日本史の「ツッパリ」18 空回り?”無二念”の気迫

いくつかの言い方があるようですが、その中でも一番気迫に
満ちた表現は「無二念打払令」(1825年)でしょう。 
なにしろ、清国・オランダ以外の「外国船」を見つけたら、
~何も考えず、ためらうことなく打ち払え、追い払え!~
こう言っているわけですから、半端ない迫力です。
※ほかにも/異国船打払令/外国船打払令/文政の打払令

1808年のこと、イギリス船「フェートン号」が長崎港へ不法入港
した、いわゆる「フェートン号事件」で、幕府は終始後手に回り、
ドタバタの失態を演じました。
オランダ商館員を人質に取って水や食料を要求する相手に、
なんら有効な手当てができなかったのです。

なぜ? 日本の港へ入った「外国船」の乱暴狼藉はまったく
想定外の出来事だったに他なりません。 
しかしこれだけで一件落着とはならず、その後も「外国船」の
立ち寄り?は続きました。

○イギリス商船(ブラザース号/1818年) 交易目的で。
○イギリス捕鯨船(サラセン号/1822年) 食料・水の補給目的で。
などなど、「開国拒否」を貫きたいとする幕府にとって、こうした
「外国船来航」は心底ウットウしいことであり、それが大きな
ストレスになっていきます。

~行先なら「清国」でも「朝鮮」でもいくらもあるじゃないか!
  なのに、外国嫌い?を明言しているこの「日本」へ何を好んで
  来るのか・・・嫌がらせはやめて即刻お戻りなさいッ!~

こんなイライラが「無二念打払令」を打ち出させたわけです。

しかし「相手」は、商売・交易を始めたいと希望しているのです
から、そうそう簡単には引き下がりません。
~手ブラではなんですから、今回はお土産?もご用意して
  きました・・・ご遠慮なさらずにどうぞお受け取りくださいな~

こんな低姿勢で来航したのがアメリカ商船「モリソン号」(1837年)
で、実はこの時「手土産」?として、日本送還をすべく日本人
漂流者七人を乗船させていました。

ところが、幕府側には10年ほど前のイギリス船「フェートン号」の
乱暴狼藉がまだ記憶として残っている上に、「無二念打払令」
誠実に?遂行している最中ですから、その精神に則り、大砲を
ぶっ放して、これを追い返してしまったのです。

”ならず者”のイギリス船「フェートン号」にはまんまと入り込まれ、
”紳士的”なアメリカ船「モリソン号」は追い払ってしまう。
 
事情があったにせよ、後から考えれば真逆の対応を取っていた
わけですから、つまりこの頃の「幕府」はすでに政府としての
危機管理能力を失っていたと言えるのかもしれません。


黒船来航52 











 嘉永7年(1854年)横浜への黒船来航

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同胞である漂流民すら受け入れなかった、この「モリソン号」への
対応は、さすがに国内からも批判の声が上がります。 
さらには、その直後のアヘン戦争(1840-1842年)で、超大国「清朝」
がイギリスにボコボコにやられるという衝撃的な有様を目の
当たりにした幕府はすっかり肝を潰してしまいました。

威勢のいい「無二念打払令」を即座に引っ込めて、穏便な
「薪水給与令」(1842年)に切り替えたのもその表れでしょう。
~遭難した外国船には人道的な対応として、燃料や食料・水は
  給与しますから、ご用が済んだらとにかく早々に帰国してね。
  ただし「鎖国」は堅持しますのでその点暮々も誤解なきよう~

しかし、これで丸く収まったのかと言えばそうでもなく、少なくとも
「アメリカ」はこの後も根気よく「来航」し続けました。

○捕鯨船(マンハッタン号/1845年)
  モリソン号と同様に日本人漂流民の送還&交易開始を目的。
○東インド艦隊(コロンバス号・ヴィンセンズ号/ 1846年)
  司令長官ビッドル率いるアメリカ艦隊で、通商要求を目的。

この頃の「アメリカ」はまだ、日本に対して「どうぞ、よしなに
お願いします」
という、大層「低姿勢」な態度を続けていたの
ですが、日本側が頑なな姿勢を崩すことはありませんでした。
これでは埒が明かないとアメリカ側も判断したのでしょう。
以降は一転「高飛車」な姿勢を取るようになっていきます。

その「方針転換」にはこんな経緯があったとされています。
前年のアメリカ捕鯨船の漂着船員たちや密入国者の身柄を
引き取る際(1849年)に、アメリカ軍艦プレブル号艦長・グリンが
日本側に示した「毅然たる態度」?が本国では大層な注目・
評価を集めたのです。

つまりアメリカ側は、このように受け止めたということです。
~ふーむ、日本に対して「低姿勢」に出ていたのではダメだッ!
  グリン艦長並みの「毅然たる態度」?こそが道を開くッ!~

もっとも、アメリカ側は「毅然たる態度」と表現しているものの、
日本側からすれば、おそらく「高圧的」または「脅迫的」な態度
と言いたいところだったかもしれません。

かくして、 ペリー提督率いるアメリカ艦隊の来航(1853年)
迎えることになり、あの有名な狂歌に結びついていくわけです。
泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たつた四杯で夜も眠れず
※正確には「蒸気船」はサスケハナ号とミシシッピー号の「二杯」だけで、
  ほかに帆船=プリマス号とサラトガ号を加えての計4隻


アメリカ側のその「毅然たる態度」?を目の当たりにした幕府は、
今度はたちまち腰砕けとなり、翌年には早々と「日米和親条約」
へとなだれ込んでいきました。

ですから、~おとなしい相手と思えば、思い切り高飛車で出て、
強そうな方を迎えた際には、とことん素直に従う~
こうした私の
生活対応は、個人の信条と言うよりは、むしろこの時の幕府の
遺伝子?を素直に受け継いでいるだけのことかもしれません。




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