日本史の「迷宮入り」16 卑弥呼は文字を読めたの?

遥か昔の「邪馬台国」、その女王・「卑弥呼」(生年不詳-248年?)
は文字を読むことができたのか?
この問いには文字が日本に伝わった時期の把握と、もう一つ、
卑弥呼の教養?レベルを知る必要がありそうです。
※この場合は「漢字」を指し、「アルファベット」ではない! 念のため。

ではまず、・・・文字はいつ日本?に伝わったのか?
これには諸説がありますが、一般的には百済から「論語」や
「千字文」が伝来した270~310年頃のことであろうとされて
います。

仮にその時期が正しいとしたら、それより前に既に亡くなって
いた卑弥呼には、文字習得の機会がなかったわけですが、
しかし、これとは別に文字そのものは渡来人などにより、もっと
早い時期にもたらされていたという見方もあります。

現存する最古の文字とされる「漢委奴国王印」の金印が既に
下賜されていた事実を思えば、確かにそうかもしれません。
この場合、それを受けた「委の奴国」(日本?)側自身が、そこに
彫られた模様を「図柄」ではなく、それとは異なる「文字」なる
ものと認識していただろうとの推測はできそうです。 
※西暦57年(卑弥呼の時代より200年ほど昔のこと)

だとしたら、それより200年ほども後の時代に「親魏倭王」
金印を下賜された卑弥呼とて、これは単なる 「図柄」ではなく、
はやり、それとは異なる「文字」なるものであることを、しっかり
認識していたと見た方が自然です。

ただ、卑弥呼政権中枢には、この「文字」を「文字」として自在に
使いこなせる人材はいなかったのでしょう。
そう推理する理由は簡単で、もし日本側にそうした能力があった
なら、後の時代の「古事記」や「日本書紀」と同様に、おそらくは
「卑弥呼回顧録」?もどきの歴史書が残されたに違いないから
です。 ところが、そうしたものは伝わっていません。

現在でも、この時代の出来事を日本製ではなく、外国製?の
歴史書である「魏志倭人伝」に頼らざるを得ないのも、こうした
事情があってのことでしょう。
※「魏志倭人伝」→「三国志」の「魏書」の「東夷伝和人条」

つまり、卑弥呼政権は「文字の読み書きはできなかった」、
少なくとも「自在に操れるだけの能力はなかった」と推測する
のが妥当ということになりそうです。


アインシュタイン51 金印親魏倭王51









  アインシュタイン    金印/親魏倭王

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もっとも、この時代の人にとっての「文字」は、おそらく現代人が
思うほどに不可欠なものでもなかったかもしれません。
~その存在を知らないわけではないが、それについては十分な
  理解には届かないし、またそれを知らなくとも普段の生活には
  何らの不自由もない~


おそらくは、こうしたレベルのことで、現代で言うなら、さしずめ
アインシュタインの「相対性理論」もどきのものか?
~「相対性理論」の存在を知らないわけではないが、
  それについては十分な理解には届かないし、またそれを
  知らなくとも、普段の生活には何らの不自由もない~


要するに、卑弥呼自身とその政権中枢は、
~単なる「図柄」や「模様」とは意味合いの異なる「文字」なるもの
  だとは認識していたが、「書く」ことは勿論「読む」こともできな
  かった。 ただし、それが政権運営に致命的な不便・不都合を
  生じさせるものでもなかった~

ですから、幾分はヨタ話めいていますが、こんな会話があった?
ことも想像されるわけです。

卑弥呼 ~この金印って、いったい何を言っているの?~
魏使節 ~そんなこと知って、どうするつもりでっか?~
卑弥呼 ~折角なら、意味くらいは知っておきたいじゃないの~
魏使節 ~ではまあ、知らざあ言って聞かせやしょう。
       「親魏倭王」とはこのくらいの内容になりましょうか~
~世界に冠たる我が国・魏に対して、感心にも友好的な気持ち
  を抱いているアンタ(卑弥呼)を野蛮国・倭の国王として認めて
  やるにやぶさかではないゾ~


卑弥呼 ~んまぁ!メッチャ高飛車なもの言いね!~
魏使節 ~とことん「中華」の我が国が、とことん「東夷」の酋長に
       宛てるのですから、至極妥当な表現ですッ!~

意味の解釈はともかくとして、「紙」が我が国へ伝わったのは、
これよりずっと後の5世紀頃のこととされていますから、さらなる
疑問も。
~すると、卑弥呼はこの折角の金印を「紙」以外の「なに」に
  押していたのか?~

「紙」がなければ金印も役に立たない・・・だったら「持っている」
ことになんの意味もないではないか? ということになります。

この点はどうぞご安心ください。 ちょうど、現代のオジサン・
オバサン族の姿を想像してみればいいのです。
~手元にあると何とはなしに安心という理由から、
  使いこなせもしない「スマホ」を持ちたがる~


そう、卑弥呼にとっての「金印」は、現代のオジサン・オバサン族
にとっての「スマホ」であり、早い話がその実用性よりは、むしろ
ファッション性を重視したものだったのかもしれません。

その意味では、「親魏倭王」こと、遥か昔の卑弥呼の遺伝子?を、
現代のオジサン・オバサン族も、同じ日本人として、間違いなく
継承していることになるわけです。





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この記事へのコメント

古代子孫
2016年03月25日 17:24
漢字については他のブログ等で歴史を探っている方らのを拝見していると、唐に敗戦した時文字(神代文字など)をすべて漢字に変えられた。文書類も廃棄された疑いがあると、征服者の常套手段があったのではないかと書かれています。また、中世、近代でもそうですが、時の権力者周辺では諸外国の情勢は比較的情報として掴んでいたようですね。日本の古代でもそうだった状況があるようです。最近、縄文時代が研究されてきていますが、中でもかなり高度な建築技術が発見されてもいます。漢語も通詞がいたり、言葉自体も理解できていた気がします。大化の改新(なかった説が?)の時代は結構相手方と漢語(当時の言語)で会話していたといわれていたりもしています。卑弥呼さんですが、これも実在の人物(と思われる)”○○姫”に特定、特定されつつあるやに?印判も紙に押印するのは中国でも随分後ですね。ただ、布に押印していたようですね。皇帝や王の命令書(布)などには押印されています。これは韓流、漢流ドラマの見すぎでしょうか。今回はらしくない、後退した、通説の文脈でしたので、できましたらこの辺のところのヤジ馬先生の真の研究内容を機会がありましたらご披露願いたいと思います。宜しくお願いします。
2016年03月26日 17:45
大変詳しくありがとうございました。
これらのご指摘については知らなかったこと
も多くて、大変に勉強になると同時に励み
にもなりました。
まさしく「歴史の海は広く深い」という言葉
を実感する思いです。
気合を入れ直して鋭意頑張りたいと思います
ので、今後ともご指摘・ご意見・ご教示など
をよろしくお願いしたいと思います。
通りすがりの人
2016年04月01日 13:52
漢字や漢文を読めない、中国語が理解出来ないでは、そもそも中国に認められない野蛮な民族という位置付けとなっていたでしょう。何故、漢朝時代から倭人は大夫を名乗っていたのでしょうか。卑弥呼は何故、親魏倭王なのでしょうか。当然ながら大陸側の事情に疎ければ無意味なものばかりです。最近、2例目の弥生遺跡から出土した硯がみつかりました。単なるパフォーマンスならば漢字を書く必要はないでしょうが、貿易商人や仏教の布教に来る坊さんはどのようにして、倭人に商売や説法をやったのでしょうか。公式に日本列島にやって来る人達ばかりではなかったでしょうけど、少々想像が過ぎますが 考えられると思います。また、上表文は倭王武の時代にもあり、素晴らしい漢文だそうです。中国史書の記述と記紀の記述には明らかなミスマッチがあり、古代に日本は統一されていなかったことを裏付けているのどはないでしょうか。
2016年04月02日 18:31
Re:「通りすがりの人」さんへ

ご教示ありがとうございました。
確かに「公式な渡来」ばかりではなく
「民間交流」?の方も、結構盛んだった
ことも考えられますね。
また、魏にすれば、倭の「統一政権」
もどきの受け止め方をしていたのかも
しれませんが、これもまた実際には、
地方地方で多くの政権が群立していたと
見ても不自然ではないような印象です。
いずれにせよ、解明されていないことが
多くて、その意味では歴史ロマンを
感じさせる「時代」ではあります。
また、色々ご指摘いただければ幸甚
です。どうぞよろしくお願いします。

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