日本史の「災難」08 伝統打破?女帝の選択

「蕎麦(そば)のマヨネーズ和え」とか、ワサビならぬ「ジャム入り握り寿司」
・・・試してみたら、案外に美味しいのかもしれませんが、日本人の感覚と
してはまあ首を傾げたくもなります。
これまでの食文化の伝統を根底から破壊したものになっているからです。

こうした「伝統破り」が上手く運んだ場合には、新時代の先駆者との
好意的な評価も得られますが、ひょっこり躓こうものなら、容赦なく
「非常識人」「愚か者」の烙印が押されることになります。
それを踏まえて歴史を眺めてみると、時代の常識を破った「成功者」として
評価される一人に戦国の覇者・織田信長を挙げることができるのなら、
その「失敗者」として悪名を頂いている一人が「称徳天皇(女帝)」と言える
のかもしれません。

奈良の大仏建立で有名な「聖武天皇」(45代/701-756年)を父に、そして
初の人臣(藤原氏)出身皇后となった「光明皇后」(701-760年)を母にもつ
この女性天皇(718-770年)は、最初の在位の折を「孝謙天皇」(第46代)、
二度目の即位、つまり重祚の折を「称徳天皇」(48代)という諡名で
呼んでいます。
しかし、お気の毒なことにずいぶんな「悪評」がついて回っているのです。

その理由には時の政治状況なども踏まえた数多の事柄が挙げられそう
ですが、その根本にはこの行動があります。
~後継天皇に、信頼する僧・道鏡(700?-772年)をつけようと企てた~
要するにこれは、先の「蕎麦のマヨネーズ和え/ジャム入り握り寿司」どころ
ではない、この国の「伝統」である「万世一系」のルールから逸脱したプランと
いうことになります。

ですから、「万世一系」であるべき皇位継承の手続きを軽視した称徳女帝の
計画はこんな評価になってしまうわけです。
~ゲッ、なんたる非常識で軽薄極まりないトンデモ人間なんだッ!~

しかし、これは称徳女帝が思い付きや面白半分で考えたものでは
ありません。
最初に退位した折の後継天皇(第47代・淳仁天皇/733-765年)の
勤務態度は、彼女の目からすれば、はっきり期待を裏切るものだった
からです。 
~まあ、なんてチャランポランで無責任なお仕事ぶりなんでしょッ!~

そこで、しばらくはグッと我慢を続けていたものの、とうとう堪忍袋の緒が
切れて、6年ほどで「クビ」を言い渡しました。
そしてその後には彼女自らが天皇に復帰(再即位/重祚)」し、この二度目
の即位の時代が「称徳」と諡名されているわけです。

「クビ(馘首)」という表現も、あながち大げさなものではありません。
称徳前任のチャランポラン天皇は退位後も「諡名」されることもなく、
その後長い間、単に「廃帝(はいたい)」と呼ばれ続けました。 
こうしたことからも、この時の称徳の怒りがいかに大きかったかが想像
できようというものです。

~とは言うものの、いったんは即位された天皇の諡名がなく、いつまでも
  「廃帝(淡路廃帝)」のままでは、いかにもお気の毒でありゃせんか~

こう考えて諡名「淳仁」を追号したのが、なんと明治政府(1870年)でした。
つまり、この天皇は千年以上を「名無しのごんべえ(諡名なし)」のまま
過ごしてきたことになります。

彼女は天皇の座に復帰をしたものの、その瞬間時から誰を後継天皇に
するかという問題について大きな悩みを抱え込んでいたことになります。
~今、皇室を見渡してもロクな人材がないじゃん~

そこで新たな発想に思い至りました。
絵にすれば、頭のテッペンで電球がパッと光ったような感じで、
~ワタシが信奉する最新科学「儒教」によれば、徳のある人物(有徳者)が
  トップにあれば、世の中は上手く治まる・・・はずだわ。 
  よっしゃ、これでいこう!~


要するに、この国の伝統でありの絶対条件である「万世一系」のルールを
度外視?して、ニュー「天皇」の候補者を、広く皇室の外にまで拡げて
選ぼうと考えたわけです
称徳女帝が選んだ有徳者とは、法相宗の高僧・道鏡でした。


称徳女帝51 道鏡僧51












称徳(孝謙)天皇/(法相宗)僧・道鏡

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しかし、「伝統破り」という行動は、いつの場合も大きなリスクを抱えています。
ましてや、この国においてのアイデンティティというべき「万世一系」の伝統を
シカトしようというのですから、「ジャム入り握り寿司」程度のお茶目なレベル
ではありません。

あにはからんや、陰では非難ゴウゴウ。
~だから、オナゴ天皇ってヤツは始末に悪い~
~これ程の「伝統」を無視するなんてアタマが変になったのじゃないかぁ~
中には、それに悪ノリする者(たぶん、尾張の田舎者?)もいて、
~一介の僧を天皇にってか・・・そんなことはよぅ、道鏡と男女の仲に
  なっとらなできんことだでぇ! そんでダ、こそッと聞いた話だがよぅ、
  あの女帝サマはセックス狂いで、道鏡なしでは夜も日も明けんらしいゾ~

実際、こうした下ネタ絡みの評判?は後世の川柳にもなり、現代にも伝わって
います。

事実、この後において、こうした悪評は定着してしまいました。
しかし、これはおそらく「道鏡天皇」反対派、要するに称徳女帝の政敵側が
悪意を持って流したものでしょう。
実際、称徳女帝はいささか不自然な「急死」に見舞われています。

しかも、その「治療行為」さえ政敵側に妨害されたようにも受け取れる記述が
残されていることもあって、方法は不明にせよ政敵側が「万世一系」を無視
する「称徳女帝」の暗殺に走った可能性も決して小さくはありません。

この称徳女帝の死をもって、いわゆる「天武系」の天皇は終焉し、次代の
「光仁天皇」(第49代)から「天智系」天皇が復活します。
ちなみに、第40代・天武天皇からはじまり、この第48代・称徳天皇に至る
9代8人※の、いわゆる「天武系」天皇のお歴々は、天皇家の仏式においても、
また神式においても、「祀り」の対象から排除?されています。
※「46代・孝謙」と「48代・称徳」は同一人物のため「8人」となる。

ですから逆に、その最初の「天武」自身が、ひょっとしたら「万世一系」
外れた立場から即位したことも考えられないわけではありません。
このことは、~天武系天皇は「万世一系」にそぐわない方たちである~
「天皇家」自身がそのように受け止めていたということにもなりそうです。

それはともかく、「万世一系」を軽視した称徳女帝の態度は、決して気まぐれ
から出たものではなく、「まともな天皇」、つまり「徳ある人物」がトップの座に
就くことで世の中は上手く治まっていくとした最先端科学?の「儒教」を、
信奉していたことから、彼女が彼女なりに下した重い決断だったわけです。

尾張の田舎者?がエエコロカゲンに流した~道鏡に狂った淫蕩女帝~
いう噂?は、面白くて分かりやすい説の一つではあっても、ことの真相を
突いていないのもまた事実です。
それが証拠に、もしこの噂の内容がホントだったとしたら、称徳の死後、
そのお相手を務めた?とされる道鏡は真っ先に厳罰を受けたはずですが、
しかし、朝廷ポストから外され左遷はされたものの、「僧位剥奪」などの
厳罰処分は受けていません。

この頃の日本仏教界は「戒律」の黎明期?であり、「破戒」には神経質な
ほどに厳格な対応を示していましたから、もし女帝との性関係が事実だった
としたなら、容赦なく「破戒僧」として糾弾され、単なる左遷程度では
済まなかったはずです。
そうした処罰が下されなかった以上、当時の人々もまた「性的関係があった」
とは見ていなかったことになります。

ですから、まさに時代の節目に立ったこの「称徳女帝」は、結果として暗殺?
という手段で政敵に敗れたということになりそうで、彼女に悪評が付いて回る
のも、彼女を倒した政敵側の「自己正当化」作業の賜物ということなのでしょう。

ただ、生真面目というか、融通性が乏しいというか、そうした性格を備えた
女性だったことは確かなようです。
言葉を変えれば「清濁併せ呑む」ことさえ不潔と感じるほどに純粋な女性
だったのかもしれません。
なにせ、既に二十歳のころに史上初めて「女性皇太子」に置かれたために、
生涯結婚することもむろん子を設けることも許されない、ある意味「カゴの鳥」
のような環境を強いられたのですから、世間一般人並みに喜怒哀楽を
味わったり、あるいは融通性というものを学習し会得する機会もほとんど
与えられなかったということになります。

そういう意味では、不自由でいささか不幸な生涯でしたが、死後も末永く
このような悪名を頂戴しているのは、なおのことお気の毒なことでもあります。
そこで、この「称徳女帝」のように死後も悪口を言われ続ける・・・こうした
災難はゴメンだという方に向けて、「尾張の田舎者」である筆者は下記の
ような人生モットーをお奨めしている次第です。
長い物には巻かれよ/見ざる言わざる聞かざる/唯々諾々/平々凡々/
ぜひご参考にしてみてちょう。



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