあるものに、あるいは御先祖様が
続けてきたことに、変更や改革を加えることは、御先祖様を否定することに
他ならず、最高の徳目「孝」にバッチリ違反?した言語同断の行為・行動と
いうわけです。
ましてや、御先祖様が見も知らなかった「新型製品」?を生み出して喜ぶ
なんてことは、まさにイヌ畜生もどきの所業であり、子孫の行動としては
当然金輪際タブーになります。 なぜなら、
~なんだぁ、御先祖様ってこんな便利も知らず、使いもしなかったのか~
御先祖様が営んできたライフスタイルを見下し、バカにすることになって
しまうからです。
そうならないためには「祖法」を墨守、これこそが人間としてあるべき
正しい姿ということになります。

こんな環境になってしまえば、「鉄砲フィーバー」?だって火が消えたように
なるのは当然で、「朱子学」持参の家康が登場した以後の日本の鉄砲は
(基本的に)伝来当時の「火縄銃」のままに留め置かれたという解釈です。

でも、そこは手先が器用でそれなりの技術力を持った日本人ですから、
中には従来の不便を改良させた「バージョン・アップ鉄砲」を作り出そうと
した人がいたのかもしれません。
しかし、それに挑もうとすれば、周りの人間からこんな批判を浴びることに
なります。
~御先祖様たちが「これでよい」としていたことに逆らって、敢えて改善提案
  を持ち出すオマエは、人間としての倫理観(孝)のかけらもない最低最悪の
  ろくでなしでドチンピラだッ~

誰だってこんなことを言われたくありませんから、かくして「バージョン・
アップ鉄砲」は見送りにされるワケです。

しかし、そうした技術力を日本人が持っていなかったわけではありません。
これは幕末維新の頃のお話になりますが、かつて見たこともない「蒸気機関」
という、超ハイテク機器を目の当たりにした時には、「鉄砲」の折と同様に
今度は「蒸気機関(複製)開発プロジェクト」?を立ち上げているのです。

「黒船来航」(1853年)以後、その圧倒的な技術力にメッチャ驚いた諸藩の
一つである宇和島藩なぞは、早速にこの大事業に取り組んでいます。
しかし、この開発事業も「鉄砲」の時と同様に、
~このハイテク機器を作るためには、ハテどんな技術者・職人を集めたら
  よいものか?~
 こんなテーマからスタートせざるを得ませんでした。

宇和島藩は「鍛冶屋」でも「時計職人」でもなく、ましてや「豆腐職人」でもなく、
なんと「提灯張替え職人」の一人に目を付けました。
宇和島藩が「提灯職人」であった嘉蔵(後の前原巧山/1812-1892年)に
「蒸気機関」製造を命じたのは、二度目の「黒船来航」(1854年)の年のこと。
ところがこの提灯職人・嘉蔵、その四年後(1858年)には「蒸気機関」の
実験を成功させたばかりか、同じ年にはなんとそれを動力として搭載した
「蒸気船」を完成させています。

こうした高い技術力は後の「技術大国・日本」に直結していきました。
「鉄砲開発」の折は一過性のフィーバーに終わりましたが、今度の
「蒸気船開発」ばかりはそうはならなかったわけです。
なんで、そうならなかったのか?
強大な軍事力を備えた諸外国がウジャウジャ来日?している時期ですから、
こんな場面で「祖法第一」を持ち出していたのでは、たちまち亡国の危機に
直面してしまう心配があったからです。
「祖法第一」か、それとも「ストップ・ザ・亡国」か?
まさに「究極の二択」ですが、祖法あっての国ではなく、国あっての祖法
ですから答えはハナ決まっています。

局面は違っていたものの、長州藩・高杉晋作(1839-1867年)がいみじくも
こんなセリフを吐いています。 
「朱子学では戦えぬ!」・・・言葉を換えれば、これくらいの思いでしょうか。
~「祖法第一」を捨てなきゃ新生日本なんぞは出来やせんッ!~

要するに、日本は江戸幕府の消滅を機に「祖法第一」とする朱子学の呪縛
から、ある程度の脱皮を果たせたということかもしれません。
片や、あくまでも「朱子学」に拘り続けた中国や朝鮮は、不幸にも諸外国の
圧迫を跳ね返すことができず、結局その後しばらくは国家として難儀な
道のりを余儀なくされています。

それを思えば、日本という国家は驚くほどの「変わり身の早さ」を備えて
いたわけで、これも根本のところに「(思わしくないことは)水に流す」という
信仰心(神道)が働いてのことだった、とも考えられるところです。

えぇ筆者などは歴とした「現代日本人」ですから、「朱子学」にはトント
染まっておりません。
「祖法軽視」のライフスタイルを貫いていることが何よりの証拠です。
もっとも、他人様の中にはこの姿を「単なる親不孝者に過ぎないッ!」と
糾弾する人もいますが、そこは歴史を知らぬ者の底の浅い誹謗中傷だと
受け止めています・・・筆者もオトナですから。



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