日本史の「もしも」03 戦国乱世に第二のピサロ

数千年の歴史を持つアンデス文明を継承したインカ帝国
でしたが、キリスト教圏・スペインの侵略によりあっけなく
滅んでいます。(1533年) フランシスコ・ピサロ(1470頃-1541年)
率いる、当初わずか180人の兵隊と40頭足らずの馬による
軍事行動がその発端でした。

そこで「もしも」ですが、この日本が同じ頃同様な「侵略者」に
見舞われていたとしたら、実際どのような展開を見せたので
しょうか?
もっとも「キリスト教」側からすれば、「侵略」とは夢にも思っては
おらず、あくまでも神に祝福された新たな「キリスト教国」を誕生
させる崇高な使命だと信じていました。

ですから、まあ大方の場合、こんな段取りを踏んでいます。
1) まずは布教のため、その地に「宣教師」を送り込む。
2) 熱心な布教活動をもって信者(協力者)を増やす。
3) 頃合を見て本国軍隊を派遣し、従来の“邪教”を排除する。
   (もちろん、国内の協力者と連携し武力制圧をもって)
4) そして、ここに祝福されるべき「キリスト教国」が誕生する。

日本の場合、最初のキリスト教宣教師・ザビエル(1506-1552年)
来たのが1549年のことですから、「キリスト教の軍隊派遣」を仮に
その10年後の1559年のこととしてみましょう。

この時期には、後に天下をほぼ掌握することになる織田信長
(1534-1582年)ですら、まだ「桶狭間の戦い」(1560年)の前で、
実質的なデビューには至っていません。

ということは、文字通り「群雄割拠/日本全国・戦国時代」の
真っ只中にあったわけで、要するに津々浦々に屈強な武装集団
がひしめきあっていたことになります。
※念のためですが、宣教師・ザビエルはすでにこの7年ほど前に、
  ピサロは18年も前に死んでいます。


この頃に、即位してから数年を経たスペイン王・フェリペ2世
(在位:1556 -1598年)は、こんな思いを抱くようになります。
~父チャン(カルロス1世/在位1516-1556年)が「ピサロ」を派遣して
  インカ帝国で華々しい成果を収めたからには、ボクだって
  負けてはおられん! さて今度の「日本侵攻」には誰を派遣
  しようか? そうだ! あの「ピサロ」のイトコのイトコに
  「ピエロ」と名乗る男がいた・・・あいつが適任だ!~

※くどいようですが、これは「もしも」を前提にしたお話ですよ。

画像














 征服者フランシスコ・ピサロ/インカ帝国最後の皇帝アタワルパ


  応援クリックは→ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ  ↓コメント欄はいちばん下↓


ピエロ 「総司令官の任はまことには光栄ですが、正直なところ、
     あまり気が進みません」
 国王 「なんで? わずか四半世紀前のこと、お前の親戚筋の
     ”ピサロ”は、わずかな兵隊でまんまと成功させておる
     ぞ! 今回はその100倍もの兵隊を派遣するのだから、
     メッチャ楽勝の話ではないか!」


ピエロ 「失礼な物言いですが、陛下の見方は甘い!」
 国王 「確かに失礼な物言いだ・・・そこだけは認める」

総司令官候補・ピエロはこう考えていました。
~日本が鉄砲を知った(鉄砲伝来/1543年)のは、たかだか
  十数年前のことのはずだが、すでに国産化に成功している
  らしいし、また乱世にあれば兵も応分に強かろう~

つまりピエロは、当時の日本に対して、インカ帝国とは違う
「軍事大国」?との認識を持っていたのでしょう。

 国王 「なんと、辞退するってか?」
ピエロ 「いかにも! 私とて後世、“無知な国王に踊らされた
     ピエロ”なんて情けないアダ名で呼ばれたくないです
     からネ」
 国王 「その場合、“国王”の前に“無知な”という形容詞が
     つくのか?」

ピエロ 「はい、必ずつきます! その点だけは自信をもって
     保証いたします」

そこで、「もしも」のお話に戻りますが、ザビエル来朝から
10年経ったこの1559年時点で、スペインが「日本侵略」を開始
していたとしたら?

おそらくは、インカ帝国の場合のように“順風満帆”でコトが進む
ことはなかったでしょう。 それどころかウッカリしようものなら、
逆に侵略軍?の方がボコボコにされていたかもしれません。

その証拠?が、ザビエルが同僚経由で時のスペイン国王
(フェリペ2世の父親・カルロス1世)に宛てた進言です。
~日本占領を企てるのは得策ではありません・・・
  むしろ中国の方が断然やりやすいハズです~


こうした情報の内容から察するに、この時代のキリスト教・
宣教師が、実質的に“侵略の尖兵”の役割を担っていたことは、
間違いのないところでしょう。

そして、インカ帝国の「ピサロ」の大成功と、戦国日本の
「ピエロ(仮名)」の辞退?を比べた場合・・・
対象国の軍事力の優劣が一定の「侵略抑止力」として働いて
いたことも、また事実のようです。




  応援クリックは→ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ  ↓コメント欄はいちばん下↓

          



---これまでの 「もしも」 シリーズ----------------
219 日本史の「もしも」02 秀吉の四人?の息子たち 歴史はどう変わったか?
202 日本史の「もしも」01 それは生麦村で起きた! ほかの村だったら?
-------------------------------
ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 前編「あ→と」巻 七転び八起き!
ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 後編「な→ん」巻 あゝ七転八倒!
-------------------------------

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 日本史の「もしも」12 会津藩って何者ですか?

    Excerpt: 幕末の一時期の政治は、実質的に以下の三人のスクラムによって運営 されていました。 ○一橋家・徳川慶喜(1837-1913年/後の15代将軍) ○会津藩・松平容保(1836-1893年/慶喜の又従.. Weblog: ヤジ馬の日本史 racked: 2018-07-25 16:34