日本史の「微妙」01 江戸民族?のお仕事ぶり

現代の「お仕事ぶり」はといえば、概ねのところ、「週休2日・40時間労働」
一つの基準になっています。
もっともこれは建前であり、必ずしも遵守されているとは言い切れません。
過労死などの報道に接することも少なくないからです。

そんな中にあって、最近「週休3日制」を実践する企業も登場してきました。 
しかし、こんな程度のことにワッと驚くようではアナタはまだまだ未熟だ。
なぜなら戦のない平和な江戸時代の人々、つまり江戸民族?はこれよりも
さらに「ゆとり」ある (と思われる) 働き方をしていたからです。
もっとも、せっかちな現代人がこうした種類の「ゆとり」?を前向きに評価
できるのかどうかは、また別の問題ですが。

もちろん、一口に「ゆとり」?とは言ってもそれなりのバラツキはあったの
でしょう。 しかし江戸民族?の「労働時間」は、どんな職業にせよ現代よりは
「短かった」はずです。
なにしろ電気(照明)のない時代ですから、現代では珍しくもない「徹夜仕事」
などは、まずハナから無理な相談だからです。

しかも、この時代はいわば「職住近接」の環境で、テクテクと歩いての通勤
スタイルを原則としていました。
要するに、押し合い圧し合いの満員電車で片道2時間?という、それだけで
疲れてしまいそうな「通勤時間」も必要ではありませんでした。
ということは、犯罪者の懲罰的な労働環境などの特殊な例を除けば、長時間
労働による「過労死」なんて出来事はごくごく少ない状況にあったことが想像
されるわけです。

その目線で眺めてみると、たとえば江戸城にお勤めする「お侍様」(役人)
などは、午前10時頃に出勤し、午後2時頃には退出する、実質3~4時間程度
の勤務だったといえるのかもしれません。
また休日の方も、現代と同じように月に5~6日ほどは取れたそうですし、
中には現代の「天下り官僚」を連想させるような3日に1度くらいの出勤で
OKという役職もあったとか。 

ただ、こうした「労働環境」を羨ましいと思うのは早合点です。
多くの「お侍様」は頂く給料だけでは生活が成り立たなかったようで、一定の
生活水準を維持するためには、勤務外時間を活用して、えっさえっさと
内職(アルバイト)に精出す必要もあったとされています。 

そうしたバイト先は「剣術道場」や「寺子屋」の先生などの他に、意外なことに
武士のチョンマゲ専門の髪結い(床屋さん)も公認されていたそうですが、
いずれにせよ、バイトまでも必要だったとすると、「お侍様」の労働環境も
そうそう楽なものでもなかったのかもしれません。

ならば、年貢を搾り取られ過酷な環境にあったというのが、ある種の
歴史常識?になっている「農民」は、一体どんな働きぶりをしていたのか?
生きた作物が相手ということを考慮するなら、その都合・事情に合わせる必要も
あって、おそらくは先の「お侍様」ほどノンビリというわけにはいかなかった
でしょう。 ところが意外?なことに、こちらも年間で概ね30~50日くらいの
「公的・農民の休日」が定められていたとされています。

士農工商52 武士寺子屋51







士農工商/武士のバイト→寺子屋教授

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これがきちんと法令順守されたのかどうかはよく知りませんが、しかしこの
時代にもすでに「働きづめ・働きすぎは良くない」とする意識があったことには
なりそうです。
その辺は農民の側とて心得たもので、社会との大切な繋がりである地域の
「祭り」や親戚縁者の「法事」などを大切にしました。
~オイ、こんな時に仕事なんかやっている場合ではねえゾ~
ですから、これなども実質的な「休日」にカウントしてよさそうです。

では、「職人」の仕事時間はどうだったのか?
これも当然ながら、職種・立場によってそれなりの違いはあったでしょうが、
どうやら基本的には午前7時頃から午後5時頃までだったということです。
ところが現代人の感覚からすれば、その間にある「休憩時間」の回数が多い
だけでなく、イチイチやたらに長い!

ランチタイムは当然としても、午前には10時頃、午後には3時頃にも、その
「休憩」を取り、これが平気で1時間超え、さらには2時間休憩なんて事も
少なくなかったようで、そういうことであれば、身体を動かしているのは
実質的に6~7時間くらいのものです。

もしこの時間配分で「お仕事」をしていたとすると、昼間の時間が短い冬の
場合には、実質4時間労働ぐらいの場合もあったことになりますから、これで
生活が成り立っていたとしたら、バイトに忙しい?「お侍様」より恵まれた
労働環境にあったといえるのかもしれません。

ではでは、「商家」はどうだったのか?
これも「職人」とそんなに変わらなかったようです。
もっとも下っ端の「丁稚」などは、細々とした雑用を消化する必要もあってか、
幾分は長い「労働時間」だったとされています。 

「丁稚」?・・・「丁稚」って何のことですか? 今や死語?になってしまいました
ので、少し補足しておくと、~年季奉公の年少者のこと~を言っています。
この説明自体が分からんなあ・・・
ではその「年季奉公」っていったい何のことですか?

少々乱暴な説明になるものの、商家の場合ならそのお店に、職人なら親方の
元へ、「奉公」または「弟子入り」して約束の期間(年季)をその職場に勤める
こと、といえるのでしょうか。

その間、お店・親方側から商売人・技術者としての、現代風にいうなら、
「ノウハウ」が提供されるわけです。
ですから、基本的には「住み込み」の形が多く、家賃・食事・衣服などは、
お店側・親方側が負担することになり、その期間(年季)はその分比較的安い
給料で働くということになります。

「安い給料」とはいうものの、一種のギブ・アンド・テイク、持ちつ持たれつの
関係にある「徒弟制度」ですから、この点は一方が搾取し続ける「奴隷制度」
とはまったく別物であることに注意を払う必要があります。

お話が逸れました。
要するに、モーレツ社員(古い!)や企業戦士を見慣れた現代人の目から
すれば、江戸民族?の「お仕事ぶり」は総じてチンタラチンタラしているように
映ってしまうわけです。

しかしこのチンタラチンタラのせいで、ブラック企業・パワハラ・サービス残業・
過労死など、現在のような悲惨な労働問題を生まなかったとしたなら、この
システムを採用した 江戸民族?のバランス感覚は高く評価する必要がある
のかもしれません。

ちなみに、筆者なぞは江戸民族?並みのチンタラチンタラ生活をモットーと
しているため、もとより過労死の心配は無用です。
ということで、アナタにもこうしたライフスタイルをお勧めした次第ですが・・・
なに?「そのうち気が向いたらネ」ってか? 
うーん、アナタのチンタラチンタラぶりは江戸民族?の上をいっているッ!



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