日本史の「ツッパリ」19 強気が招いた結果オーライ

中国大陸を支配した「モンゴル帝国」(大元)とその属国である
「高麗王国」が海を越え、日本本土に侵攻した事件・・・これが、
いわゆる「元寇」です。 
そして、その最初が「文永の役」(1274年)、二度目が「弘安の役」
(1281年)と呼ばれています。

ただ、この侵攻は突如としてオッ始まったわけではなく、実際
には「モンゴル帝国」側の親玉・第5代皇帝クビライ・ハーン
(1215-1294年)が、日本側・幕府執権・北条時宗(1251-1284年)
向け、「使節」の派遣を再々繰り返した挙句のことでした。

途中で引き返すなど日本に未到着の分も含めれば、こうした
「使節」は、1266年~1272年の間に合計6回ほどを数えたそう
ですから、「日本」の従順な服属を実現させるためとはいえ、
クビライも割合に根気に手順を踏んでいたことになります。

ちなみに、このクビライは、人類史上最大規模の世界帝国
「モンゴル帝国」の基礎を築き上げた「チンギス・ハーン」の
お孫さんに当たる人物で、国号を「大元」(1271年)に改めた
ばかりか、その初代皇帝にも就いています。

イケイケドンドンの最中にありながら、わざわざ国号変更に踏み
切ったのは「モンゴル」という言葉に当てられた漢字「蒙古」が
イマイチ芳しい字でないことに気がついたからかもしれません。 
「蒙昧」とか「啓蒙」などの言葉が示すように、「蒙」の字って、
ズバリ、「無知/バカ」のことを意味しますからね。
そうした境目の時期にあったからでしょうが、この「元寇」を別に
「蒙古襲来」とも呼んでいます。

ところが、そうしたクビライの度重なる提案?に対して日本側は
なかなか素直な対応を見せませんでした。
なにしろ「属国になりなさい」というお誘い?ですから、当然と
言えば当然かもしれません。

もっとも、相手がどんなに強かろうとも、口が裂けても
「恐れ入りました」と言えない事情が鎌倉幕府にもありました。
なにしろ「軍事政権」です。 こうした立場は、ハナから「ツッパリ
こそ命」という姿勢を備えているものなのです。

この「真理」は、21世紀の現代においても変わりありません。
早い話が、現代の「北朝鮮」が国際社会の常識・理屈を度外視
してツッパリ続ける姿もこの通りのものです。
うっかりにせよ、相手を認めるような「弱気」?を見せようもの
なら、たちまち自らの政権の存在基盤が根底から揺らいでしまい
ますからね。


クビライ51 敵国降伏53












クビライ・ハーン/「敵国降伏」筥崎宮楼門

 にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ  ↓コメント欄はいちばん下↓
↑応援クリックは↑

ですから、「鎌倉幕府」もハンパでないツッパリを最後まで続け
ました。 中には、なんと、こんな出来事も。 
~「元」の使節を処刑(1275年/1279年) それも一度目の
「襲来」の後の出来事ですから、この乱暴狼藉?が二度目の
「元寇」を招いたという見方もあるほどです。

現代人の感覚からすれば、確かに「行き過ぎ」の印象もします。
しかし、軍事政権の長、つまりツッパリの本人・時宗はそんな
感傷なぞは持ち合わせていません。
~交戦国「元」側のスパイ?を殺して何が悪い!~
それどころか(これは想像の域を出ませんが)、
~こうした断固たる態度を示しておけば、少しは「元」も怯む
  だろう!~
 このくらいに血気盛んだったのでは?

しかし、時宗の思惑と違って、こうした対応に「大元」が怯む
ことはありませんでした。 「大元」にしてみれば、むしろ
~小さな島国のチンピラどもめ! 世界に冠たる「大元」を
  なめたらいかんぜよ!~
といったところだったでしょう。

なにせ、東は日本海から西は地中海に至るまでに領土を広げた
実績を持つ「大元」ですから、まあこの程度のセリフや外交姿勢
は至極当たり前のことです。
しかし、一方の日本側とて、ここでチビっているようでは「亡国」
の心配すらあります。 その事態を避けるためには、それこそ
「挙国一致」?の「国家総力戦」?体制を必要としました。

幕府・武士団が果敢に戦うのはもちろんのこと、朝廷・公家・
寺社とて熱心な祈祷を繰り返し、「敵国降伏」を願ったのです。
その甲斐あってか、結果はご存知の通り。
折りからの暴風雨で、元軍船団は壊滅的な被害を蒙り、クビライ
の目論見は完全な失敗に終わりました。

ともかく、結果として時宗のツッパリは幸運にも、功を奏する形に
なりましたが、一方クビライのツッパリはそう運びませんでした。
言葉を変えれば、時宗にはツキがあって、クビライにはそれが
なかったということです。

蛇足ですが、クビライにとっては実はこれが「ケチ」の付き始め
でした。 この後のベトナム侵攻(1286年)、さらにはジャワ侵攻
(1292年)の際にも暴風雨で船団の損害を被るという、日本の
「元寇」の折りと同様の「ツキのなさ」が続いてしまったのです。
ひょっとしたら、大陸大国「大元」には海洋気象に詳しい
「気象予報士」?がいなかったということかもしれません。

それはともかく、これより600年ほど後の軍事政権・江戸幕府が
「黒船」に対し腰砕けになったことを思えば、「結果オーライ」?と
いう評価にはなるものの、この時の鎌倉幕府のツッパリぶりは
軍事政権の本来あるべき姿を示したものでした。

はたまた蛇足ですが、強烈な「突っ張り」を武器に「四十五日」と
いう異名を頂戴したのが、明治大正期の横綱・太刀山でした。 
なにせ“一突き半で相手を突き出す”ことから、
「一突き半/一か月半/四十五日」と運んで、この異名になった
ようですから、あるいは北条時宗以上の「ツッパリ」ぶりだった
のかもしれません。




 にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ  ↓コメント欄はいちばん下↓
↑応援クリックは↑


          
---これまでの 「ツッパリ」 シリーズ---------------
355 日本史の「ツッパリ」18 空回り?”無二念”の気迫 雑念無用で追い払え
337 日本史の「ツッパリ」17 独奏美意識?の幕引き 丁髷も引眉もお歯黒も
326 日本史の「ツッパリ」16 ”奇跡の勝利”は忘れられない 次回も奇跡を!
313 日本史の「ツッパリ」15 その信心は邪教である! 日蓮だけが正しい?
279 日本史の「ツッパリ」14 此の世をば”灰左様なら” 本心か?矜持か?
272 日本史の「ツッパリ」13 古事記と漢字廃止 世界に冠たるハングル?
223 日本史の「ツッパリ」12 筋を通せばクビが飛ぶ 至誠は天に通じない?
183 日本史の「ツッパリ」11 切腹がなぜ名誉なの? それが武士の面目だ!
173 日本史の「ツッパリ」10 五尺の体にみなぎ気迫 大和魂か蛮勇か?
144 日本史の「ツッパリ」09 ♪地球の上に朝が来る 驚天動地の新神様!
132 日本史の「ツッパリ」08 釜かぶり今昔物語 どうせなら最期もド派手に!
126 日本史の「ツッパリ」07 天武系百年のストレス人生 薄幸と断絶の結末!
109 日本史の「ツッパリ」06 心頭滅却すれば・・・ 心の持ち方が肝要なのだ!
070 日本史の「ツッパリ」05 黄門様のあてつけ 綱吉クンこれが出処進退だ!
066 日本史の「ツッパリ」04 昭和軍閥の原点 それは“関ヶ原”から始まった!
055 日本史の「ツッパリ」03 将軍と墓石入牢 吉宗VS宗春のガチンコ対決!
050 日本史の「ツッパリ」02 崇徳の憤懣遺言 その憤りは昭和も続いていた!
037 日本史の「ツッパリ」01 金銀入歯組 男だては決してラクではないゾ!
-------------------------------
ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 前編「あ→と」巻 七転び八起き!
ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 後編「な→ん」巻 あゝ七転八倒!
ヤジ馬の日本史~超駄級・300記事一覧~ №202-299編 堂々肩すか史!
-------------------------------





クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回【電子書籍】[ 杉山正明 ]
楽天Kobo電子書籍ストア
13世紀初頭に忽然と現れた遊牧国家モンゴルは、ユーラシアの東西をたちまち統合し、世界史に画期をもたら

楽天市場 by クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回【電子書籍】[ 杉山正明 ] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック