日本史の「忘れ物」23 戦国”戦死者”の弔い作法

戦国時代(室町時代末期)は、文字通り全国各地で活発に
“戦(いくさ)”が展開された時代です。
しかし“戦”の頻発は、言い替えればそこで命を落とす、つまり
大勢の”戦死者”を生み出すということでもあるわけです。

ドラマなどでは、華々しい合戦場面やその直後の戦死兵や
倒れた馬の姿が映されることはあっても、そのさらに後のまさに
戦死者の扱いについて描かれることはほとんどありません。
そのために、「その後の運び」について、現代日本人がよく承知
していないということもまた事実です。
ではこの時代、戦死者を実際にはどう扱っていたのでしょうか?

真っ先に思いつくのは、そのまま「野ざらしで捨て置く」という
方法でしょう。 何らの「手間」を必要としないからです。
しかしこれでは戦死者がいささか不憫に思え、そこで少し調べて
みると・・・なんとドッコイ、こうした「ほったらかし」のケースも
確かにあったようです。

ただ、風雨に晒される、動物・鳥がつつく、ウジ・細菌などの
作用によって、意外に早い時点で白骨化したとされています。
(もっとも、どの程度が「意外に早い」のかはよく分からないのですが)

別には~勝者側が戦死者の遺体を収容する~あるいは当地の
領主などが首塚を建てるなどの方法で丁寧に葬ることも、
当時としては当たり前の慣習?になっていたとか。

さらには、戦死者が身につけていた装備品(衣装・武器・武具など)
の拾得?を報酬として認めることで、近隣の農民達に処理を
依頼し埋葬するという方法も取られていたようです。

もっとも自分が耕すべき田畑に遺体があった場合は、耕作作業
の邪魔になってしまうため、黙っていても農民自らが跡片付を
したことでしょう。
そうした場合でも、その報酬といえるのかどうか、戦死者から
装備品を頂戴することが普通だったとされています。

戦死者が割合少数の場合は、こうした方法でも乗り切ることが
できるのでしょうが、大規模な合戦、たとえば「大坂の陣」
(1614年・15年)などともなると、それではとても追いつきません。

この時には、勝者・徳川家康(1543-1616年)から許可を受けた
「大規模請負業者」?まで登場しました。


関ヶ原屏風53










           関ヶ原合戦屏風

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大坂の富豪がこれに名乗りを上げたそうですが、もちろん
これほどの大規模事業?を「無料ボランティア」で行うわけにも
いきませんから、案の定、その装備品を報酬として認めた上で、
遺体の処理を行なうとの契約?になっていたようです。

聞きなれない「陣僧」という言葉にもぶつかりました。
~主に室町時代、軍陣に同道して、戦死者の供養をはじめ
  文書作成や敵方への使者を務めた僧~

こう説明されていますから、つまり戦死者の供養もこの「陣僧」
担当していたのでしょう。

この「陣僧」には、他にこんな説明も。
~戦国時代に目立って活躍した僧体の軍使~
つまり、そもそも「僧侶」は世俗には無縁の存在という考え方が
あったため、その身体もまた一種の「聖域」という扱いをしていた
ようです。

そんな理由から、戦場の自由かつ安全な往来を認められており、
こうした業務?任務?の遂行が可能だったのでしょう。
ひょっとしたら、毛利氏の「外交僧」だったとされる「安国寺恵瓊」
(1539?-1600年)なども、こうした「陣僧」すなわち「僧体の軍使」
当てはまる人物だったのかもしれません。

それはともかく、天下分け目の決戦「関ヶ原の戦い」(1600年)
折には、勝者・徳川家康がその地を納める竹中重門に米千表
を与え、約8.000人?とも言われる戦死者の弔いを命じました。
※竹中重門(1573-1631年)<竹中半兵衛重治(1544-1579年)の嫡男>

竹中重門は律儀にそれを果たしました。
それが下の写真で、関ヶ原古戦場跡には東西に分けた「首塚」
が現在も残されています。

関ヶ原首塚東51 関ヶ原首塚西52






   東首塚                西首塚

こうしてみると、現代人の感覚とは多少異なるものがあるにせよ、
当時の人たちが合戦の戦死者に対して、それなりの心遣いを
していたことは確かなようで、これはこれで、ちょっとばかりホッと
することができた次第です・・・合唱ッ!ぁ違った、合掌ッ!





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