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zoom RSS 日本史の「信仰」10 朱子学生まれの銭嫌い

<<   作成日時 : 2018/01/15 00:01   >>

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12世紀・南宋の儒学者・朱熹(1130-1200年)が興した「朱子学」の思想は、
いわば「新儒教」との位置づけがなされていますが、オリジナルの
「儒教(孔子)」に比べると、随分とヒステリックな一面を備えていました。

「商売をやるよりは学問をした方が好ましい」ほどの考え方だった
「儒教(孔子)」に対し、新儒教「朱子学」は士農工商とする身分階級を
持ち出して、商業・商人を最下位に置いているのもその一例です。

さて、江戸幕府の創立者である徳川家康(1543-1616年)は幕府の公式
学問として、この「朱子学」を採用しました。
「孝/忠」を力説する内容が、幕府の安泰を図るためには重要なものだと
考えたからです。

主君・織田信長に対する家臣・明智光秀の「謀反」、またその後には
主家・織田家に対して家臣・豊臣秀吉が謀略をもって「主家乗っ取り」に出た
有様を目撃してきた家康が、「徳川家安泰」のために、「孝/忠」を説くこの
「朱子学」に注目したのは無理もありません。

確かに、この点では効果絶大なものがあって、幕末こそそれが崩れとは
いうものの、それまでの二百五十年余に渡り、諸藩・国民が徳川家(幕府)に
歯向かう姿を見ることはありませんでした。

ところが、この「朱子学」も良いことづくめというわけではなく、真摯に信奉する
ことで、家康の子孫たちは現代目線からすれば少しばかり「歪(いびつ)」にも
感じられる行為に走り出しました。
実際の社会制度としては、それほど厳格な扱いは無かったと想像され
ますが、幕府では「朱子学」による「士農工商」とする身分階級、その中でも
特に「商」に対して強い蔑視を抱くようになったのです。

そうした意識を端的に表した言葉がこれ。 〜商は詐なり〜 
「寛政の改革」に取り組んだことで、その名を知られる老中・松平定信
(1759-1829年)の名言?で、要するにこう言っているわけです。
〜生産活動をすることもなく、他人様が作った物資を右から左へ移すだけで、
  利益を上げるような行為は詐欺・ペテン以外の何物でもない・・・ましてや
  そうしたことで生計を立てる商人なぞは、まったくもって人間のクズである〜


「なにもそこまで・・・」と思いますが、こうした激しさこそがイデオロギーの
持つエネルギーということなのかもしれません。
ですから、幕府自身もそうなら、それを支える武士階級にも、「銭(金)」あるいは
「経済」に対する、ある種の潔癖性というか、「嫌銭(金)症候群」?もどきの
いわば「銭嫌い」の気分が育っていきました。

〜お米は貴いものだが、お金(銭)なんぞはトコトン賤しいものだ〜
こうした「貴穀賤金」という信仰?も、そんな中で育まれていったのでしょう。
ですから、この時代の武士は俸禄(給料)を「金銭」ではなく「お米」で受け
取っています。
〜武士たる者の給料が「賤しい銭」で支払われるのは辛抱ならん!
 やっぱり「貴いお米」で行うべきである!〜

「銭(お金)」を嫌うのであれば、必然的にこうならざるを得ません。

この時代の「対外貿易」の内、少なくとも長崎・出島で営まれていた分は
実質的に江戸幕府の直接管理の下に置かれ、独占状態にありました。
儲かる貿易事業を独占するということは、「競争相手」ゼロを意味しますから、
幕府はウハウハの利益を得られたハズです。

ところが、下請け?商人たちは大いに儲けたものの、こうした貿易事業に
幕府自身はあまり積極的になれなかった気配が感じられます。
幕末期になって、幕臣・勝海舟がこんなセリフを吐いています。
〜幕府には(資)金がねぇ〜 
要するに、貿易を独占しながら、相変わらず貧乏だったわけです。
〜貿易利益(賤金)を追うのは、商人並みの「さもしさ」?であって、我ら武士の
  矜持(プライド)が許さない!〜
 
との思想は、貿易事業も例外ではなかったわけで、これではせっかくの
「独占事業」でも、ウハウハの利益を得られるはずがありません。

おそらくは、商人たちの仕事ぶり(ピンハネ?)も「見て見ぬフリ」をして
いたのでしょう。 なぜなら、
〜武士たる者が賤しい銭(金)のことを口に出すようでは、賤しい商人と
同類になってしまう〜
 結局はこんな考え方に行き着くからです。

米俵53 貨幣銭51








「貴穀賤金」〜お米は貴いものだが、銭(お金)なんぞは賤しいものだ〜

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貿易事業を監督する武士だけではありません。
いわば「嫌銭(金)症候群」?ともいうべきこうした意識は、一般の武士
一人一人にまで浸透していき、一種の社会道徳・倫理感にまで昇華して
いきました。
それを端的に表した言葉がこれ。 〜武士は食わねど高楊枝〜

要はこんな意識です。
〜名誉を重んじる武士たる者は、たとえ貧乏しようとも、銭が欲しいなどと、
  商人のようなさもしいことを口に出すべきではなく、そこはそれ、我慢を
  重ねて凌ぐのが取るべき態度である〜
まさしく「貴穀賤金」の実践で「嫌銭(金)症候群」?の症状です。

ではこの「嫌銭(金)症候群」?の意識は幕府や武士階級だけのものだったか
といえば、かなり「水割り」?された形であったものの、庶民もこれを受け入れ
ています。
〜銭(お金)に執着する生活態度には、何かしらスッキリしないものを
  感じるなぁ〜
 こうした思いは、この時代の国民の総意、最大公約数的な
意識だったかもしれません。

それが証拠にこんな言葉もありました。 
〜江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ〜 (その日に稼いだ金はその日の
うちに使ってしまう江戸っ子の気前よさを言い表した言葉)
これも、銭(お金)に頓着・執着しない姿を、どちらかと言えば好意的・
肯定的に捉えた言葉だと理解していいのでしょう。
もっとも、その中には〜宵越しの銭も持てぬ〜江戸っ子も混じっていたの
かもしれませんが。

〜金は天下の回り物〜 これも同じような雰囲気が漂う言葉です。
〜お金というものは一箇所にとどまるものではなく、常に人から人へ回って、
  いつかは自分ところにもくるのだから、今お金が無いといってアタフタ
  することもないッ!〜

「高楊枝」にせよ「宵越し」にせよ、身も蓋もない言い方をすれば「ヤセ我慢」
にほかならず、それを矜持・美徳としていたのですから、先人たちは結構
強い辛抱心・自制心を備えていたと思われます。

それはともかく、「朱子学」一辺倒だった江戸幕府時代に蔓延したこうした
「嫌銭(金)症候群」?も、幕府終焉(1867年)後の明治新政府の時代に
なると、それを境に少しづつ変貌を見せます。
なにせ、明治新政府がスローガンとして掲げたのが「富国強兵」ですから、
その「富国」のためには国民の側とて、長らく続いていた「嫌銭(金)症候群」?
から脱却する必要があります。

この点、日本人は一旦新たな方針が定まると変わり身も早い。
たちまちのうちに「嫌銭(金)症候群」?を克服するや、今度は「富国強兵」
に向けて大車輪です。

結果、維新から百年も経たない(1965年/昭和40年)ころには、外国から
「エコノミック・アニマル」(経済追及動物)と揶揄されるほどの変身ぶりを
見せました。
さらに、この少し後には「銭ゲバ」※という言葉も生まれたほどです。
※「ゲバ」とは、当時の学生運動で盛んに使われた言葉で、暴力行為を
  意味するドイツ語「ゲバルト」の略語であり、そこに日本語の「銭」を
  くっつけて、「金のためなら何でもする奴」の意味で使われました。
 

しかしまあ、このお金一辺倒の「銭ゲバ」感覚が肯定的に広く受け入れられた
かと言えば、むしろ話は逆で、一種の反面教師として否定的に捉えられて
いたようです。
この「銭ゲバ」が台頭した頃に、その対極にある「清貧」※という言葉・意識に
注目が集まった事実がその証拠です。
もっとも今振り返れば、トレンディなファッションとも言えるくらいに一過性で
淡いものでしたが。
※私欲を捨てて行いが正しいために、生活が貧しく質素であること。

そういう意味では、幕府時代の「嫌銭(金)症候群」?は、グッと「水割り」した
形で現在もしぶとく生き残っていると言えるのかも知れません。
それに、もう一つ挙げるなら、投資家・M氏が発したこの言葉です。
〜お金儲けは悪いことですか?〜 これに対し、
〜別段悪いことだと思っているわけではないけれど、居直ったかのように、
  面と向かってそう言われると、ちょいと反発もしてみたくなるなぁ〜

これが大方の国民の反応でした。 
ですから、多くの人がこうした気分を味わったのも、元をたどれば、ひょっとしたら
幕府時代に患った「嫌銭(金)症候群」?の名残りだったのかもしれません。

ともかくそういう意味では、江戸幕府の公式学問であった「朱子学」の思想は、
目に見えない形で21世紀の現代日本人も継承されているようにも思えます。

もっとも、決して「嫌銭(金)症候群」患者ではない筆者ですが、なぜか
今もって〜武士は食わねど高楊枝〜の蟻地獄にズッポリはまり込んだまま
でいます。
この姿は、ある意味サムライ・スピリットをキッチリ継承した稀有な日本人
とも言えそうですが、正直そんなに心弾むことでもありませんから、
できたら良い子の皆サンは真似をしないようにネ。



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戦国乱世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、何度か信仰 がらみの事件に遭遇しています。 領国・三河国で起きた「三河一向一揆」(1563-1564年)もその一つで、 一揆衆側に味方する家臣も決して少なくはなかったこの時は、当の家康自身 が「命の危機」に晒されたほどでした。 まさにチビる思い・・・いやホントは少しチビっちゃたかも知れません。 ...続きを見る
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