日本史の「怪人」06 戦国の起き上がり小法師
「戦国時代」はいつ始まったのか? そのひとつにはこんな
見方もあるようです。 ~そりゃあ、やっぱり室町六代将軍・
足利義教(1394-1441年)の首が落ちた瞬間からだろうゼ~
この見解に従えば、この義教将軍暗殺(嘉吉の乱1441年)の
実行犯・赤松光祐(1381-1441年)こそが「下克上・戦国」の世の
幕を切って落とした人物ということになります。
ちなみに、この満祐は「三尺入道」とも呼ばれていたようですが、
ここでいう「三尺(≒90センチ))」とは、アナタが思い当たる
「腹周りサイズ」ではなく、常識的には「身長」を示していると
思われるので、つまりは非常に小柄だったということでしょう。
※ただし、この「三尺」も身体検査時の数値ではなく、あくまでも「あだ名」。
さて、将軍の急死?で大混乱に陥った幕府側も、数ヶ月後には
なんとか立ち直り、天下の謀反人?満祐を自刃に、そして当の
「赤松家」自体をも実質的な滅亡に追い込んでいます。
それにしても、極端に小さな体(三尺?)で、極端な大事(将軍暗殺)
を実行し、挙句の果てに極端な結末(御家滅亡)を招いたこの
赤松満祐もまた「怪人」と呼ぶに相応しい人物のひとりです。
さて、この暗殺事件から十数年後、その「赤松遺臣」たちが見せた
行動も、実は満祐に負けず劣らずのビックリ仰天ものでした。
彼らは幕府に対して”さりげない提案”を持ちかけたのです。

起き上がり小法師 室町六代将軍・足利義教
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この頃、天皇家の内紛?に巻き込まれる形になっていた幕府は
後南朝に奪われた「神璽」を取り戻すという、大きな宿題?を
抱えていました。
しかし、この「神璽奪還」はそうそう容易な仕事ではありません。
そこに気が付いた「赤松遺臣」たちは”さりげない提案”を・・・
~お悩みの「神璽奪還」は私共が請負いましょうゾ。その代わりに
「赤松家再興」の方のご再考もどうぞよろしゅうにネ~
つまり、幕府側の足元を見た赤松側には「過去の罪をチャラ」に
するだけでなく、どうせなら幕府に「恩を売って」、ちゃっかり
「御家再興」までも果たそうとする下心があったということです。
トップの将軍を殺された被害者・幕府とその加害者・旧赤松家が
新たな協力関係を築くなどは、平時なら考えにくいことですが、
意外にもこの商談?はまとまりました・・・こういうところも既に
「戦国」の風が吹き始めていたことの証拠かもしれません。
背に腹は変えられない! 毒を喰らわば皿まで! なんでもあり!
破れかぶれ! ヤケのやんぱち! バンザイアタック! ・・・
どんな表現が適切なのかは分かりませんが、双方にはこんな
気分が漂っていたのでしょう。
さて、奪還を外注?したその後も、「神璽」は行ったり来たりを
繰り返しますが、契約?通り幕府に「御家再興」(1458年)を
認めさせた赤松家のこの姿は~どのように倒しても必ず
起き上がってくる「起き上がり小法師」~を連想させます。
こうしてみると、義教暗殺犯・赤松満祐が「怪人」なら、一旦
滅亡した赤松家を常識破れの提案と破天荒な行動で再興させた
遺臣たちも、また間違いなく「怪族(怪人一族)」?と言えそうです。
~独裁者?のトップが部下の裏切りによって呆気なく倒れる~
この「将軍・義教暗殺」によく似た事件が、実はこれからおよそ
140年の後にも起きるのですが・・・もちろん、それは「織田信長
暗殺事件」(本能寺の変 1582年)を指しています。
するってぇと、「戦国時代」は「暗殺」に始まり「暗殺」に終わる?
う~ん、これが「戦国のニヒルな美学」ってか!
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---これまでの 「怪人」 シリーズ----------------
169 日本史の「怪人」05 彼は何の種を蒔いたのか? 西洋憧憬の後遺症?
162 日本史の「怪人」04 ”遺体”は世界を駆け巡る? 聖人も楽ではない!
158 日本史の「怪人」03 丸か四角か?この地球 地球論争ガチンコ対決!
147 日本史の「怪人」02 “親の七光り“を捏造? 親が偉けりゃ自分も偉い?
145 日本史の「怪人」01 西鶴の超人技は本当か? 早口言葉と腹話術?
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ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 前編「あ→と」巻 七転び八起き!
ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 後編「な→ん」巻 あゝ七転八倒!
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見方もあるようです。 ~そりゃあ、やっぱり室町六代将軍・
足利義教(1394-1441年)の首が落ちた瞬間からだろうゼ~
この見解に従えば、この義教将軍暗殺(嘉吉の乱1441年)の
実行犯・赤松光祐(1381-1441年)こそが「下克上・戦国」の世の
幕を切って落とした人物ということになります。
ちなみに、この満祐は「三尺入道」とも呼ばれていたようですが、
ここでいう「三尺(≒90センチ))」とは、アナタが思い当たる
「腹周りサイズ」ではなく、常識的には「身長」を示していると
思われるので、つまりは非常に小柄だったということでしょう。
※ただし、この「三尺」も身体検査時の数値ではなく、あくまでも「あだ名」。
さて、将軍の急死?で大混乱に陥った幕府側も、数ヶ月後には
なんとか立ち直り、天下の謀反人?満祐を自刃に、そして当の
「赤松家」自体をも実質的な滅亡に追い込んでいます。
それにしても、極端に小さな体(三尺?)で、極端な大事(将軍暗殺)
を実行し、挙句の果てに極端な結末(御家滅亡)を招いたこの
赤松満祐もまた「怪人」と呼ぶに相応しい人物のひとりです。
さて、この暗殺事件から十数年後、その「赤松遺臣」たちが見せた
行動も、実は満祐に負けず劣らずのビックリ仰天ものでした。
彼らは幕府に対して”さりげない提案”を持ちかけたのです。


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後南朝に奪われた「神璽」を取り戻すという、大きな宿題?を
抱えていました。
しかし、この「神璽奪還」はそうそう容易な仕事ではありません。
そこに気が付いた「赤松遺臣」たちは”さりげない提案”を・・・
~お悩みの「神璽奪還」は私共が請負いましょうゾ。その代わりに
「赤松家再興」の方のご再考もどうぞよろしゅうにネ~
つまり、幕府側の足元を見た赤松側には「過去の罪をチャラ」に
するだけでなく、どうせなら幕府に「恩を売って」、ちゃっかり
「御家再興」までも果たそうとする下心があったということです。
トップの将軍を殺された被害者・幕府とその加害者・旧赤松家が
新たな協力関係を築くなどは、平時なら考えにくいことですが、
意外にもこの商談?はまとまりました・・・こういうところも既に
「戦国」の風が吹き始めていたことの証拠かもしれません。
背に腹は変えられない! 毒を喰らわば皿まで! なんでもあり!
破れかぶれ! ヤケのやんぱち! バンザイアタック! ・・・
どんな表現が適切なのかは分かりませんが、双方にはこんな
気分が漂っていたのでしょう。
さて、奪還を外注?したその後も、「神璽」は行ったり来たりを
繰り返しますが、契約?通り幕府に「御家再興」(1458年)を
認めさせた赤松家のこの姿は~どのように倒しても必ず
起き上がってくる「起き上がり小法師」~を連想させます。
こうしてみると、義教暗殺犯・赤松満祐が「怪人」なら、一旦
滅亡した赤松家を常識破れの提案と破天荒な行動で再興させた
遺臣たちも、また間違いなく「怪族(怪人一族)」?と言えそうです。
~独裁者?のトップが部下の裏切りによって呆気なく倒れる~
この「将軍・義教暗殺」によく似た事件が、実はこれからおよそ
140年の後にも起きるのですが・・・もちろん、それは「織田信長
暗殺事件」(本能寺の変 1582年)を指しています。
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147 日本史の「怪人」02 “親の七光り“を捏造? 親が偉けりゃ自分も偉い?
145 日本史の「怪人」01 西鶴の超人技は本当か? 早口言葉と腹話術?
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ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 前編「あ→と」巻 七転び八起き!
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