日本史の「怪人」07 慶安のリストラ蜂起

弱者?の立場を最大限に配慮する、いわゆる「護送船団方式」
には、とかく批判も囁かれましたが、実はこれとは真逆の政策を
推し進めていた時代もあったのです。

大阪の陣(1615年)で宿敵・豊臣家を滅ぼし、「強い政府(幕府)
構築を目指した徳川家が諸大名に対し、「改易(取り潰し)・減封」
攻勢を仕掛けていた時期がまさにそれです。

しかし、大名に対する「改易・減封」は、即そこに勤める武士の
失業に直結しますから、巷には大量の「失業武士(浪人)」が
溢れることになります。
小耳に挟んだ話によれば、この頃は実際「石を投げれば浪人に
当たる」と言われるくらいのものだったそうです・・・(ホントかよ?)

「失業武士」とて人間、もちろんのこと「食う」算段が必要です。 
さりとて、再就職先も失業保険もないので、中には食わんが
ために泥棒・強盗を働く者も出ようというもので、そうなると更に
治安も乱れ、それがまた新たな「社会不安」となって・・・という
絵に描いたように見事な?「悪循環」に陥りました。

ところが、大名を潰せば潰すだけ徳川家の優位性が高まると
信じる幕府は、この状況をむしろ歓迎し、政策転換なぞは
まったく眼中にありません。

これにプッツンしたのが軍学者・由比正雪(1605-1651年)でした。
~闇雲に大名を潰しまくるだけの御政道は断じて正しくないゾ。
  増え続ける浪人に対する救済を真剣に考えるべきだッ!~


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    軍学者:由比正雪       四代将軍:徳川家綱

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諸大名や当の将軍家からもヘッドハンティングの声が掛かる
ほどの人物でありながら、正雪自身はこの手の誘いに見向きも
せず、野にあって軍学塾を主宰する立場を選んでいます。
塾生も多かったようですから、今なら「評判の軍学塾」?を経営
していた、といったところかもしれません。

折りしも幕府では三代将軍・家光(1623-1651年)が亡くなります。
そして、わずか11歳の家綱(1651-1680年)へバトンタッチ。
この瞬間を好機と捉えた正雪は、幕府転覆を謀る武力行動
慶安事件1651年・慶安四年)に打って出ました。

浪人救済に無関心な幕府の姿勢に、とうとう「ブチ切れた」?
わけですが、計画の緻密さがイマイチだったこともあって、この
「慶安のリストラ蜂起」?あえなく失敗。
正雪はじめ首謀者の多くは自決や磔刑に処せられました。

いわば、事件そのものは正雪側の完敗で幕を閉じたわけですが、
さすがの幕府もこの「武力蜂起」にはチビる思いを抱いたようで、
これ以後の政策にはハッキリ「方向転換」が窺えます。

つまり、正雪は自らの発言・気迫・行動をもって、幕府に「政策の
転換」を迫り、実際それを実現させたのですから、その意味では、
この「慶安事件」の意義、後世に与えた影響は思う以上に
大きかったといえそうです。

しかし、時代・形態こそ違うものの、弱い立場の者にさらに
追い討ちをかけるがごとき風潮は、現代日本にも確かにあって、
例を挙げれば、ブラック企業/パワハラ/セクハラ/ストーカー
/DV(近親者間暴力)・・・
などもそうしたものの一部でしょう。

真面目に社会生活を営む者を理不尽な窮状に追い込むという、
昨今のこうしたイビツな世相を正すには・・・ひょっとしたら、
「慶安のリストラ蜂起」 ならぬ 「平成のハラスメント蜂起」
必要なのかもしれません。
つまり、~今こそ出でよ 平成の由比正雪!~ということに?




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