日本史の「デジャブ」21 おデコの広さが命取り

顔面の上方にある“おデコ”(額/ひたい)の定義?は、一般的にこのくらいの
ものでしょうか。
~顔上部にある、眉(まゆ)と髪の生え際までの間のスペース~
もっとも細かいことを言い出せば、その目印になる「生え際」の位置を特定
するのが困難な人もありそうですが。
しかしいずれにせよ、人体全体の大きさに比べたら、相当に「狭いエリア」で
あることは間違いありません。

さて、お話は飛んで平安時代中期のこと、中央の朝廷政権から離脱して
「東国独立」を目指す動きが出始めた頃、そのリーダー「平将門」(生年不肖-
940年)は、朝廷の「天皇」(てんのう)に対抗する形で、自らを新しい天皇?
「新皇」(しんのう)と名乗りました。
内外に向けて、その気概を示す意味もあったのでしょう。
要するに、「西国」は京の朝廷が治めてくれて結構。 でも「東国」エリアは
この「将門新皇」が治めるゾ。 こんなイメージでしょうか。

ところが、その「名乗り」からわずか二ヶ月足らずの後のこと、戦上手で
イケイケドンドンにあったこの将門が実に呆気なく討たれてしまいました。 
要するに、あえなく「戦死」しちゃったということです。

お話はさらに飛んで、それより40年ほど後の「木曽義仲」(1154-1184年)に
移りますが、こちらは初の武士政権「鎌倉幕府」を開いた「源頼朝」(1147-
1199年)とは従兄弟の関係にあった人物です。

頼朝と同時期に「打倒平家」に立ち上がり、いち早く入京を果たすや、
その折には朝廷から「朝日将軍」または「旭将軍」というなんとも中途半端で
微妙な肩書き?※を頂戴したのがこの義仲でした。
※「征夷大将軍」とは言われていない。(平家物語)

ところが、元々治安が悪かったこの京へ、義仲軍の兵が大挙駐留する形に
なったために、食糧事情もますます悪化するなど、現地司令官・義仲は
歓迎されるどころか、逆に民衆から怨嗟の声まで挙がる有様でした。

その状況を知った頼朝が、ここがチャンスとばかりに弟の範頼・義経の
軍を送り出すや、義仲はこの軍勢に追い詰められ、結局「粟津の戦い」
(1184年)で討たれてしまいました。 
状況からすれば、これもつまりは「戦死」ということです。

でも、姓も活動時期も異なるこの「平将門」「木曽義仲」を並べて
何の意味があるの? どっこい、そこに筆者なりの「共通点」を見つけた
からに他なりません。
そのキーワードこそ、実は冒頭の“おデコ”(額/ひたい)です。

平将門51 木曽義仲53












矢が”おデコ”に命中 左:平将門/右:木曽義仲

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このお二人の最期はこう伝えられています。
平 将門 ~自ら馬を駆って奮戦したが、馬の歩みが乱れたところへ、
        飛んできた矢が将門の”額”に命中~
木曽義仲~泥田に足を取られた馬上で、ふと後ろを振り返ったところへ、
        追手の放った矢が義仲の”額”に命中~

う~ん、時代は違うものの、この二人の最期は「瓜二つ/デジャヴ」?と表現
してもいいくらいのものでしょう。

それにしても、「現代弓道・近的競技」※でさえ、その真ん中に命中することは
そうそうは無さそうな印象なのに、なんと、それよりはよほど「小さな的」で
ある“おデコ”に見事に命中したのですから、超ラッキーというか、宝クジを
当てるほど超低い確率にも思えるのですが、さてはお二人はよほど
「だだっ広い」“おデコ”の持ち主だったのか?
※28M離れた直径36cmの的を狙う競技・・・とのこと。

そこで、上の肖像画で確認すべく探してみると・・・ところがイカン、お二人とも
が「烏帽子」を被った姿になっていて、基準になる「生え際」位置の特定が
できません。 つまり、肖像画だけでは、
~メッチャ“おデコ”が広かった~とは証明できないのです。

そうすると別に、こうも考えられなくはありません。
「たった一本の矢」で敵将を倒したというカッコ良さを強調するために、
射手側が「デッチ上げ」たお話?

仮に「尻に命中し落命」だったなら、「たった一本の矢で射止めた」という
ものの、射手の側にも、あまり「カッコ良さ」を感じません。 
ところがこれが身体の中でもとりわけ狭い部分である“おデコ”に命中という
ことなら、そうした無粋な欠点?を無理なく解消できるわけです。

要するに、「尻」ではなく「額」だったということにするなら、射手側も
カッコいいし、射られた側にとっても、それなりの名誉?は守れるわけです
から、双方にとってもメリットのある顛末となるわけです。
それに、仮に多少の脚色を施したとしても、「敗者」であり「賊」の立場に
なった将門や義仲はクレームをつけようにも、その声を挙げることすらでき
ません。 なぜなら、その時点ではすでに死亡しているからです。

ということは、射手側の主張である、この “おデコ”に命中という、いささか
特異?なエピソードが広く流布されたところで、それこそ「死人に口なし」と
いうことになるわけです。

そうしてみると、抗弁ができない「敗者」という立場には結構辛いものが
ありますねぇ。
しかし、そこは現代も同様で、「歯医者」の治療も辛いものがあるのです。 
実はその予約日が刻々と近づいて・・・ああ気が重いッ!

なんのこっちゃ、ですって! 鈍いとは言いませんが、勘がイマイチ鋭くない、
そういう方のために、念の為に申し添えておくなら、「敗者(はいしゃ)」と
「歯医者(はいしゃ)」が掛詞になっているのですねェ、これが。
要するに、つまらぬダジャレです。 それはさておき、それを言いたい
ばっかりに、アナタの貴重なお時間を拝借しちゃうことになって、まことに
申し訳ありませんでしたねぇ・・・赦せよ!



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