日本史の「怪人」08 洋学者”象山”の日本人離れ

モダンダンスの創始者といわれるアメリカの舞踊家・
イサドラ・ダンカン(1878-1927年/女性)が、イギリスの作家・
バーナード・ショー(1856-1950年/男性)に、こう言って結婚を
申し込んだことがあるそうです。

~「あなたの頭脳」と「私の肉体」を持った子供が生まれたら
  どんなにか素晴らしいことでしょう~
 これに対し、皮肉屋で
知られたショーはやんわりと、こう辞退しました。
~それは素晴らしいアイデアですが、「私の肉体」と「あなたの
  頭脳」を持った子が生まれたら、どんなにか大変ですよ~

※単なる「都市伝説」に過ぎないとする見方もあるようです。

これに似たようなお話が、幕末期におけるトップ級の洋学者・
佐久間象山(1811-1864年/暗殺死)にもあります。
象山本人は常々こう公言していました。
~僕の血を継いだ子供は必ず大成する~

象山には元々こうした自信過剰?尊大な一面がありました。
年下の「義兄」の立場にあった勝海舟(1823-1899年)ですら、
その点は認めていますから、ハッキリ言えば、周りの人間は
共通して「鼻につくイヤな野郎」という印象をもっていたのかも
しれません。 ※海舟の妹が象山の妻

とは言うものの、象山の構想はスケールが大きく、黒船来航
(1853年)の十数年前から、海に囲まれた島国・日本はもっと
「海防」に目を向けるべきだとの主張を繰り返していたのです。

そればかりか、義兄・勝海舟を始め、吉田松陰(1830-1859/刑死)
橋本左内(1834-1859年/刑死)坂本龍馬(1836-1867年/暗殺死)
など、後の日本を担う多くの人材を育てていますから、幕末の
動乱期に大きな影響を与えたひとりであることは間違い
ありません。

象山については、実は他にも特筆しておきたいことがあります。
内面的(性格/発想)にも「特異」なものを持っていたのは確か
ですが、同時に「外面的」、すなわちその「風貌」も大変に「特異」
だったということです。

今風に言うなら「濃い顔」、少し前なら「彫りの深い顔」とでも言う
のでしょうか、つまり、かなり「日本人離れした風貌」を備えて
いました。 下にその「風貌」を並べてみましたが、見ての通り、
「幕末期」のイメージにはいまいちマッチしない印象です。


佐久間象山01元 佐久間象山51国立 佐久間象山51加筆









  オリジナル版?       国会図書館版      加筆修正版


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いずれもが、少なくともいわゆる「ショウユ顔」ではなく、遠慮の
ないところを言うなら、むしろ「アラブ系」?に近い風貌です。
特に右端の肖像は、後に門弟たちが修正加筆して、
「これでこそ、先生のお顔だ!」と太鼓判を押した作品?の
ようですから、端からとやかく異論を挟む余地はありません。

なにせ二度目の来航(1854年)の折に、横浜で警護に当たって
いた象山を日本人とは思えなかったのか、ペリー本人が丁寧に
一礼したというエピソードも残されているくらいのものです。 
※但し、ひょっとしたらこれも「都市伝説」かもしれません。

しかし、オソロシイのはこの肖像写真を象山自作の写真機
(カメラ)で撮ったことで、カメラが初めて日本に伝わった(1848年)
数年後にはそれを手に入れ、ついでのことに?そのカメラまで
作ってしまったというのですから、きっとなら、こうしたことでも
周りに対して大いに「鼻を高く」していたのでしょう。
※そのシャッターを押したのは象山の妻(勝海舟の妹)と言われています。

象山のこうした「尊大」ぶりを窺わせるエピソードをもうひとつ。
馬上にある象山の姿を写真に撮ろうとした米国の水兵を見て、
銃器と間違えた従者が危険を伝えると、象山はそれが写真機で
あることを教えました。 

ここまではいいのですが、続いてその従者にこう命じたそうです。
~「種板(写真原板)」には、”沃素”がいいのか”臭素”がいいのか、
  訊いてまいれ~
 
己の知識をひけらかすようで、確かに「鼻につくイヤな野郎」だ。

で、象山の予言?~僕の血を継いだ子供は必ず大成する~
戻ると、その象山の子・佐久間格二郎(三浦啓之助)は、象山が
熊本藩士に暗殺された後、「親の仇」を討つべく新撰組へ入隊
しましたが、人間関係のこじれが原因?で、後に脱走。

さらにその後、コネで役人になったものの、父親譲りの傲慢さが
災いしたものか、ここでも悶着を起こして結局免職。
留めは食中毒での頓死(1877年/31歳)という按配ですから、
象山の予言?は「大言壮語」のまま終わったというわけです。

~我が子を導くことは、弟子や国家を導くより遥かに難しい~
  案外こういうことなのかもしれませんね・・・おのおのがたッ!




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---これまでの 「怪人」 シリーズ----------------
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145 日本史の「怪人」01 西鶴の超人技は本当か? 早口言葉と腹話術?
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この記事へのコメント

みどりの木
2015年01月31日 09:16
なるほど
顔立ちは、いやな性格の人という感じしますね。
2015年02月01日 16:08
>みどりの木さんへ

「顔立ち」で思い出しましたが、
「人間は顔じゃない」と慰めようとして、
うっかり「人間の顔じゃない」って言っちゃった
という小噺がありましたっけ。
また、お気軽にコメントをお寄せくださいね。

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