日本史の「謎解き」19 江戸版”速度”の単位 って?

日本史には、重さや長さなどを表わす色々な「単位」が登場し
ますが、「速度(スピード)」に対する単位があったのでしょうか?
現代でいう「時速○km」といった類の単位です。
これに必要な「距離」と「時間」の単位は確かにありました。

距離については「里」でしょう。 では、その「里」とはどれほどの
距離なのか? ややこしい説明ですが実はこうなっています。
~1里を歩くのにかかる大体の時間から、「その時間」に歩いた
  距離を1里と呼ぶようになった~


しかし、これは分かったようで分からん「堂々巡り」の説明です
からさておいて、ともかく江戸時代には「36町里」を「里」の標準
にしたようです。 ではでは、その「町里」とは?

これもまた当時は厳密な定義がなく、明治になってからメートル
を基準として1200メートル=11町と定めたそうですから、まあ、
1町≒110メートルということになりましょうか?
(セカセカ現代人に比べたら、江戸人はかなり大らか・大雑把だった?)

するてぇと、つまり1里は1200÷11×36で≒3.9kmということに
なるわけです。
ですから、この36町里(1里)の距離を歩く時間を、上にある
「その時間」としていた理屈になります。
現在は徒歩の場合で概ね時速4km程度とされていますから、
結局「その時間」とは現代の「1時間」くらいのものでしょうか。

ところが、実はこの「時間」の方も結構ややこしいのです。
江戸時代の「時間」は、「明け六つ(日の出)」と「暮れ六つ(日没)」を
基準にして、それぞれを6等分したのを「一刻(いっとき)」という
単位にしていたそうですから、当然ですがこの「一刻」の長さは
季節によっても異なります。(不定時法)

現代風に翻訳?するなら、一刻≒2時間/半刻≒1時間/
四半刻(小半刻)≒30分程度ということになりそうですが、
そうすると、「時速」を表わす公式「距離/時間」の分母である
「時間」がそもそも一定したものではないことになります。
これでは「時速」を比べることができません。

ですから、かなりの実力を持つアスリートがいたとしても、
せいぜいこんな程度の自慢しかできなかったことでしょう。
~オレの走りなら、「秋時分」の「四半刻」で「2里半」は
  楽勝だゼ~
 いささか迫力に欠ける自慢です。

ということは、この頃には「速度/スピード/時速」という概念、
あるいは単位そのものもなかったのかもしれません。


江戸城51赤穂城51   









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歴史の中の「スピード」に目を向けるなら、「本能寺の変」(1582年)
の直後に見せた羽柴秀吉のいわゆる「中国大返し」(岡山→京都)
とか、「元禄赤穂事件」(1701年)の折の第一使者(江戸→赤穂)
「移動速度」に関心が行くところです。

「中国大返し」は岡山→京都の≒200kmを≒6日間で走破したと
されていますが、なにせ25,000人もの将兵が日を跨いで行動
するのですから、適宜休息時間も必要です。
まあ、なんやかやで実際の行軍に使えた時間を仮に12時間/日
とすると単純計算で≒2.8km/h程度の進軍速度ということです。

普通に歩く≒4.0km/hというスピードに比べて、”なんだ意外に
遅いんだな”と思うのは誤解です。
ランニング・シューズを履いていたわけでもない上に、なにせ
“武装行軍”ですから、決して「身ひとつ」ではなかったという
ことを忘れてはいけません。

さて、一方の「赤穂事件使者」の方は、江戸→赤穂の≒670kmを
なんと≒4日半で移動したということです。
こちらは早籠を利用して、おそらくは不眠不休でブッ飛ばしたもの
でしょうが、それにしてもそのスピードは≒6.2km/h程度です。

そして、その道中はとにかく籠に揺られっ放しですから、
「籠酔い」?や「腸捻転」?のリスクも、さらには籠中でウカウカ
眠ろうものなら「舌を噛」んでの死亡事故も心配されますから、
つまり、「時速6km」を確保するために「命を賭けた」とも言える
わけです。

これはもうほとんど「拷問」と言ってよく、並みの現代人に務まる
仕事だとは到底思えません。
お疑いならアナタご自身がお試しになるがいい。
ちなみにワタシは金輪際試してみる気にはなりません。

しかし、こうした先人達のガッツ溢れる行動を知るにつけ、
「速度/スピード/時速」という単位で物事を眺めようなぞは
とてつもなくミミっちい根性に思えてくるのもまた事実です。 
う~ん、これが「日本史の迫力」ってものか!




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