日本史の「信仰」06 ”お蔭参り”サポートします

江戸期には前後三回※1「伊勢参り」フィーバーが起こって
います。 ①1705年(宝永2年)/②1771年(明和8年)、そして、
③1830年(文政13年/天保元年)です。
いずれも、いわゆる「お蔭年」※2に当たるため、別の言葉では
「お蔭参り」とも言いました。
※1 推定参詣者数は①③では人口の12%以上、②では同6%以上
※2 ほぼ60年間隔で巡ってくる「式年遷宮」の翌年のこと


でも、「お蔭参り」のいったい何が「お蔭」なのでしょうか?
実際分かったようで分からない言葉です。
~豊作も商売繁盛も伊勢の神の「おかげ」、そしてまた
  その神様から「御蔭(恩恵)」をもらう~
 
ですから、どちらにせよ、ちゃっかり「御利益(ごりやく)」?を
期待した「伊勢参り」というニュアンスになっています。

実は2回目の大流行だった明和の頃には「抜け参り」という言葉
も誕生しました。
~奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で
  参詣したこと~
 つまり、「監督者の許可なく伊勢参り」に出た
奉公人や子供も決して少なくなかったことで、この新語?が誕生
したということでしょう。

また当時の記録によれば、近場の名古屋から片道3日ほど、
大坂からだと5日、これが江戸からになると15日ほどの日数が
必要だったようです。
さらにはなんと数十日、あるいは百日ほどもかかる遠方からも
「お蔭参り」に訪れたとされていますから、その熱心さはハンパ
ではありません。

ですから、奉公人や子供の「抜け参り」に限らず、一般参詣者の
場合でも、そうした旅行ができるだけの「経済力」があったことに
なりますが、これもちょっと気になるところです。

昔の旅行は「徒歩」移動が基本ですから、確かに現代のように
新幹線や飛行機などの乗り物交通費は必要ありません。
とはいうものの、それでも伊勢への往復にはその間の食事や
宿泊など、それなりの「費用」は必要だったと思われるからです。
さて、こうした費用をどう賄ったものか?

ところが当時は、「伊勢参り」のための色々な仕組みが整って
いたのです。
まず、村ごとに積み立てをして資金を作り、クジ引きで選んだ人
を伊勢に送る「(お伊勢)講」。
また道沿いの家々が食べ物や宿泊場所の「施し」をする慣習
とか、さらには参拝・宿泊などの世話をする寺社側の営業マン?
ともいうべき「御師(おし/おんし)なる存在もありました。

ですから、仮に旅行費用が潤沢でなくても、これらをうまく利用
することで、信心の旅「お伊勢参り」をすることは可能だったわけ
です。


お蔭参り51 おかげ横丁51








昔の「お蔭参り」/現代の「おかげ横丁」

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御師は、その土地の「講」の世話を初め、彼らが晴れて参詣に
訪れた際には、その御師自らの宿坊(ホテル?)に迎え入れて
便宜を図りました。
それだけに留まらず、その宿坊で山海の珍味のもてなし、豪華な
布団に寝かせる、はたまた名所・歓楽街の観光ガイドもこなした
上に、さらには参拝作法の教授まで提供したとされています。

現代でいう、その寺社専属の「旅行代理店」?ばかりか、「ツアー
コンダクター」?まで兼ねていたような按配ですから、参拝者から
すれば、まさに~かゆいところに手が届く~サービスでした。

つまりこの時代は、「講」や「施し」や「御師」などのサポート体制
が整っていた上に、「抜け参り」さえも認めるなど、信仰行脚に
対する理解が社会全体に拡がっていたことになります。 
そうした背景があって、
~江戸時代のかなりの人々は、老若男女・貴賤貧富の別なく、
  一生に一度は旅行を楽しむことができた~
 
こんな風にも言われているのでしょう。

もっとも、「信仰行脚」を建前にしてはいましたが、そこは人間の
やることですから、生真面目一辺倒でもありません。 たとえば、
移動に規制があった農民などは、通行手形(パスポート?)を発行
してもらうために、この「伊勢参り」を旅行の理由にしました。

こうすれば、政府(幕府)とて信心を発露したいとする国民に
向かって、「それは許せん!」とはさすがに言えませんから、
結局のところ、ほぼ無条件に発行することになるわけです。

しかし、発行してさえもらえばあとはこっちのもので、どの道を
通ってどこへ旅をしようが自由勝手。
これ幸いとばかり参詣を済ませた後に、ちゃっかり京や大坂など
他の土地の観光巡りを楽しむ者も多かったとされています。

当の「伊勢神宮」からすれば、まったくバチ当たりな所業という
ことになりますが、だったら「抜け参り」も同様ではなかったのか?
奉公人・子供たちが、主人・親には「伊勢参り」に行ったふりを
して、その間内緒でどこかよその土地を遊び歩いていた・・・
つまり、「抜け参り」を理由にして「ズル休み」をしたとしても決して
バレないことに?・・・まさに鉄壁の「アリバイ作り」です。

ところが、うまくできたもので、
~おとがめを受けないためには、お伊勢参りの証拠になる品物
  (お守りやお札など)を持ち帰ること~
が必要でした。

逆に言えば、「証拠の品物」がなければ無断の「職場放棄」?と
見做されるわけですから、この手の「アリバイ作り」?はそんなに
容易なものではなかったと思われます。

ところが、ありがたいことにこの現代。 
江戸期のこの「お蔭参り」の様子の再現?をウリにして1993年
(H5年)に開業した内宮前の「おかげ横丁」には実店舗の他にも
「おかげショップ~おかげ横丁オンラインストア」があるのです。
つまり、「証拠品」?がネットで買えちゃうわけです。

これを活用するなら、鉄壁の「アリバイ作り」もそうそう難しいこと
でもなさそうですので、さあ現代の若者よ!
「抜け参り」という口実で、「ズル休み」に挑戦してみませんか?
もっとも、その果てに厳しい「おとがめ」が待っていたとしても、
それは筆者の責任ではありませんからね。 念のため。



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