日本史の「デジャヴ」17 戦国繚乱!養子の系譜

なんだかんだと言っても、あるいは言わなくても、
戦国時代の人物関係には大層複雑なものがあります。
たとえば以下の内容がその通りで、この説明を分かりやすいと
思える人はよほどの奇人変人?でしょう。

~ええかよく聞け、話は戦国時代だ。 毛利元就※1の実子が
  次男・吉川元春※2と三男・小早川隆景※3なのだゾ。 
  そしてダ、関東管領・上杉憲政※4が家督を譲った相手が、
  血縁関係のない長尾景虎(上杉謙信)※5であり、その子・
  上杉景虎※6の実父が北条氏康※7ということになるのダ。
  ええか、あい分かったか!~

※1 毛利元就1497-1571年/中国地方の覇者(稀代の策略家)
※2 吉川元春1530-1586年/養子になり吉川家を乗っ取り(元就次男)
※3 小早川隆景1533-1597年/養子になり小早川家を乗っ取り(元就三男)
※4 上杉憲政1523-1579年/関東管領・山内上杉家当主(家督を謙信に)
※5 上杉謙信1530-1578年/越後の覇者(それまでは長尾景虎などの名)
※6 上杉景虎1554-1579年/謙信の後継者候補の一人(北条氏康七男)
※7 北条氏康1515-1571年/関東の覇者(後北条氏の三代目当主)


「あい分かる」どころではなく、この人物関係の複雑さは大勢の
「歴史嫌い」を誕生させること請け合いです。
その原因はおそらく、非血縁者つまり、まったく赤の他人でも
OKとする「養子縁組」の仕組みにあるのでしょう。

後継者に恵まれなかった当主が「お家存続」を計るためには
確かにありがたい仕組みですが、逆に「お家乗っ取り」を謀る者
にとっても、同様にありがたいものだったはずです。 

なにしろ、金のかかる「戦さ」も不要で、「養子」を送り込むだけで
簡単に「お家が手に入る」のですから、これはコストの面から
しても大助かりです。 事実毛利元就はこの方法を活用して
吉川家(次男・元春)・小早川家(三男・隆景)を手に入れました。

もっとも長尾景虎(謙信)が「上杉家」を相続した経緯は、これとは
少し事情が異なり、つまり「お家乗っ取り」ではなく、謙信という
人物を見込んだ上杉家当主の発案によるものでした。
その力量もさりながら、謙信の律儀・真面目な人柄を当主・
憲政がとりわけ高く評価したということなのでしょう。


上杉景虎51 上杉謙信51











上杉景虎(北条三郎)/上杉謙信(長尾景虎)

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その謙信亡き後の後継者候補として二人の「養子」がクローズ
アップされたことがありました。
一人は、血縁的には甥である「上杉景勝」(1556-1623年)であり、
もう一人は先のややこしいお話にも登場した北条氏康七男・
三郎こと「上杉景虎」です。

この影虎なぞは、北条家の人質として謙信の手元に置かれて
いた人物ですから、なんと人質から後継者候補へ、言うなれば、
捕虜待遇から県知事候補?と目されるまでの大変身を見せた
ことになります。
まあ、仮にこのこと自体は例外的な出来事だったとしても、
「養子」という身分?の複雑さを感じさせる経緯ではあります。

天皇家が誇る「万世一系」に注目すれば分かる通り、日本人は
元来「先祖代々」を、つまり「血統・血筋」というものをメッチャ
大切にしてきた民族です。

ところが一方では、血縁関係のあるなしを問わない「養子縁組」
の仕組みも盛んに活用?していたことになるわけですから、
このドライさはホントに油断も隙もあったものじゃありません。

お話はいささか不敬な空想に飛びますが、そうするとかつては
天皇家でも「万世一系」という一枚看板を崩さないために、この
「養子縁組」制度?をちょろっと利用したことがあったのかも? 
確かに、こうしたことがなかったとは言い切れない雰囲気が
ないではありません。

たとえば、よく指摘されるのは遥か昔々の第26代「継体天皇」
(450?-531年?)です。 公式な履歴書?によれば、
~第15代「応神天皇」の「5世の子孫」~ということになっては
いますが、これでは「万世一系」というには遠すぎて、むしろ
「養子縁組」に近いものだったようにも感じられるところです。

まあそれはさておいて、懲りもせず今日もまたこんな説明が
繰り返されているのでしょう。
~ええかよく聞け、話は戦国時代だ。 織田信長※aの実子が
  次男・北畠信意※bと三男・神戸信孝※cなのだゾ。 
  そして、毛利元就の三男・小早川隆景が家督を譲った相手が、
  まったく血縁関係のない羽柴秀俊(小早川秀秋)※dであり、
  その叔父であり養父である人物が天下人・豊臣秀吉※eという
  ことになるのダ。 ええか、あい分かったか!~

※a 織田信長1534-1582年/戦国乱世の実質的天下人
※b 北畠信意1558-1630年/織田信雄の名の方が知られている(信長次男)
※c 神戸信孝1558-1583年/織田信孝の名の方が知られている(信長三男)
※d 羽柴秀俊1582-1602年/関ケ原で寝返りを演じた「小早川秀秋」のこと
※e 豊臣秀吉1537-1598年/織田信長亡き後、諸将を破り天下を握った


「あい分かる」はずがありませんって、こんなこと! 
そして今日もまた大勢の「歴史嫌い」が誕生するハメに?




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