日本史の「ツッパリ」16 ”奇跡の勝利”は忘れられない

第二次長州征伐の折、その長門国・周防国に対し、幕府軍は
大島口・芸州口・石州口・小倉口の四方向から攻撃する作戦を
とりました。 いわゆる「四境戦争」(1866年)です。

守備に立った長州藩が、この「四境」のうちでも特に日本海側の
石州口と、門司の小倉口を重視したことは、石州口司令官を
大村益次郎が担当し、小倉口には高杉晋作・山県有朋ら率いる
奇兵隊が参加したことで裏付けられます。

軍艦や洋式銃器や圧倒的な兵力(長州の20倍?)も備えた
幕府軍側は、同時に諸藩に参戦命令を出せる立場にもあって、
戦力的には俄然優位な状況を保っていました。
ただ、参戦諸藩における肝心の戦闘意欲は総じて低かったと
されています。 

駆り出された形になったことで、程度の差こそあれ、それなりの
「イヤイヤ」気分を払拭し切れていなかったということでしょうか。
たとえば、小倉口の戦闘に加わり、緒戦の勝利を収めた熊本藩
なぞは、「幕府司令官」との反りが合わず、戦さの途中で撤退
するという、なんとも「拗ねた」行動をとったほどでした。

そうした中で、著しく不利な状況にあった守備側・長州藩は、
いわゆる「ゲリラ戦法」もどきの作戦を実行し、結果的には
信じられないような“奇跡の勝利”を収めたのです。

しかし、こうした絵に描いたような「成功体験」を味わった者は、
そのことをそうそう簡単に忘れられるものではありません。
後から振り返れば、その後の明治政府・日本「新」陸軍も、その
例外ではなかったことになります。

その新「陸軍」を牽引したのが、この四境戦争・小倉口の戦闘/
”奇跡の勝利”の立役者である、長州藩・山県有朋(1838-1922年)
その人だったことが、そもそもの原因と言っていいのでしょう。

新政府における山県は、軍政家として手腕をふるって日本陸軍
の基礎を築き、「国軍の父」とも称され、さらには「日本陸軍の
生みの親」というだけに留まらず、「日本軍閥の祖」との異名まで
頂戴するようになっていきます。

当然ですが、こうした流れは山県自身が経験した四境戦争
おける“奇跡の勝利”の「DNA」が、その後の日本陸軍に
組み込まれていく過程でもあったわけです。


山形有朋01四境戦争51









     山県有朋               四境戦争

  応援クリックは→ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ  ↓コメント欄はいちばん下↓

さて昭和の戦争末期においては、日本があらゆる面で文字通りの
ジリ貧に陥っていることは、当時の誰の目にも明らかでした。
頼みの連合艦隊はすでに失い、原爆も落とされ、その上に国民
自体が長期の耐乏生活を強いられているのですから、陸軍とて
それに気が付かないはずがありません。

にも拘わらず、陸軍はこの時もなお、「徹底抗戦」「本土決戦」を
強く主張し続けています。
~「本土決戦」を実行するなら、勝機はまだ十分にあるッ!~

えぇ、なんだ?・・・この異様な「ツッパリ」は?
おそらく、四境戦争における“奇跡の勝利”の「DNA」がそれを
言わせていたのでしょう。

~あの時だって戦況は決定的に不利だったが、しかし結果として
  大勝利を収めたではないか。そのことを思い出すべきだッ!~

当時の日本陸軍は、最後までこの「過去の成功体験」から抜け
出せなかったということです。

幕末の「四境戦争」とは、その時代も規模も武器も敵も、すべて
の面でまったく異った昭和の「太平洋戦争」で、もし「本土決戦」
まで突っ走っていたとしたなら・・・それこそ鳥肌もので、その意味
でも、当時の日本陸軍の主張が実行される前に、曲がりなりにも
「終戦」を迎えられたことは、当時の、また現代の日本人に
とっても大いなる幸いでした。

さて、日本陸軍に限らず、個人にせよ組織にせよ、会心の
「成功体験」というものは、そうそう簡単に忘れることが出来ない
もののようです。

たとえば、一度「大穴」を当てた「成功体験」をすると、その後も
しっかり競馬にはまってしまうとか、一度「ヒット商品」を生むと、
その次には同じような商品で「二匹目のドジョウ」を狙うとか、
こうした事例は枚挙にいとまがありません。

その点、なんらの「成功体験」を持たないワタシなぞは、競馬に
はまり込む心配もなく、「二匹目のドジョウ」を狙う必要もない
わけで、その意味では、安心穏やかな毎日が過ごせていると
いうことになりそうです。
もっともそれとなく、こんな声も聞こえてきてはいるのですが。
~人畜無害ってか! チッ、なんともつまらん奴ッちゃッ!~





  応援クリックは→ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ  ↓コメント欄はいちばん下↓
          



---これまでの 「ツッパリ」 シリーズ---------------
313 日本史の「ツッパリ」15 その信心は邪教である! 日蓮だけが正しい?
279 日本史の「ツッパリ」14 此の世をば”灰左様なら” 本心か?矜持か?
272 日本史の「ツッパリ」13 古事記と漢字廃止 世界に冠たるハングル?
223 日本史の「ツッパリ」12 筋を通せばクビが飛ぶ 至誠は天に通じない?
183 日本史の「ツッパリ」11 切腹がなぜ名誉なの? それが武士の面目だ!
173 日本史の「ツッパリ」10 五尺の体にみなぎ気迫 大和魂か蛮勇か?
144 日本史の「ツッパリ」09 ♪地球の上に朝が来る 驚天動地の新神様!
132 日本史の「ツッパリ」08 釜かぶり今昔物語 どうせなら最期もド派手に!
126 日本史の「ツッパリ」07 天武系百年のストレス人生 薄幸と断絶の結末!
109 日本史の「ツッパリ」06 心頭滅却すれば・・・ 心の持ち方が肝要なのだ!
070 日本史の「ツッパリ」05 黄門様のあてつけ 綱吉クンこれが出処進退だ!
066 日本史の「ツッパリ」04 昭和軍閥の原点 それは“関ヶ原”から始まった!
055 日本史の「ツッパリ」03 将軍と墓石入牢 吉宗VS宗春のガチンコ対決!
050 日本史の「ツッパリ」02 崇徳の憤懣遺言 その憤りは昭和も続いていた!
037 日本史の「ツッパリ」01 金銀入歯組 男だては決してラクではないゾ!
-------------------------------
ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 前編「あ→と」巻 七転び八起き!
ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 後編「な→ん」巻 あゝ七転八倒!
ヤジ馬の日本史~超駄級・300記事一覧~ №202-209編 堂々肩すか史!
-------------------------------

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック