日本史の「事始め」08 昔もあった?ブラック企業

~あまりの激務に体調を崩し、病死(享年55) 
幕臣・江川英龍(1801-1855年)の最期を紹介した文章です。 
現代なら、さしずめ“過労死”という言葉になるのでしょう。

では、死に至るような“激務”とは、いったいどういうものだった
のか?
そもそもの端緒は、最初の「黒船来航」(1953年)で開国を
迫ったペリー艦隊が帰りしなに言い残したこんな挨拶でした。

~来年もまたお邪魔に上がりますから、どうぞヨロシクね~
この言葉に幕府はアワを食いました。
なぜなら、開国を迫るようなウットウしい奴には来てほしくない、
さりとて、それを追っ払うだけの準備は何もしていない。
こんな状況にあったからです。
~なら、次に「黒船」が来るまでに大至急の備えをしなくっちゃ~

そうした中で、幕府が江川に命じた仕事は、
台場の築造 (外国船を江戸湾へ入れないための砲台)
○反射炉の建設 (近代大砲の製造に不可欠な鉄の精錬設備)
銃砲政策&爆裂砲弾の研究開発 (防衛力の向上)
○造船技術の向上&農民軍の組織 (防衛戦へ備え?)
ロシア使節プチャーチン一行への対応 (同じ頃日本へ来ていた)

江川英龍一人にそれを「全部やれ!」ったって、こんなもん、
誰がどう見たって、こなし切れる仕事ではありません。
ところが、江川はズルを決め込むことなく、これに真面目に
向き合いました。

もちろん、その他諸々の仕事にも取り組みながらの同時並行の
形でしたが、即座に品川台場と反射炉建設に着手したのです。
驚くことに、この「台場」は翌年(1854年)の黒船再来航までの
一年足らずの間に半分以上完成させています。
※反射炉は後を継いだ息子・江川英敏が1857年に完成させた。

「残業」どころかは、おそらくは「寝る間」もないほどの典型的な
「長時間労働」だったはずで、これで過労に陥らない方がむしろ
不思議なくらいです。

つまり、社員?を過労死させてしまうほどの「過重労働」を平気で
押し付けていたのですから、現代なら「幕府本社」?は、間違い
なく「ブラック企業」?の烙印を押されていたことでしょう。


江川英龍51 明智光秀51









          江川英龍   明智光秀

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さて、時代を少し遡って、戦国時代。
織田信長(1534-1582年)に見出された明智光秀(1528?-1582年)も、
家臣として随分の働きをみせた人物です。

1581年の大イベント京都「御馬揃え」の運営を任されるまでに
出世した光秀自身も、またそうした抜擢に対し、主君・信長には
大きな感謝の気持ちを持っていました。 
実際、その意を表す書状もあったとされています。

さらに光秀はこの翌年(1582年)のこと、信長の盟友・徳川家康
(1543-1616年)の饗応役も仰せつかりました。
大切なグループ会社?社長の接待を任されたわけです。

ところが後から振り返ってみると、どうもこれがケチの付き初め
で、信長から「料理の魚が腐っている」とのクレーム?を受け、
厳しく叱責されたばかりか、途中でお役目解任の憂き目に。

その上に、「備中へ出陣せよ」(羽柴秀吉の応援)との業務命令を
受けたのですから、~とんと役に立たない奴だ~ 社長・信長が
これを言葉ではなく、態度で示したといったところでしょうか。

その上に、信長は光秀にこんなことも伝えていたようです。
~出雲国と石見国の両国はよぅ、攻め取った分だけそのまんま
  オミャァ(お前)の領地にしてええけど、その時は今持っとる
  近江坂本と丹波国は返してもらうでよぅ~ (当然、尾張弁です)


要するに、光秀からすれば「過酷なノルマ」?を押し付けられた
上に、それができなければ「賃金不払い」?の状況が待っている
わけです。

つまり、カリスマ社長の指揮のもと、驚異的な急成長を遂げた
ベンチャー企業?「織田家」も、社員・光秀の受け止め方と
すれば、この頃はすでに真っ黒けな「ブラック企業」?だったの
かもしれません。

~近頃の上様の「パワハラ」は度が過ぎている! 
  社員?を人間として扱っておらず、これではまるっきり
  「使い捨て」の按配だ! いかん、もう我慢の限界だ!~


現代なら裁判なりマスコミに訴え出ることもできたのでしょうが、
いかんせん、時代は戦国乱世ですから、そもそも「裁判所」も
「マスコミ」もありません。

そこで、思いつめた光秀は信長暗殺「本能寺の変」(1582年)
まっしぐら! ワンマンなカリスマ社長を力づくで引きずり
下ろしました。
以後、幾分の紆余曲折を経ましたが、結果として、自らの死を
必要としたものの、一つの「ブラック企業」を倒産?消滅?に
追いやった形になったわけです。

ちなみに、聞くところによれば、「ハラスメント」(嫌がらせ)と呼ば
れるものは、先の「パワハラ」の他にも、「セクハラ」「マタハラ」
など、なんと三十数種類もあるとのことです。

そして、光秀に一番当てはまるのは「この恨みハラスメント」なの
かもしれません。 
でもこれが、三十数種類の「ハラスメント」に含まれていないのは
ある意味当然で、なぜなら、たった今思い付いたワタシの
「ダジャレ」に過ぎないからです。




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